太陽はそろそろ刻の端に触れるだろう。暖かな冬の日は晴れ渡り、
「それにしても」
と、腕を組み、助手席の窓から下を眺めてハラキリが言う。目的地はもうすぐだ。
「まさかディナーにお呼ばれするとは思ってもいませんでしたよ」
運転席で
「意外だな」
「何がです?」
「ハラキリは顔が広いじゃないか。中にはそういうのが好きな人もいるんじゃないか?」
「そういうのが好きな人物への心当たりは一つだけですね」
「一つだけ?」
「しかもその人物は、君と共通しています」
ニトロは渋い顔をして前方を見た。果てには地平線が広がる。ほんの僅かに湾曲し、暮れる空と溶け合うその境界に向けて、大地に密集する建造物が何か深い意味のありそうなモザイク画を描き上げている。
「それに拙者は顔が広いわけじゃありません。実際には互いに顔を知らない“交友”の方が多いわけですから」
「うん。自分から振っておいてなんだけど、それ以上は言わないでくれ」
ハラキリは笑い、
「ただまあ君の言う通り、そういうのが好きな人は確かにいますよ、お姫さん以外にもね。しかしそういう人達は大抵ビジネスライクです」
「ビジネス?」
「席上に咲く会話の花は一体どんな果実を実らせるのだろうと計算せずにはいられないんですよ。意図的にも、意図せずにも、交友関係をただ育むということができない」
「意図せずってのは、つまり無意識ってことか?」
「ちょっと違います。それが習性になっているということです」
「ああ、なるほど。ところでティディアはどっちに含まれるんだ? 『そういう人達』に含まれるか含まれないか、どっちにも取れる言い方だったけど」
「彼女がいつだって虎視眈々ということは、君の方が骨身に沁みているでしょう」
「違いない」
そうして話す間にも穏やかな西日は加速度的に落ちていき、東の空には夜の前髪がふわりとなびく。眼下に広がる住宅街には早くも玄関灯を点けている家があった。ニトロが
「ところで急にそんな話をし始めたってことは」
携帯電話の支払いアプリを起動しながら、ニトロは言う。
「もしかして、緊張してるのか?」
「正直言うと、戸惑っています」
「なんで?」
「言ったでしょう? まさかディナーに、と。それも招待主が友人ならともかく、そのご両親です。……なんでしょうね、以前君のお父上に『よかったら食べていきなよ』と言われた時には大して何も感じなかったのですが、今はこう……今更戸惑っています。なんで拙者は了承してしまったのでしょうねえ」
首を傾げるハラキリに、ニトロは笑ってしまう。ニトロが親友にそのディナーの話をしたのは一週間前のことだった。招待の理由は単純に、いつも息子がお世話になっているからお礼がしたい、というもの。好意の他には何もない。ハラキリは苦笑して、すぐに受け入れた。きっと深く考えることもなく、いや、もしかしたら『そういう好意には遠慮をしない方が得策である』という計算が彼の中で意図せず成り立っていたのかもしれない。
無人タクシーが住宅街の発着エリアに着陸する。料金を支払ってニトロは外に出た。ハラキリも降りる。空に上がっていく車体を眺めるハラキリに、ニトロは言った。
「まあ、ここまで来たんだ。気楽に楽しんでいってくれよ」
「その方が得策でしょうねぇ」
そう言ってハラキリはニトロの家に向けて足を踏み出す。その言葉に思わず吹き出しそうになってしまったニトロはそれを必死に押し殺し、ハラキリの隣に並んで歩き出す。
二人は飛行車発着エリアから真っ直ぐ進み、外壁がクリーム色の家に差しかかったところで歩道を曲がった。すると道の先にポルカト宅が見えた。
「また綺麗になりましたね」
再建されて新しいポルカトの家屋と、隣家との間に覗く南向きの庭には冬に咲く花々がある。北向きではあるが歩道のタイルの色と、向かいの家と距離のあるために十分明るい玄関にも、よく手入れされた寄せ植えの鉢が並べられている。鉢はハラキリが以前に来た時より増えていた。
ニトロはハラキリの視線を追い、母の趣味が誉められたと知ってにやっと笑った。
「今日はテーブルも綺麗にセットされてるよ」
「そこまで力を入れられると何だか申し訳ない気がしてきます」
ニトロは思わず色々言いそうになるのを飲み込み、一歩先んじて進んだ。その歩に合わせて合金製の門扉がスライドしていく。開かれた境界を越え、家の敷地に入ったところでニトロはくるりとハラキリへ向き直った。ドアのロックの外れる音がした。
「それではもっと力を込めまして」
と、おどけるように言い、ニトロは馬鹿丁寧に辞儀をする。
「ようこそ、ハラキリ・ジジ様。今宵は当ポルカト家にてお食事をごゆるりとお楽しみください」
その言葉と共にドアがA.I.の手によって開かれていく。
すると頭を垂れるニトロの視野の上隅にあったハラキリの靴が、ふいに消えた。まるで脱兎の勢いであった。何事かと顔を上げると、何故かハラキリは横に跳んでいた。
「?」
どうやらひどく驚いているらしいハラキリの視線を追い、ニトロは背後に振り返る。
そして彼は見た。
ドアの開いた先に中腰で立つ父を。
その父が右肩に何やら大きな円錐状の物体を担いでいることを。
大きな円錐の丸い底は斜め45度に夕焼け空を見上げていた。
一方で錐の尖った先端からは紐が伸びていて、今、その紐を母が握っている、それらをほんの刹那の間に次々と認識した彼は「わ」と口を開いた。ハラキリのように回避せねばと体が動こうとするのを、それより先に両親を止めねばと思う理性が阻害する。結果、彼はまたも見た、
「せーの!」
母がそう言って力一杯、紐を引くのを。
その瞬間、内部からの圧力によって円錐の底が抜けたことを。
彼は見た。
ドガン!
