大吉 /2013

(『誕生日会』の三日後)

 ニトロは、満足だった。
 食卓兼勉強机のテーブルに頬杖をつき、彼は心から微笑んでいた。
 今日、彼は芍薬と共にウェジィへ行ってきた。『劣り姫の変』の最中、芍薬のためのアクセサリーを注文したリッチェム宝飾店から連絡があったためだ。王家広報が公開したティディアの誕生日会の映像が大きな大きな話題となっている今――加えて受験生にとって非常に重要な模試が近い今、登下校以外に外出するのは極力控えて自宅に篭っていたのだが、しかしその連絡を受けては早速受け取りに行かずにはいられようもない。まさに煮え滾るほど『ホット』な話題の中心人物である自分が、人出の多いところに行けばどんなことになるかと解っていても。
 その結果……予想通りウェジィでは相応の混乱を引き起こしてしまい、現地の関係者各位には大きな迷惑もかけてしまった。
 ニトロの胸にはそれに対する呵責がある。
 もちろん混乱を引き起こした原因の全てが自分の責任によるところではないことは理解しているが、やはり性分としてどうしても気にしてしまうのだ。気にして……出来る限り早くこのような事態を生む『環境』と『状況』から抜け出したいと、歯痒くもなるのだ。
 しかしそれでも、彼は、今この一時だけは心から満足していたのである。
 色々と憤懣やるかたない状況の中、この手に受け取ることのできた素晴らしい品。
 ――『カンザシ』。
 異星いこくの髪飾りを、解像度の低い画像と映像、加えてそれら画像と映像を元に作成した粗い3Dモデルだけを参考に作って欲しいという無理な注文に、アデムメデス有数の老舗宝飾店の職人達は見事に応えてくれた。
「エヘヘ」
 ニトロの見つめる先には芍薬がいる。
 家に帰ってきてからもう何度も衣を替え、その度にニトロにカンザシを挿し替えてもらっては、部屋付きのA.I.用のカメラに向けて笑顔を作る芍薬が。
「エヘヘへ」
 芍薬の――アンドロイドの頬にはほのかな紅が差している。おそらくアデムメデスに存在する機械人形の中でも最も優秀であろうその感情表現機構エモーショナリーは、人工眼球をわずかに潤ませてすらいる。
 白々と明るく輝く室内灯の下、紫紺のフリソデを着る芍薬の頭には藤の花を模した芸術品が輝いていた。芍薬が袖口を手で摘むようにして腕を小さく振り振りポーズを作る度に、紫水晶で作られた花が、艶やかにきらめく。
「エヘヘヘヘ」
 袖口を唇に寄せて笑う――そこには『母』の面影がある――芍薬の姿に、ニトロの笑みが自然と深くなる。
 彼の眼前、テーブルの上は立派な宝石箱が置かれていた。リッチェム宝飾店が用意してくれたカンザシ専用のものである。形は非常にシンプルで、横に長い長方形、三段の抽斗ひきだし。抽斗の内部は落ち着いた暗赤色の布で覆われ、その被覆の下には品物を守る衝撃緩和剤と、外圧に耐えるための合金がはめ込まれている。外側は耐火性の高い合成木材に重ねて耐火性の高いコーティングがされていて、その色は漆黒、そこにカンザシの映像資料に映り込んでいた異星の箱を参考にしたのだと、金粉でアデムメデス伝統の蔓バラの模様が品良く描かれていた。抽斗は通常のキーとA.I.が保管する電子キーを併用しなくては開かないよう細工がされており、また合成木材の中には細かい金属繊維が含まれていて、それが鎖帷子様の働きをするため単純に箱を壊して中身を取り出すことも難しい逸品。この箱はサービスとのことだったが、正直これだけでも高級品だ。今は無造作に開け放たれた三段の抽斗には、上から4・4・8の仕切りがある。下段――8の仕切りに納められているのは、丸い玉を戴くシンプルな『ギョクカンザシ』という種類。虹の7色に白が加わっての計8つ。また、ギョクとは王の別称でもあるらしく、ならばこの種類がカンザシの王道でもあるのだろう。それから上・中段には、四季のごとに二種類ずつ、花をモチーフに作ってもらった豪華な『ハナカンザシ』が納められている。現在芍薬がつけているのは、初夏の花だった。
