ハラキリがやってきたのは、王都の西南部にあるマゴモ国立公園だった。王都西部にあってはスライレンド王立公園に次ぐ広さで、敷地内には
このマゴモ国立公園並びにスタジアムにおいては、本日、フェスティバルが開かれていた。例年開催される地元商工会主催の祭である。そのため性質としては各事業者と地域住民との触れ合いが主目的ではあるのだが、しかしその規模は大きく、催される企画も多種多彩であるため、以前からちょっとした行楽イベントとして注目を集めているものだ。そこに、今回、『ティディア&ニトロ』までもが参加するとなれば……その賑わいときたら推して知るべしであろう。
「やあやあ、凄い人出ですね」
公園・スタジアム関係者専用地下駐車場から、そのままスタジアム横にある事務所――三階建てのビルにやってきたハラキリは『楽屋』のドアを開くなりそう言って、ふと眉根を寄せた。
「ここは――『漫才コンビ』の楽屋ではありませんでしたっけ?」
そう訊ねたハラキリを、少々やさぐれた眼で見返したのはニトロであった。
「そのはずだな」
鍋の中身が焦げないようお玉でゆっくりかき混ぜながら、エプロン姿のニトロは言う。
「そのはずなんだよ」
「……何故に、料理を?」
普段は会議室である部屋の真ん中に置かれた大型の折り畳み式テーブル。ニトロはその上に置いたポータブルタイプのクッキングヒーターの前に立ち、二人の美女が椅子に座って少し離れた横から彼の仕事を見つめている。彼の背後には一体のアンドロイドが控えていた。美女の内一人は幸せそうに笑み、一人はよだれを堪えるようにして鍋を凝視していた。青いユカタを着た一体は難しい顔をしている。
「何故か、料理をすることになったからだよ」
ニトロが言う。非常に嫌そうに。
「いつものことではあるんだけどさ、こいつが急に台本を変更しやがったんだ」
ニトロの目がティディアを指し示す。彼女はテーブルに頬杖を突いてニトロに向けていた目をハラキリに移し、またすぐにニトロへ戻す。ニトロはため息をつきながら、
「漫才は取り止めで、手料理の実演だと」
ハラキリはドアを閉め、部屋に満ちる香りを嗅ぎ、
「トマトですか? スープ?」
「フレッシュトマトを使ったアラビアータソース」
ニトロの背後に回りこみ、ハラキリは鍋の中身を覗き込んだ。確かに、そこにはトマトソースがある。トマトの香りにニンニクの香りが溶け込んでいた。それに少しの、辛みの気配。もう少し煮込んだら完成といったところだろうか。
「それならまあ、何故も何も単純にお姫さんが食べたいからでしょう? 君の、作り立てを」
「ああ、そうだろうさ、そんなところだろうさ。解ってるんだ、それは」
「ああ。さっきの『何故か』はお姫さんへの嫌味でしたか」
「全っ然通用してないみたいだけれどな」
ニトロの目の先ではティディアが相変わらず微笑んでいる。ハラキリは、友人の、まるで新夫を見つめるような眼差しを横目にしながら、
「そんなに嫌なら帰ります? 送りますけど」
と、言ったところでハラキリははたと思い出した。
「ああ、そうか、このお祭の筆頭スポンサーはメルクルオーライでしたか」
「『うちの商品をよろしくお願いいたします!』……平身低頭、そう言われたよ」
ハラキリは、マゴモ国立公園の傍らで創業し、今や大企業となった食品メーカーの社員を相手に大困惑していたであろうお人好しの姿を思い描いて小さく笑った。
するとニトロが重ねて、
「しかもメルクルオーライだけじゃなくてね。使う調理器具はジャイオン・ブラックサミス製、水はウェムアクア、食材はマゴモ商店街に居を構える老舗マットンストアからのご提供」
順に、知る人ぞ知る小さな金属加工所、ここマゴモに王都支点を置く宅配ウォーターサーバーの大手、そしてニトロの言葉の示す通り、個人商店ながらメルクルオーライと並んでマゴモ商工会の顔と言った店。ハラキリはまた笑い、
「それは逃げられませんねぇ」
「おお、逃げられないともさ」
はあぁと嘆息しながらニトロは言う。
――ティディアは、にこにことニトロを見つめ続けている。
