(第二部『補・ニトロの悲劇 第 [3] 編』、後編のアナザーサイド)





「まったくもー」
 ぷりぷりと怒りながら、ティディアは王城の廊下を自室に向けて歩いていた。
 彼女に問題が降りかかったのは、およそ三十分前のこと。
 それまでは、彼女はひたすら幸運と幸福に包まれていた。ニトロにうまく逃げられたために穴の開いたスケジュール。そのあなを埋めるために、ほんの思いつきで(彼が好きだといっていたから)訪ねたルローシャットカフェで、彼女は逃がしてしまったはずの獲物ニトロとまさかの遭遇を果たしたのだ。お陰で思わぬ『デート』をのんびり楽しめて、押し寄せるファンや野次馬達からの逃亡劇をスリリングに楽しむこともできた。カフェの入ったビルから離れる際にはどさくさ紛れにニトロの車に初めて乗せてもらい、運転する芍薬は不本意極まりないようではあったが、そのまま王城の近くまで送り届けてもらえた。彼と一緒にドライブである。これも『デート』といっても差し支えあるまい。実に素晴らしい体験だった!
 そうしてお供のヴィタを引き連れ上機嫌で王城へ帰ってきたティディアは、城の門前で思わぬ大問題に見舞われたのである。
 その門前に立つ警備兵は、新人であった。
 しかし、いかに新人であるからといって、一人の女に口論で徹底的に負けたはらいせとばかりにその口論そのものが“公務執行妨害”であると無理矢理に解釈し、王城の警備兵に一時的に与えられた逮捕権を――強行にも――行使して拘束に至るというのは言語道断であろう。変装した王女を見破れなかった観察眼の欠如も気に入らないが、千歩譲ってそれはまだ良い。変装を解いた後も顔パスで通そうとしない融通の利かなさはむしろ合格だ。面相だけで安易に信じないのは警備の基本中の基本。その点は非常に素晴らしい。しかし、いくらこっちが様々な証拠を提示しても城のシステムと照会させようとしない、そこまでの融通の利かなさはむしろ愚鈍である。“公務”と言うのなら、通すべき者を通すこともまた門番の役目であろう。さらに、何よりも、そもそも彼が城にやってきた人間と『口論』をすること自体がどこまでも『不可』なのだ。彼は王城の門番である。誰にどんなことを言われようとも毅然としていなければならなかった。冷静に、声を荒げることなど一つもあってはならなかった、自ら口火を切るなどあってはならなかった、彼は王城の顔として威厳を示し続けねばならない存在であったのだから。まあ、口論自体は――自分の城を守る人間に突っぱねられて口論する王女、なんて楽しすぎることだからとことん味わわせてもらったし、その時は楽しさに免じて少しは罰を軽くしてやろうかとも考えていたが、最後に逮捕という蛮行に出てきたからには、それはもうありえない。あれは、王軍に入り王城の警備部に配属されたからには、表面的には素晴らしく有能な人間であったろう。しかしその本質は、無能。口論をしたからこそより深く理解した。あれは己の能力を自ら潰し、また身内にも損害を与えるタイプの無能である。
「『最近、ようやく人材が揃ってきてねー』なんてニトロに言ったそばから落とし穴よ」
 ティディアの腸は、煮えくり返っていた。
 新人門番があまりに不適格者であったことも腹立たしいが、ニトロに言った自身のセリフが間抜けであったことがまた腹立たしい。
「当然ながら――」
 と、ティディアの一歩半後ろに続くヴィタが、手の中の携帯を見ながら言う。
「各所から謝罪が」
「後回し。人事担当とは会って話をしたいから、調整を」
「かしこまりました」
「それからあれが自殺しないよう監視させておくように。必要ならカウンセラーを」
 その指示は情のためではなく、王女の“イメージ”を守るための戦略であった。元よりティディア姫には『厳しい王女』というイメージがあるが、しかし、そこに“死”の要素までを強く含ませるのは今は都合が悪い。“ティディア姫”には『厳しさ』に反する『親しみのある』というイメージもある。事件直後の自殺、という要素はそちらにも甚大なる悪影響を及ぼしてしまうし、さらに『ニトロ・ポルカト』という『恋人』のプラスのイメージが大きく働いている現在、それは絶対に避けるべきことなのだ。
 ヴィタは無論、それを理解していた。
 そして、それを理解しているのはヴィタだけではなかった。
「既に」
 執事の、少し驚いたような一言に、ティディアは足を止めた。振り返るとヴィタは面白そうに口元を緩めていた。ティディアは、オウム返しに問うた。
