友達

 眼下には雪の薄衣をまとうモミやマツ、トウヒらからなる針葉樹林が広がっている。
 まるで凍える大地が己を凍らせる憎き天空へ今まさに無限の矢を射らんとしているかのような光景は、遠く東北東の地平、気候の悪戯か、嫌に血の色を思わせる朝焼けの光を受けてぼんやりと赤く禍々しく――また光陰の境界まどろみ、神秘なるかな、幻想の世界がいずこからともなく表出してきたように神々しく胸に迫る。
 複雑に絡み合う矛盾した性をこうも見事に融和させ、それなのに矛盾した質を見事なまでに乖離させた風景を作り出せるのは自然の驚異というものだろうか。
 一部一部を切り離し付き合わせれば、魔性と神性、天と地、光と闇、命を凍らせていく冬の尖兵に息を吹きかけられながらも緑深く生命力を漲らせる木々、この景色にはけして相容れぬ矛盾が存在しているのに、しかし全てを一つとしてみれば、それらは反目しながらも摩訶不思議と溶け合い、一つの現実としてここにある。
 南大陸はドアクス領、南極圏の深みにある町・ヴェルアレインを目指して飛ぶ飛行車スカイカーの中、素晴らしい景色を眺めていたハラキリは感嘆の息を吐くとハンドルを隠すように現した宙映画面エア・モニターに目を戻した。
 そこには先週……あの『ニトロ・ポルカト強制猥褻疑惑騒動(もしくはエフォラン自滅記念日)』同日に報じられた、ティディア姫とアンセニオン・レッカードが漫才収録前に車中で行っていた『密会(もしくは不倫)』についてコメントを求められている友人がいる。
 それは、昨夜から何度も報じられている映像だった。
 シェルリントン・タワーで行われた月一に一度の王家からの報告――その定例会見の最後に現れた少年。
 サプライズゲストとして呼ばれたニトロ・ポルカトは、突撃取材が禁止されている相手からコメントを取りたくて、でもエフォランの二の舞になりたくないと何日間もずっとうずうずしていたマスメディアの憤懣に生み出された爆光を浴びながら、気色ばんで『不倫についてどう思われていますか!』と声を裏返らせる記者の質問に軽く肩をすくめて答えた。
『こいつが不倫なんかできるわけありませんよ』
 そのニトロの言葉は、確かにもっともなことだった。
 彼とティディアは実際のところ付き合っていない
 であるため、概念的・現実的・理論的に不貞行為は成立しえない
 きっとそのセリフは、ニトロの戦略であったのだろう。彼はその後にこう続けたかったはずだ。『本当は俺たち付き合ってないんですから。だから、こいつが不倫なんかできるわけがないんです』――
 しかし相手は今回も彼の上を行っていた。おそらくティディアは彼の仕掛けを予測していた、いや、むしろ待ち構えていたのだろう。
 会場は再び白い光で埋め尽くされている。
 電子的なシャッター音が轟音となる様は圧巻でもあり、その中で二の句を誰にも聞いてもらえずに狼狽しているニトロはまさに哀しいピエロだった。
 その瞬間、会場にいる全ての意識は、既にニトロを相手にはしていなかった。
 その瞬間には、全ての視線は親愛なる恐怖のプリンセスに向けられていた。
 カメラは歓喜の表情を浮かべるティディアの尊顔をしっかり捉えようとズームし、当然ニトロの姿はあっという間にフレームの外に弾き飛ばされる。
 もはやニトロに成す術はなく、画面は簡単に敵に占領されてしまった。
 敵。――彼女に……
 軽々と不倫なんかできないと恋人に言われ――つまりは、俺のことを好きだからこいつは他の男に心を寄せないしそんなことができるような人間ではないと――恋人からそう絶大なる信頼を受けたために、手で口を押さえ目に感涙を浮かべている姫君に。
『うれしい』
 かすれた、小さな、搾り出された、感激。
 感極まり震えるティディア姫の声を、彼女のみに向けられた高性能指向性マイクが辛うじて拾う。
『――いや!』
 ニトロの慌てふためいた声が低性能マイクのどれかに拾われたが、しかしそれ以上彼が抗議を続けることはできなかった。芸術的なタイミングで涙目のティディアが毅然と胸を張り、会見を終えると告げるや涙がこぼれるのを隠すように会場を後にする。
 それと同時に警備アンドロイドが二体ほどニトロに――見た目にはマスメディアの質問の嵐から大切なゲストを守ろうとしている様子で――襲い掛かり、彼をしっかと捕まえるや彼がろくな抵抗も出来ないうちに王女の後を追ってさっさと退場していく。
 相当うろたえていたのだろう、思い出したようにばたつき出したニトロの脚が一瞬見切れ――
 そこで、映像は終わった。
「まあ、『対メディア』でおひいさんに張り合おうとすればこうなりますわな」
 ハラキリは昨夜から何度となく浮かべている苦笑を刻み、何度見ても面白い映像に肩を揺らした。
 まったく、彼のチャレンジスピリットは素晴らしいとは思うが、相手の土俵(しかも圧倒的な得意分野)にのこのこ乗り込んで策を弄するなど悪手もいいところ。これなら適当に愛想良く流しておいた方が何かとましだ。
 そうすれば、
『お二人の絆、本当にうらやましいです。私もいつかニトロ様のような運命の恋人が出来たらなって思います』
 ――などと、地方のローカルニュース番組の若い女子アナウンサーに心の底から……まるで現実に現れた夢でも見ているかのような羨望の眼差しを受けることはなかったろうに。