嘆息を吐き終えたニトロは、笑いながら空いていた席に座るハラキリへ、
「それにしても遅かったね」
「交通規制に引っかかっていました。空もまあ大混雑ですよ」
「あら」
と、そこで初めて、ティディアが口を開いた。
「連絡してくれれば案内を寄越したのに」
「目立つのは嫌いなんです」
ハラキリが肩をすくめて言うと、ティディアは目を細め、そしてまたニトロへと目を戻す。
ハラキリは――芍薬がちょうど差し出してきた茶器を受け取り、紅茶をすすりながら、
「で、それでなんで今からアラビアータソースを?」
「ここらじゃそろそろトマトの旬が終わるから今の内に、ってのに加えて“作り置きに便利ですよ”ってやつをね。結構量を作るから、その分時間もかかってさ」
「――ああ、途中まで作って『そしてこれが何分煮込んだものです』ってアレですか」
「そう、それ。そのために今作ってんの」
「急ですね」
「急だったからね」
ティディアは、にこにこと微笑んでいる。芍薬は難しい顔をして、ヴィタはうずうずとしている。
ハラキリは自分がここに来るまで、この部屋はどんな空気だったんだろうなと思いつつ、
「それで――そう言えばメルクルオーライからは何をよろしくされたんです?」
「作り置きのアラビアータソースを、一例としてペンネとね。それからプレーンオムレツを作って、そこで『トマトが活きる絶品デミグラスソース』さ」
「なるほど」
うなずいて、紅茶をすすり、ハラキリはその商品はバカ売れするだろうなあと考え――ふと、気がついた。
「……この仕事、いつからスケジュールを切られていました?」
「? 年始ぐらいからかな?」
ニトロに確認され、芍薬がうなずく。
「御意。早イ内ニ埋マッテタヨ」
「ふむ」
「どうかしたのか?」
「いや、大したことじゃないんです」
メルクルオーライは、王都で創業し、飛躍した。その縁もあってと言ったものか、
(確か、王家が株を多く保有していたはずですね……)
ハラキリはティディアを見た。彼女はやはり幸せそうで――ならばと女執事に目をやると、藍銀色の髪をした麗人は、彼の視線に気がつくや少しだけ目を丸めてみせた。つまり……私も驚いた、ということか。
(『ブーム』を予期していたのか、それとも偶然を利用したのか)
幸せそうに微笑む王女がこのイベントに出ると決めたその当時、果たしてどこまで予測し、どこまで見通していたのか……それを推して知ることはできないが、何にしても、この状況が彼女の大きな利益になっていることは疑いようがない。
(怖い怖い)
内心笑いながら、ハラキリは鍋をクッキングヒーターからおろしているニトロを見、
「完成ですか?」
「ひとまずね」
言うニトロの脇では芍薬が、調理の邪魔にならないところに置いてあるワゴンからボウルと料理箸、食材と調味料を揃えたバットと小ぶりなフライパンを持ってきて、テーブルに整然と並べている。
「まだ、何か?」
ハラキリが訊ねると、ニトロは彼に小首を傾げるようにして、
「腹減ってる?」
「はい?」
「オムレツ作るのは久しぶりでさ。ちょっと肩ならし」
「いただきましょう」
若干女執事からの視線が気になったが、ハラキリは即答した。
「えー、私のは?」
そこに口を出してきたのは、ハラキリに羨望の眼差しを送る女執事ではなく、ティディアだった。ニトロは彼女を一瞥し、
「お前は舞台で食べるだろ」
「味見をしておきたいわ」
「今しなくてもどうせ舞台でつまみ食いするだろ」
「……」
ティディアはちろっと舌を出す。ニトロはあからさまにため息をつき、
「それより、練習だろう?」
「了解」
ティディアが席を立ち、ニトロの隣へ進む。料理の準備を終えた芍薬が難しい顔のまま引き下がる。
「?」
ハラキリは、これから何が始まるのかと並び立った『ティディア&ニトロ』を見つめていた。いつの間にか、ヴィタはビデオカメラを回している。
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