今現在、アデムメデスは『王女の恋人』の話題で沸騰していた。
テレビ・ラジオ・インターネットなどマスメディアはもちろん、学校、通学路、街角に路地、繁華街や
「でもさあ、全然カッコ良くないよね」
背後から女性の声。
「ティディア様と並んだら全然ダメじゃん」
「ティディア様と並べたら誰でもだよ」
「だけどもっとイイ男イッパイいんじゃん。何でこんなのなんだろ」
「しかもティディア様のこと殴るようなやつなのにね」
「あれ、ビックリした」
「ビックリどころじゃないよ! 信じらんない!」
「でもティディア様は喜んでるみたいじゃん」
「そうみたい」
「なんでだろ」
「あたしが分かるわけない」
「ニトロ・ポルカトには何かあるのかな」
「そうでなければ絶対お付き合いなんてなさらないッ」
「そりゃティディア様を殴っちゃえんのは普通じゃないんだろうけど、どの話を聞いてもただの高校生じゃん?」
「頭がいいのかも」
「成績は普通だって」
「もしかしたらちょっと試してみたいだけなのかな」
「高校生を?」
「だって相手はティディア様だよ? もう絶対メロメロだよ。そういうのかわいがるの、楽しくない?」
「でたよS発言。あんた年下にいじわるするの好きだもんな」
「だって、いいよぉ? 一度試してみなよ、紹介するから」
「やーだ、あたしは年上がいい」
「ニトロ・ポルカト、かあ。運だけはいいよねぇ」
「でもやっぱカッコ良くないよ。もっとドリメン、もっといるのに」
トクテクト・バーガーの窓際のカウンター席でしょぼしょぼとフライドポテトを齧っていた彼は、ちょっと泣きたくなってきた。
分かっている。
自分が『
「こんなのさ、どこにでもいるじゃん」
その通り!
思わずそう言ってやりたくなるが、その気力もない。
「キホン男は顔がよくなきゃ」
「あんたはいっつもそれだよね」
「だからあたしはニトロ・ポルカトはヤだ」
まさに突然降って湧いた『希代の王女の恋人』について、世に流布される言説は数限りない。このような時、その人物に対する一定の評価が定まるまでは議論も特に混沌とするものだ。優しい言葉で見守る者もいれば、口汚く貶す者もいる。そして一定の評価が定まったら定まったで、それを“基本設定”にして大衆は好き勝手に語り続ける。
ニトロは、彼自身、耳を塞いでも聞こえてくる『ニトロ・ポルカト』の洪水に溺れそうになっていた。親友は取り合うだけ無駄だと言ってくれるけど、だからといって水位は嬉々として増してくる。一人では逃げ出すこともできそうにない。立ち向かうことも、この濁流を泳ぎぬくことも当然できまい。このままではいつか本当に溺れてしまうだろう。そうして溺れれば……
休日、昼食と夕食の半ばにかかる時刻、世間に親しむファストフード店内は程よく込んでいる。
「わたしは良い子だと思うの」
別の方向からそんな声が聞こえてきた。
「それに姫も庶民感覚を学ぶ良い機会だと思うの。この前も一晩で1000万も使ったっていうじゃない」
「うちの年収より多いのよ、うらやましい」
「ねえ? ひどい話よ」
「どうせ長続きしねぇよ」
また別の方向からドスの効いた断言が絡みついてくる。その語尾に重ねるように退屈そうな声が、
「ねえ、アーシズんとこに行こうよ」
「えー? どうせまた下手な歌を聞かされるだけじゃん」
どうやら面食いなお姉さんとSなお姉さんは仲良く店を出て行ったらしい。
――今更ながら、ニトロは痛感していた。
このような店で外食などすべきではなかった。
だけど馴染みのファストフード、新作の肉厚バーガーを食べてみたかったのだ。
それくらいの望みも叶わなくなるのは……
「あんなんだったら俺の方がずっといいだろ」
さっきの方向から攻撃的な音が届いてくる。
「もし目の前にいたら俺が殴ってやるのによ。姫様のこと殴りやがって、調子に乗ってんじゃねぇってんだよ」
「お前はティディア様のことマジで好きだよなぁ」
「好きじゃねぇ、好きどころじゃねぇよ、そんな言葉じゃ追いつかねぇんだ」
まずい。これはきっと『ティディア・マニア』だ。ニトロは身を小さくする。
「なんで姫様もなあ、なんで、あれならほんとうに俺の方がいいぞ」
「殴ってやればお前の方に惚れるかもな」
やめてくれ、ご友人。そんな焚きつけるようなこと!
「そりゃないだろ」
意外にも攻撃的な彼は謙虚だ。しかし、
「ニトロ・ポルカトは“あった”んだぜ?」
煽らないでくれ、ご友人!
「……くそ、あのやろう」
ニトロは食べかけの肉厚のハンバーガーを改めて齧る。何だろう、マスタードは入っていないのに、鼻がツンとする。それがどんなに理不尽な敵意だろうと、それを耳にして怒りよりも悲しみが先に立つ。作り立ての時は溢れる肉汁で気持ちも弾んだが、少し冷めただけで旨みは消え失せた。せめて舌が慰められれば心も浮き上がるのに、これならテイクアウトで食べれば良かったと心は沈む。
「ねえ、ちょっとは言い返したら?」
その声は、すぐ傍で聞こえた。