「はっきり言って『カワイレポップ』は不味いっつうより酷かった」
学校は解放感に満たされていた。
「どうしてああいうのが定期的に出てくるのでしょうねえ」
夏季長期休暇まで残り一日。加速度的に生徒の気分を浮つかせる放課後。人影も幽かな教室で、ニトロはハラキリに言う。
「そりゃ悪食嗜好っつうか、ネタ嗜好っつうか、そういうのがあるからだろ?」
「それとも味見のし過ぎで味覚が麻痺した結果の産物か、商品的に目立てれば良しなのか」
「目立てたとしても悪目立ちだよ。それにあれはいくらなんでも攻め過ぎだ。『ベスハッコ』の方がずっとましだと思えるとは思わなかったよ」
「あちらも癖がありすぎたものですがね」
「そういやクオリアが箱で買ったって」
「おや、まだ癖になったままでしたか。というより箱で買うほどに?」
「
「なるほど。というか、クオリアさんはそっちの方でも一端スイッチが入ると猛進するんですね」
「自分でも悪い所だって言ってた」
「そうですか」
「長所でもあると思うって言っておいた」
「そうですか」
ハラキリは笑って、窓の外を見る。ニトロも校庭を見下ろした。
開け放たれた窓からは七月の風が入ってきている。
空気はからりとしていて心地良い。
青い空には綿を適当に千切ったような雲がいくつも浮かぶ。
校庭には運動に励む生徒達。
明るい声が乾いたグラウンドにこだまして、種々のボールがそれぞれのユニフォームを着た各部員達の間に行き交い、基礎体力を向上させようと少年少女が地を蹴っている。陸上部の集まる一画では黄色いスニーカーの女子が後輩のためにハードルを並べていた。
「園芸部は」
「ん?」
ニトロはハラキリの視線を追って、自分のちょうど死角にある場所へ振り向いた。
制服の上にガーデンエプロンを着けた生徒が七人、花壇の手入れをしている。どうやら花期を終えた一年草を片付けているらしい。唯一人の男子がスコップを突き刺して、新しい苗のために土を耕していた。
「楽しそうですね」
「変わり者らしいよ」
「誰がです?」
「あの一年の男子」
どうも腰を痛めそうな調子でスコップを操る少年を眺め、ニトロは続ける。
「フルニエが言ってたけど、園芸部に入ったのは植物の知見を豊かにするためなんだって」
「はあ、知見とはまた小難しいですねえ」
「将来的には生物工学の道で名を成すんだそうだ」
「そこまで断言するなら立派です。部内では浮きそうですが」
「見た感じ仲良くやってるみたいだけどね……力仕事も買って出ている感じだし」
「あれじゃあすぐにバテるでしょう」
「よっぽど楽しいのかな。それとも女子にいいところを見せたいのかも」
「ふむ。ただの科学バカってわけじゃないのなら、浮いたところで女子がうまく転がすでしょうかね」
「いやお前、言い方ってもんが」
「次に何を植えるか判ります?」
「ん?――ポット苗があるけど……ここからじゃ判らないな。でも夜には
「あそこはなかなか楽しめるようになりましたね」
園芸部の公式アカウントは先月リニューアルされ、生徒達の目を引いていた。もちろんその窓口となったのは『ニトロ・ポルカト直伝のお菓子』、そして世間的にも話題となった屋上のレモンという強力なコンテンツであるが、それだけで心の移ろいやすい生徒達の関心を引き続けることは不可能である。
以前は草花の写真を載せながら淡々と活動報告をしているだけであったそのサイトは、現在、校内にある草花を身近に感じられる小ネタや興味を持たれそうなエピソードを交えて紹介したり、花壇のコンセプトを軽妙に語りかけたりと能弁になっていた。あの三人で知恵を絞ったのだろう、写真の撮り方も研究したようで“魅せる”形になっているし、全体的に垢抜けたその雰囲気は、存在自体が地味であった園芸部の印象をも刷新している。
「ハラキリのこともちょっと触れてあったな」
「そうでしたか?」
「『当部の管理する植物・果実のご利用については必ずご相談ください』」