 日常的に使うのは、やはり王道の『ギョクカンザシ』だ。主人のボディーガードを務める芍薬にしても、激しい動きの邪魔になる『ハナカンザシ』を普段使いにするつもりはない。
 しかしフォーマルな場で、あるいは芍薬に少し飾って欲しい時のためにとニトロ主導で頼んだ『ハナカンザシ』は――このため費用が嵩むことになったが、しかしその大きな出費も何の痛痒もないほどに、いや、むしろ安く良い物を得ることができたと感じられるほどに見事なものだった。リッチェム宝飾店の主は、王女の誕生日会に合わせたかったが質を追求したために間に合わなかったと言っていた。そのこだわりの賜物であろう、素晴らしいアデムメデスの職人の技芸が芍薬を、ニトロ・ポルカト自慢のパートナーを実に美しく飾ってくれている。
 カメラを正面にしていた芍薬がくるりと反転して背を向けた。するとその動きにあわせて藤の花が大きく揺れる。シャラリと小気味の良い音を立て、紫水晶の花弁が光を複雑に反射させて穏やかに輝いた。
「エヘ、ウフフフ」
 もう何度も……きっとどうしても堪えられないのであろう声を漏らして芍薬は満面に笑みを刻む。
 と、ひとしきり満喫したらしい芍薬は部屋の隅へといそいそと移動した。そこにはクローゼットから引き出してきた芍薬の――アンドロイド用の服が納められている大きなプラスチックケースがある。
 プラスチックケースの前で芍薬はいそいそとフリソデを脱ぎ始めた。独特な形をしているそれを器用に畳んで丁寧にケースに仕舞い込み……と、そこで芍薬はこれまでとは違う微笑みを浮かべた。芍薬が新たにケースから芍薬が取り出したのは、つい昨日、『母』である撫子から送られてきた最新作のユカタだった。心地良い衣擦れの音を響かせて、芍薬の身は、やがて川を表現した白藍の地に鮮やかな紅葉の刺繍を散らした衣に包まれる。
「――ドウダイ?」
 マスターに良く見えるよう袖口を小さく掴み、腕を広げて披露する。
「うん」
 マスターがうなずくと、芍薬は嬉しそうに小首を傾げた。その拍子に藤の花がゆらりとかろやかに揺れた。……が、
「でも、それにはこっちかな?」
 ニトロが言うと、芍薬はうなずいた。
 芍薬がいそいそ歩いてきて、ニトロの前で背を向けるや膝を折って座る。彼は芍薬の髪から藤のハナカンザシを外して箱の中に静かにしまった。代わって彼が手に取ったのは、紅縞瑪瑙の玉をあしらったギョクカンザシであった。
 親友が胡散臭く語るには、カンザシというものはそもそも耳掻きであり、また、護身用の、あるいは暗殺用の武器でもあるという。その用途としての特徴が最も判り易いのが、このギョクカンザシだということだ。真球に磨き上げられた紅縞瑪瑙を真っ直ぐ貫く真鍮製の心棒。玉から短く突き出ている一方が耳掻きの部分。それとは逆に長く突き出ている一方が髪に挿すための部分であり、同時に人を刺すための部分でもあり、本来その先端は極めて鋭利に尖っているらしい。――とはいえ流石に武器としては不要であるため、今回は先端を丸くしてもらってある。
 加えて、この16本のカンザシには元の資料にはない特徴があった。
 どうやらこのカンザシを挿すにはそれに適した髪型・使い方があるらしく、ヴァーチャル内ではただポニーテールに合わせるに支障のない形だとしても、現実では、ただポニーテールに挿すには少々障りがあると芍薬が主張したのだ。
 つまり、外れやすい、という問題である。
 まとめた髪の付け根に棒を単純に挿し込むだけの形では、日常生活を送る限りでは支障がないとしても、およそ少し激しい動きをすればすぐにずれてしまい、あるいは抜け落ちてしまうだろう。それでは困る。問題解決の手段としては髪形を変えることも考えられたが、しかし見慣れた髪型は捨てがたい。しかもこのポニーテールという髪型は、芍薬にとっては撫子にデフォルトの肖像シェイプとしてデザインしてもらった思い入れのある髪型なのだ。
