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――ミリュウは、夢を見る。
――瞼を閉じずに夢を見る。
物心がつく前から。
記憶にない間も。
いつも姉の姿を探していた。
いつでも姉のことを想っていた。
乳飲み子の頃、ティディアお姉様といる時にだけわたしは笑っていたと、父と母は思い出を語る。
やがて物心がつき、物事への理解と分別が備わり出し、わたしは王女というものが何かを知った。
わたしは、嬉しくないと思ったことを、よく覚えている。
けれど、ティディアお姉様と同じ王女様だから、とても嬉しかったのも――よく覚えている。
◇
公式の記録として、ミリュウの乳母として、また教師として名が記されているのは常識では考えられない人物だった。
ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
記録を字面通りに受け取れば、たった三つ上の姉が中心となって三つ下の妹の世話をし、いずれは王女として修めるべき学を授けるというのだ。長い王家の歴史の中でもこのような事例は初めてで、当時の王家家政室室長は『あまりに例外的かつ想定外の提案に会議は混乱を極めた』とコメントを残している。
だが、やむにやまれぬ事情もあった。
ミリュウ姫が、ティディア姫が傍にいないとひどく落ち着かないのだ。
例えば夜泣きがどうという問題ではない。一日中泣きやまない。父か母がいればまだ“落ち着きがない”程度におさまるが、父も母さえもいなければそれこそ朝も昼も夜も泣き続ける。哺乳瓶を口にしている時もぐずり続け、短い食事を自ら終えてはゲップをするより先に泣き出し、泣き疲れると短い眠りにつき、すぐに起きたかと思うと周囲を見渡し“誰も”いないことを確認しては大きな声を張り上げる。
一時は精密な脳の検査も行われたほど、それは異常なことだった。
三ヶ月も過ぎた頃には何人もの乳母が早々にノイローゼになり、入れ替り立ち代り交代していった。
今となっては最硬度の筋金が入った『ティディア・マニア』の逸話の一つにすぎないが、現実には非常に重大な問題として周囲を苦しめた。
なにしろ、乳母はまだ代わりが効く。数人で当番制を組めば精神的な負担を軽減して成り立たせることも可能ではある。しかし、ミリュウ姫に代わりはいない。本人は当番制で交代することなど決してできはしない。王にも王妃にも務めを果たすべき事柄が数多く存在し、数週に渡って外遊に出る予定もあった。それに、その頃には父と母がいても、ミリュウの癇癪はおさまりがきかなくなってきていた。嘘みたいな話ではあるが、両親が娘をあやすために使った道具はティディアの写真であったほどだ。
明らかな睡眠不足に加え、食事の量も足りていない。栄養面は方法次第で何とかなるにしても、精神にかかる多大なストレスはどうしようもない。
このままでは、姫君が『もたない』ことは明白だった。
そこで名乗りを上げたのが、ティディア自身である。ミリュウ姫の今後について苦慮し滞る会議に突然姿を現すと、彼女はとても簡単なことだと切り出し言った。
「わたしが育てます」
誰もが思った。
確かにそれが最良の案だろう。ティディア姫がいればミリュウ姫は健康な乳児そのものである。適度に泣き、大いに食べ大いに眠る。大人しく手もかからない。ティディア自身王女としての勉学に勤しむ必要があるものの、とはいえ公務で忙しい王父母よりは時間の融通が利く。
しかし、通例では王家の子女は各位王位継承権に見合った環境と教育を用意されるために『家族』と住まいを共にしない。両親と過ごすのも三歳時までだ。その他にも様々な慣例やしきたりがあり、翌年には第四位王位継承者の居住であるグレイフィード宮殿に移ることが決まっているティディアの提案を、おいそれと簡単に承認するわけにもいかなかった。
さらにティディアは言った。
「宮殿が王女を育てるのではありません」
たった三つの歳を数えただけの王女の態度は毅然として、その発言に会議に参加していた者の全てが言葉を失った。たった三歳の王女が、つまり、慣例やしきたりの存在を飲み込んだ上で、それにこだわるなと言ってのけたのだ。
「妹とともに暮らすことで、わたしが第四位王位継承権者として立派に育つことはできないと、いったい誰がおっしゃいます」
妹を育てながら自身の勉学にも励むことも宣言してみせた小さな王女に、議場は完全に掌握されていた。
ティディアが口を閉ざし反応を待つ間、皆はやがて冷静さを取り戻し、そしてざわめきだした。彼女の言い分は筋の通るものではある。しかし、いかに早熟極まる知性を見せる王女とはいえ、実情はまだ三歳の子どもに過ぎない。子育てなどは、無論、無理だ。
周囲の者は口々に反対を表明した。
父も母も娘を諭した。
その反応を見越していたかのように、幼い王女は言った。
「ご心配なく。育てるといっても、わたしはお手伝いをするだけです」
その言葉に、今度こそ会議に参加していた誰もが己の意見を失った。
言われてみれば、そうだ。あまりにティディアの言葉が『強かった』ために、姫君一人で妹を育てるのかと思い込んでいた。鑑みれば判然とするその条件を、幼い王女に指摘されてはぐうの音も出ない。
静まり返った会議室を見回して、ティディアはにこりと微笑んだ。
「わたしの意見は以上です。決定に関しては、みな様のご意見にしたがいます」
仕舞いには、ティディアは相手を立てるフォローまで入れてみせた。
大人びた、ませた、こまっしゃくれた――等々子どもに対し与えられる形容は色々あれど、その時会議室にいた大人が一様に脳裡に浮かべた言葉は『神童』であった。
かくして、歴史的な決断が『王権』を
それからミリュウ姫に物心がつくまでの間――特に三年の間は公の場に姿を表す王女ティディアの傍らには、常にミリュウ姫がいた。始めは
記録にある通り、ミリュウの乳母兼教師の任にはティディアがついた。もちろんそれは名目上のことであり、実際の乳母と教師らは補助として名を記されている者達だった。
しかし、実際には、乳母として教師としての役目を全うしたのはティディアだったという。そもそも姉が傍にいればミリュウは全く手のかからない子であったが、それにしても幼い姉姫の働きは見事だったと語られる。乳母や教師らの指導を素早く飲み込み、また彼女らの指導を受けるよりも先に学習し、そして彼女らをよく助け、最後にはよく助けさせた。
そうした事実が広く知られるに従って、小さな妹を優しく世話する賢くも美しいティディア姫は国民のアイドルとして、育ての姉と手をつないで笑うミリュウ姫はマスコットとして人気を博した。
その絶大なる人気は凄まじく、それにつられて元より人徳者で知られる王への支持はより強まり、当時の第一王位継承者――長兄のロイスも多少の素行の悪さが露呈したとて『良い兄』の振る舞いをするだけですぐに善き王子のイメージを得られるほどだった。
時が経ち、王女としての勉強を開始したミリュウに先輩たるティディアが教師と共に立ち姿の手本を見せている写真は特に有名であり、毎年ベストフォトを提供してきた姉妹の写真の中でも最高の画像としてアデムメデスの記憶に残っている。
二千年の時を超えてなお愛される大クラシックの秀作、ブッドミストの『ピアノのための練習曲第8番「春草」』を弾いてみせる
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