 ハラキリが苦笑を深めていると、その女子アナウンサーはふいにさらに顔をほころばせて声を弾ませた。
『冒頭でもお伝えしましたように、今日、ティディア姫がここドアクス領にいらっしゃいます』
 続けて王女は領都で領主・知事の両名と会談をした後、ドアクス領屈指の観光地であるヴェルアレインに移動することを報じ、
『それではコマーシャルの後、ティディア様がお泊りにおなられますヴェルアレイン城と、その城下町、そしてそしてティディア様がお踊りになられる湖上舞踏会会場のご様子をお送りいたします!』
 興奮のため所々言葉遣いをおかしくしたアナウンサーが頭を下げると映像が切り替わり、有名な人形アニメのキャラクターが画面に現れた。
 その人形アニメはティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナが姉のソニア姫より第一王位継承権を譲り受けた時期に放送を開始したもので、ティディア姫が『クレイジー・プリンセス』としての本性を現した後でも、当時、過激に彼女をからかい続けていたほぼ唯一の風刺アニメであり、そのため一躍注目を集めた作品だった。
 ……無論、誰もが次に恐ろしいクレイジー・プリンセスに王権という暴威を振るわれる対象はこの番組だと予測していたものだ。
 だが、何故か、ティディアはそうはしなかった。
 どういうつもりか彼女はそれを捨て置き、彼女に対して嫌味な罵倒(といっても酷さは人形アニメの方が数段上だった)を続けていた別の対象――数名の無能なタレントを潰したと豪語する悪名高いコラムニストを潰したのだ。
 そのことを不思議に思った某局のニュースキャスターが、ある時思い切ってティディアに質問をした。
 何故、あのコラムニストは潰したのに、あの風刺アニメは潰さないのか? と。
 ティディアは答えた。『今のままじゃいずれ潰してもいいわねー』そして続けた。あのアニメは以前の方が面白かった。そこそこ人気が出たくらいであぐらをかいているのかしら。最近雑なセリフが多過ぎるし、単なる受け狙いに走ったセリフも増えてきた、過激なだけじゃすぐに底が知れるわよ、大体先週の回のあのセリフはスポンサーへのゴマすりだろう、お金が入って反骨精神が逝っちゃった? 以前はスポンサーのダサい広告をあげつらって怒らせてスポンサー交代劇までネタにしていたくせに、ああそうだ先週の回の演出は総じて手を抜いたな、いちいち場面転換のタイミングが悪い、あのセリフとそのセリフは使う単語を変えて語尾もいじって前後を入れ換えた方が強烈に作用する、風刺にもなってない悪口雑言は芸にはならない等々『笑えない、つまらない、もっと面白くなさい』
 実に的確な評論だったと、今もってティディアのそれらの指摘は評価されている。
 もちろん立つ瀬がなかったのは人形アニメの製作者である風刺作家だ。自分の風刺に自信を持っていた作家は風刺対象に逆に丸裸にされるという最悪の形で己の未熟を明確にされた挙げ句、気づいていなかった――それとも、気づいていながらそこから目を逸らそうとしていた――自惚れまで暴露されてひどく打ちのめされてしまい、結果として半年の休止を余儀なくされた。
 それ故、この件は『クレイジー・プリンセス』の別の怖さを世に知らしめた事例としても広く知られている。
 その上、半年後に復活した人形アニメのクオリティが上がっていたことも、これまた別の意味でティディア姫の素晴らしさを皮肉にも世に知らしめたものだった。
 作家は二度とティディアに前のような評論をさせないつもりらしく、アニメはそれからというもの現在に至るまで高いクオリティと人気を保ち続けている。
 そして……当然と言うかこれも皮肉と言うか……アニメのキャラクター達の中で主人公を押しのけて人気なのは、ここぞという時にだけ出てくる高飛車で傲慢で我儘で悪辣でそのくせ救いようがないほど馬鹿な悪女――『ディティア』で、販売用のレプリカで一番の売り上げを記録しているのも彼女の人形だ。
 陽気で間抜けな音楽を流すコマーシャルは、『ディティア』の新バージョン発売を報せると共に、新キャラクター『トニロ』の発売開始を報せている。
 風刺作家も『ニトロ・ポルカト』の扱いには困ったと見えて――最近になってようやく――『彼』はアニメの中で主人公の実家の商売敵という立ち居地で登場した。
 まあ確かに、親愛なるティディア姫であれ恐ろしいクレイジー・プリンセスであれ、希代の姫君を誰よりもうまく笑いに変えてしまう少年は、彼女をネタにしたい者達にとっては大いなる驚異であるだろう。であるから、『トニロ』が出てくる回はほとんど風刺作家の自虐的な話となりがちだ。しかも打ちひしがれた主人公とその両親を商売敵ながら無邪気に――それ故ある種残酷に――誰彼構わず優しく慰めまくる『トニロ』が励ますことで何ともいえぬ笑いが生まれて好評だから、作家も複雑な心境に違いない。
「……本当に、様々なところに影響を与えていますね」
 ハラキリは人形アニメのコマーシャルが終わったところでつぶやき、シートに体を沈めて目を閉じた。

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