「既に?」
「警備部長がそのように」
「ふむ」
 ティディアの目の色は、納得半分。警備部長の人柄と優秀さは知っている。王城警備兵として致命的な失態を演じたとはいえ、あれは未だ部下である。部下であるからには己の責任として守ろうとするだろうし、また彼自身の責任からも逃げないだろう。が、彼の有能さはあくまでその範囲。政治的な思惑で行動するタイプではないし、ヴィタの表情からも“それだけ”が理由とは思えない。
 主人の目の促しに、執事は答える。
「カウンセラーの手配は先んじてミリュウ様がご助言なさったようです――秘密裏に」
 ティディアは、にこりと微笑んだ。
「そう」
 幸運で幸福だった一日の最後にケチがついたと煮えくり返っていた腸が、急速に静まっていく。
「彼からの陳情は?」
「それも既に」
誉めておいて
「かしこまりました」
 誤解なくこちらの意を汲んだ声を返す執事へうなずき、再び広い王城を歩きながらティディアは問うた。
「ミリュウからは?」
 ヴィタは、その問いが、主人が妹姫に任せた会談についてのものだと的確に察し、
「会談は、万事つつがなく指示通りに」
(会談は――か)
 ティディアは腕を組み、
「パティは?」
「道中、軽度の過換気症候群に陥ったそうですが、すぐに落ち着かせたとのことです。会談もミリュウ様のみで臨まれました」
「そう」
 ティディアは、胸中に小さく息をついた。
(この手筋もだめかぁ……)
 今回、ミリュウにパトネトを帯同させたのは、重度の人見知りであるパトネトの“対面訓練”の意味が大きかった。会談自体にパトネトが必ずしも出席する必要はない。ただ、交渉内容が『技術』の提携についてであり、また相手が交渉人というよりも技術者としての性質が強い者であったため――パトネトはその相手の書いた論文に興奮してもいた――その『技術』という話題と共通点をある種の“目隠し”とすれば、いっそ会談中ずっとミリュウの影に隠れていてもいい、そうすれば、この条件下であればパトネトも何とか『他人』の前に居続けることくらいはできるのでは?……と、そう考えていたのだが……
(難しいわねー)
 頭が良く、優しい子であるのだが……いや、だからこそなのだろうか。弟のあの極度の人間への不信感、あるいは恐怖心は、正直大問題である。しかし大問題であるとはいえ、ティディアは弟のその性格を少々強引にでもめようとは微塵も考えてはいなかった。弟の才能は『クレイジー・プリンセス』秘蔵の武器と言っても過言ではない。それを潰してしまうようなことは絶対にあってはならないのだ。下手を打つわけには、いかない。
(どうしたものかしら)
 まあ……この問題は、急けば事を仕損じるだけだろう。
 こちらは“おいおい”でいい。
 ティディアは自室の前までやってくると、ヴィタに言った。
「執務室に軽食とお茶を運んでおいて」
「かしこまりました」
 一礼し、ヴィタは踵を返すと足早に去っていく。
 ティディアは部屋に入るなり、
「ミリュウへつなげて」
「カシコマリマシタ」
 部屋付きのA.I.が応え、ティディアの前に宙映画面エア・モニターを投射する。エア・モニターは窓際のテーブルに向かうティディアについて動き、そして、画面に笑顔が現れた。その笑顔の主はカメラから一歩下がって優雅に一礼し、
「ご機嫌麗しゅうございます、お姉様」
 再び上げられた顔にあるのは、いつ見ても人を和ませる柔らかな笑顔だった。と、その笑顔が少しだけ悪戯っぽく変化し、
「『留置場』のお加減はいかがでしたか?」
 ティディアは笑った。
 妹は、姉を気持ちよくさせるツボをよく心得ている。
「上々よ。いっそ観光スポットにしてしまうのも面白いかもしれないわね」
「1留置につき千リェンでしょうか」
「それじゃあ客が殺到しちゃうわよぅ。1万くらいならちょうどいいんじゃない? 『ティディア姫と同じ体験を』って――いえ、それじゃあ10くらい取らないと長〜い行列ができちゃうかしら」
 冗談めかせて言うと、ミリュウは冗談に笑いながら小首を傾げ、
「でしたら、わたしが第一号としてお支払いいたします」
 妹の笑みの奥、その双眸には冗談など存在せず、妹が心から真剣にそう言っていることをティディアは見抜いていた。彼女はうなずき、
「今日は、ご苦労様」
 話題を変えた。
 するとミリュウの顔が王女のものとなる。