 そこで注文時に、カンザシの心棒の根元には装飾を兼ねた留具ピンを加えてもらうよう頼んだのである。
 ニトロは紅縞瑪瑙のギョクカンザシをポニーテールの根元にゆっくりと挿し込んだ。
 小さな爪状の留具が艶のある人工毛髪をくわえ込み、しっかりと納まる。
 間近で見てももはや人毛にしか見えない黒髪の上で、職人の目で吟味された模様も優美な縞瑪瑙の紅色が、見目麗しく鮮やかに映える。
 その紅色はユカタの紅葉の色とも調和して、それはそれは風雅であった。
「うん」
 ニトロが喉で鳴らした納得の音を聞き、芍薬が勢いよく立ち上がった。部屋の中央、カメラが最も見やすい場所に向かう。そして何度も角度を変えてカンザシと新しいユカタの様子を確認し、やおら、
「ウフフフフフ」
 その蕩けるような芍薬の笑顔に、ニトロは至極満足だった。
 ――と、その時、ふいに芍薬が笑顔を消した。
 芍薬がニトロへ振り返る。
「?」
 ニトロは笑顔を消した芍薬の顔が、今度はやけに張り切っていることに気がついた。
 芍薬はニトロの脇を素通りして洗面所に向かい……すぐに戻ってきた芍薬の手には、タオルがあった。芍薬は続けて椅子の上にあるクッションを二つ手に取ると、それらを並べて床に敷き、敷いたクッションの前に正座すると、次いでタオルを二つ折りにするや揃えた己の膝の上に敷く。それからカンザシを抜き取った芍薬は、空いた手でタオルを敷いた膝をポンと叩いた。
「サ、主様」
 ニトロは苦笑した。
 彼は芍薬の意図を察して、思わず苦笑してしまった。
 その張り切り顔は見た覚えのあるものだ。
 芍薬のその体勢も見間違えようのないものだった。
 そして、そう、親友が胡散臭く語ることには、カンザシというものはそもそも『耳掻き』であるらしい!
 ならば芍薬が「そうしよう」と考えていたのは至極当然のことだろう。
 ニトロは芍薬に歩み寄り、敷かれたクッションの上に仰向けに横たわった。遠慮することはしない。これが二度目……それでもやっぱり妙な照れを覚えてしまうが、しかし芍薬の今日の喜びに水を差すのは不本意以外の何ものでもない。位置を合わせて芍薬の膝へ頭を載せる。と、ニトロを満面の笑顔が覗き込んだ。
「主様」
 勝気な性格を伺わせる切れ長の目を柔らかに細めて、芍薬は朗らかに言う。
「アリガトウ」
 その一言で、十分だった。その一言以上に気持ちを伝えるものはなかった。
「どういたしまして」
 ニトロは頼もしいパートナーに笑顔を送り返し、それから体を横向けた。
 すぐにカンザシの耳掻きが――ウェジィでも名うての職人達が細部にもこだわり作り上げた逸品が、芍薬の指先の力をニトロに心地良く伝えてくる。
 その心地良さにもまたココロよりの感謝が込められていた。
 ……ニトロの胸には、現状への憤懣と、時に様々な人達へ迷惑をかけてしまう呵責がある。もっと言えば将来への不安もあり、差し当たって直近の模試への緊張感も――例えそれらに無自覚だとしても――そういったものは常にある。
 しかしニトロは今、満足だった。
 心地良さと共に伝わってくる感謝は、芍薬への新たな信頼感を生む。何度も感じ、常にも感じている信頼感がより強くなって生まれ変わる。こうして何度も、何度も。
 そしてこの信頼は、絆は、いつだってニトロの胸の強張りをほどくのだ。
 ニトロは目を閉じ、吐息をついた。
「模試で、いい点が取れそうだよ」
「ン?」
「今、そう思った」
「ソウカイ」
 目を閉じたニトロに芍薬の顔は見えない。だが、その声音から、ニトロは芍薬も微笑んでいることを感じ取っていた。




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