と、耳を聾する炸裂音と共に発射された無数のリボンが空に
彼は見続けていた。
短い悲鳴が聞こえる。
その悲鳴の主は他でもない、両親だった。
色とりどりに飛びかってきた無数のリボンの間隙に見えるのは、チラチラと舞う金銀の切片、模造の花吹雪、パラパラと地上に散らばるイミテーション・ジュエルの粒また粒、それから軽く飛び上がって尻から倒れた我が父と、その場で両目をカッと見開き硬直した我が母である。
「……」
ニトロはゆっくりと息を吸った。腹の底から、怒声が迸る!
「何してんの!?」
偽宝石を踏み潰し、体に絡まる何本ものリボンを掻き分けながらずかずかと玄関に踏み入って、座り込む父の脇、中身を全て吐き出し切った巨大なクラッカーを持ち上げる。残骸となっても存外重い。機械式かガス式かは判らぬが火薬式でないことは確かなようだ。もし火薬式であればここは硝煙に満ち、その臭いは彼に料理を振舞うリビングをも汚染していただろう。
「いつの間に用意してたんだよ、こんなもの!」
すると硬直していた母が息子を凝視する。彼女はか細くも緊迫した声で、
「待って待ってニトロ、お母さんの話を聞いて」
「なにかな!?」
「ECセットを持ってきて、お願い早く」
地区ごとに住民で管理・点検を持ち回りしている『
「なんで?」
「お母さん、心臓が止まっちゃったみたい」
「止ぉまってたらそんなこと言ってられるか!」
「でも今にも爆発しそうにドキドキしてるの」
「びっくりしたんだね、ドキドキしてるんだね、心臓動いてるね、セット必要ない」
「死んじゃわない?」
「生きれる!」
「息子よ、父は不思議とお尻が痛い」
「スッ転んだからだよ不思議じゃない!」
「右耳も痛いんだ」
「耳栓しとけよ分かるだろう!?」
最後の方ではもうニトロの声には涙が混じっているようだった。情けないやら馬鹿馬鹿しいやら、それも親友の前で、しかも段取りにないことをしでかして! これでは色々台無しではないか!
「メルトぉン!」
勢い、ニトロはさらに声を張り上げた。
「手配したのはお前だろう!」
すると家の中のどこからか声が響いた。
「ソノ通リ。超速デ一番景気ガイイヤツヲ
「何を得意気に言ってやがんだ。止めろよ、もしくは俺に知らせろよ!」
「パパサンママサン、ニトロモオ友達ト一緒ニビックリサセテヤリタカッタノサ。ソノ温カイ親心ガ解ラネェノカ?」
「今すぐ辞書を百万回読み込み直せぃバカヤロウ! これはただの勇み足――」
と、そこでニトロは気がついた。
息を飲み、頬を引きつらせる。
ゆっくりと、振り返る。
見事にこの祝砲から無傷で逃れてみせたハラキリは、明らかに困惑しきって立ちすくんでいた。
彼のさらに後方には騒ぎを聞きつけたご近所さんの姿もある。
ニトロは、赤面しないように落ち着くのがやっとであった。
深呼吸して、一度両親へと振り返る。息子の恐ろしい眼差しに尻餅をついたままであった父は慌てて正座し、硬直していた母は“気をつけ”の姿勢でさらに硬直する。息子がうなずいてみせる。すると両親もこくこくとうなずき返す。それからニトロはディナーへの……いいや、本当は違う目的のために招待した親友へ、再び振り返った。
客人はひとまず言葉を待っている。
ポルカト家一同は、声を揃えて言った。
「「「ホーリーパーティートゥーユー」」」
ハラキリ・ジジは、今晩この家で催されるのがお礼のためのディナーなどではなく、自分の誕生日会であることを初めて知った。