 その移行の早さもティディアの気に入るところであった。
 ミリュウが先に出した話題には、ミリュウ自身が関わったことがある。
 そう、警備部長への助言だ。
 その助言の通りに動いた警備部長は最低限の面目を守った。
 そのためティディアは、長に監督責任を問うことは免れなくとも、とはいえ彼にまで大きな罰を与える必要まではなく、またそれは厳しい王女が――厳しくとも仕事ぶりはしっかりと評価すると世間に知られた王女が、上司の首をも切らずにおく理由として十分考慮可能なものとなった。故に、ティディアは、ごく自然に優秀な人材を失わずに済んだのである。
 ミリュウの働きは小さくとも、実に大きい。
 そのことでミリュウはティディアの“お誉めの言葉”を期待してもいいだろうし、実際、内心では期待していることだろう。
 だが、“その働き”を彼女自らが主張することは決してあるまい。もっと言えば、妹は己の行為が姉に知られぬまま終わっても構わないとも思っているだろう。
 ――だが、人の心は……“それでも”……と、期待をしてしまうものなのである。
 ミリュウの裏側には間違いなくそのような大きな大きな期待がある。
 そしてそれはきっと、はちきれんばかりに膨らんでいることだろう。
 それをも見抜きながら、しかしティディアはあえて話題を変えたのだ。
 期待していたであろうはずのミリュウの顔に、不満や失望というものは、全く見えなかった。それだけでなく、ティディアの期待通りに、話題に応じて『妹』から速やかに『妹姫』へと移行してみせた。それは素晴らしい『成長の証』であった!
 ティディアは微笑み、
「立派に役目を果たしたわね。パティのことは残念だったけれど、貴女のお陰で大事には至らなかったようだし……ミリュウ、ありがとう。助かっているわ」
 その言葉に、ミリュウは頬を赤らめた。
「勿体無いお言葉です、お姉様。わたしはお膳立てしていただいたものを、指示通りに進めただけですので」
「謙虚ねえ、ミリュウは」
 ティディアがくすくすと笑うと、ミリュウは慌てたように目を丸くして、それがまた姉から賜る誉め言葉だったことに気がつくと、小さくうつむきながら目を細めた。その目は潤んでいるようだった。小さくうつむいたその照れ顔は、姉から見ても可愛らしかった。
「しかし、お姉様。わたしは、お姉様のお幸せのお役に立てたことこそ、心から光栄に存じています」
 照れ隠しなのだろう、不思議な言い回しでミリュウが話題を変えてくる。無論ティディアは妹が何を言っているのかを察し、わざとらしい驚きを含めて、
「耳が早いわね」
「お姉様のことですもの」
 ミリュウは誇らしげに言う。姉のことは一番自分が解っている、そう言いたげなほどに。
 ティディアは、微笑み、
「ええ、ミリュウのお陰で、とても幸せで、とても楽しい一時を過ごさせてもらったわ。お姉ちゃん、ミリュウがいてくれて本当に良かった。これからもたくさん我が儘を聞いてもらうかもしれないけれど……」
 ティディアは、画面越しに相手の瞳をじっと覗き込み、
「よろしくね? ミリュウ」
 その言葉と、姉の美しい微笑みにミリュウは半ば恍惚とした顔となり――やおら、我を取り戻したようにはにかんだ。
「はい」
 ミリュウの短いその返事にこそ、幸せがあった。
 ティディアは微笑みを保ったまま、ミリュウを観つめていた。
 妹は実に順調に育っている。それがまた愉しかった。
「ところで、お姉様」
 ティディアにじっとミられていることに気づいたミリュウが、慌てたように言った。
「なあに?」
「『ニトロ』様には、いつ頃ご挨拶させていただけるのでしょうか」
「そうねー」
 言いながら、ティディアは目を上向けた。
 パトネトの人見知り対策と同様に、ニトロを陥落させる戦略も難題であり、かつ最優先にして最重要案件だ。されどこちらも急いては事を仕損じよう。ましてや“家族との対面”なぞ、現段階では早過ぎる。
「おいおい、会ってもらうわ」
 ニトロという大切な『相方』を思い、極上の笑みを浮かべてティディアは言う。
「彼に、私の大切な妹に」
 その笑みとそのセリフとが、再びミリュウの心を惚けさせる。彼女は姉の妖しい“極上”に引きずられるようにして微笑み、うなずいた。
「はい、お姉様。その時を楽しみにしています」




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