ハラキリは苦笑した。
「そうですね、楽しみにしていた果実が摘み取られていたら悲しいでしょう」
「本当に悲しいぞ。果実でなくても、花でも葉でも」
ハラキリはニトロの真剣な顔を一瞥して、また校庭に目を戻した。
「ええ。悲しいのでしょう」
ニトロも、校庭へ目を戻す。
体育館の傍で直径18cmのボールを蹴り合う生徒が二人いる。
片方は大柄な男子で、片方はすらりとした男子だ。
二人の近くでは
二人はどうやらそこから余ったボールを借りているらしい。
すらりとした男子の動きはこなれていないが、それでもなかなか巧くボールを蹴り返している。大柄な男子は慣れた様子でボールをコントロールしていた。すらりとした男子は何度もボールを落とす。が、それでゲームが終わることはない。大柄な男子は返球されてから二回まで許されているリフティングをまるで後輩達への見本のように華麗に駆使して、ポンと相手へ蹴り返す。ポン、ポンと蹴り上げられるボールが、青空の下で二人の間を何度も往復している。
ハラキリが言った。
「あの時は、先代の部長さんが心の広い方で助かりました」
「……。
ところで、あんなところにイチジクがあったんだな」
その言葉にハラキリはまた苦笑した。それはあまりに遠回しな質問であった。彼はニトロへ
「お察しの通りですよ」
その答えに、ニトロは満足気に目を細めた。
「やっぱり聞かれたんだ」
「校内をいくら探しても見つからなかったそうです」
「確か――あん時は敷地内って言ってたっけ?」
「ええ」
「つっても、ありゃほとんど外だろ」
そのイチジクが根を張っていたのは学校の敷地の東南端、プールを越えてさらに壁の向こうであった。校舎からは当然、校庭からも見えない位置。しかも道行く人の目をちょっと休ませるように作られた植え込みの中である。校内をいくら探しても見つかるはずがない。そしてまた、そのイチジクはそこに元からいる
「ほんと、よく気づいたよなぁ」
「たまたまですよ」
「だけどハラキリには用のない場所だろ? あの道を通る生徒だって少ないんだ」
「たまたまです」
それにしても不思議なのは、何故そこにイチジクが
「除草時に抜かれなかったのもたまたまのようですしね」
「見た目は草じゃないしなあ、ひょっとしたらそこで育ててると思われたのかも」
しかし一つ確実に言えることは、イチジクをそのままそこで育てるわけにはいかないということだ。生育に適した環境ではないし、サルココッカにも悪い。もしそのイチジクが大きくなれば、植え込みを囲むコンクリートが割られる可能性もある。
そこで園芸部は学校の許可を得てイチジクを掘り上げた。
鉢植えにして、屋上のレモンと並べた。
時期外れの植え替えであるためちゃんと根つくか不安であるが、うまくいったら来年には挿し木を作って鉢も増やしたいという。
そのイチジクとレモン、それぞれを花言葉と共に併せて紹介した
「何にしても全部上手くいくといいな。時間がかかることだけど」
果実については、安定して収穫できるのは数年後になるだろうとのことだ。
「それでも先代さんは喜んでいましたよ。卒業生として遊びに来る時の楽しみが増えたと。もし実がたくさん
「イチジクはフライにしても美味しいんだよ」
「おや、そうなので」
「ずっと前に父さんが作ってくれたことがあってさ、果物をフライにするのは初めてだったからびっくりした。で、美味しくてまたびっくりした。ビネガーを使ったソースがよく合うんだよ」
「
「……何を企んでるんだ?」
「いや別に。決して誰かに話してみようなどとは」
「それで作るはめになったとしてもお前にだけは絶対に食わせないからな」
「ふむ。では、おじさんに頼んでみましょうか」
「ああ、そっちの方が賢明だ」
「こちらは止めないんですね」
「ハラキリが
「そうですか……はあ、まあ、そのうちまたお邪魔することもあるかもしれませんが」
頭を掻くハラキリの様子に、ニトロは笑う。
と、ハラキリの