瞼の裏に、画が巡る。
 人形アニメ。ティディアの定例会見。ニトロの間抜けな失策。先週、弁当抜きの罰を与えられて楽屋でしょぼくれていた王女。サンドイッチの山をぺろりと平らげた執事。コマーシャルが終わり、女子アナウンサーがヴェルアレイン城下町にいるレポーターを呼ぶ声が耳に届き、つられてそこにある建造物が思い出される。過去の王と女王にまつわる秘話を持つ、南の極地に建てられた質素な城。が、それはすぐに瞼から消え、次いで一仕事終えた後、エプロン姿で芍薬とサンドイッチを作るニトロが現れた。鼻歌混じりに目玉焼きを作る善良な少年の姿がやがて薄れていき、入れ替るように思い出されたのは頭を下げるしかないエフォラン・コミュニケーション社社長とエフォラン紙編集長の謝罪会見。部数もスポンサーも速やかに去りゆく中、どうにかして生き残るために紐の燃えカスみたいな望みにすがるがごとくなりふり構わず懺悔と称してニトロ・ポルカトへの謝罪と『未来の王』を崇め奉る特集を始めた三流ゴシップ紙。それについてクラスメートから感想を訊かれた友人は、困った顔で笑っていた。
 そして瞼の裏に……忘れてはならないとばかりに、獣人の顔が記憶の中から蘇る。
 ――元ティディア親衛隊隊長。
 現在はニトロ&ティディア親衛隊隊長であり、先週の騒動で一気に時の人となった獣人。
 彼は今、ニトロに倣うように不必要に表に出ようとはせず、己の立ち上げた事業と、爆発的に会員を増やした自分のコミュニティの運営にのみせっせと励んでいる。
 そのコミュニティの会員数は、現在約二十万。騒動が起きて半日が過ぎたところでサーバーがダウン、以降新規登録を一時ストップし、現在は再びクローズドコミュニティとして活動している。しばらくは会員が増えた故のトラブルの処理に会員心得の徹底と、なるべく早く『これまで通り』のコミュニティに戻すことで手一杯だろう。そしてその閉鎖性が逆に『会員になりたい』という欲求を加速させ、民放テレビが特集を組むほど話題を呼び続けているのだから、人の心理とは面白いものだ。
 もちろん、ハラキリは騒動が起きてすぐに芍薬の手引きで会員となっていた。
 隊長から送られてくる三日に一度のメールマガジンは主にティディアの活動に関する感想を書きながら、実に温かくニトロとティディアの二人を見守ろうとする姿勢が窺えるもので、時折まさに馬鹿親のような愛情に溢れているものだった。バックナンバーも含めて読み終えた時のハラキリの感想は、『ああ、本当にこの獣人は“ニトロ君とおひいさんの”マニアなんだな』――その一言に尽きる。
 以前の隊長は、ひどく攻撃的にはっちゃけていたと聞く。それが今日のように温かくはっちゃけるようになったのは、間違いなく、ニトロ・ポルカトに負けたためだ。友人の語りによれば『拳で目が醒めたしだい』だったか。
(……)
 ハラキリの頬には笑みが浮かんでいた。
 本当に、友人は様々なところに影響を与えている。
 友人……そう、人生初めての友達。
 ニトロ・ポルカト。
 あの獣人も、彼に変えられた一人だ。
(……君が初めて家にやってきたあの夜、まさかこんな未来がやってくるとは思いもしませんでしたよ)
 ヴェルアレインの町は早朝にも関わらず人出で賑わっていると、スタジオにいる同僚に呼び出されたレポーターは叫ぶように言った。喧騒に負けないよう「では次に、本日17時より開催される『湖上舞踏会』の会場をご紹介いたしましょう! 会場は! なんとこの日一夜のためだけにヴェルアレイン湖に作られた水上ダンスフロアで――」とレポーターが張り上げる声に耳を傾けていたハラキリは、やおら頬から笑みを消し、目を開いた。
「韋駄天、『リーリーク』までは?」
 ハラキリが乗るスカイカーは、南副王都サスカルラで借りたレンタカーだ。それを操縦するA.I.はマスターの質問に――乗り慣れた己と同じ『韋駄天』と名づけられたカスタムカーでないためか少し居心地が悪そうに、また少し面倒臭そうな調子で答えた。
「コノママナラ四時間ッテトコロダナ」
「そこからヴェルアレインまではどれくらいかかりそうかな」
「尋常ジャネェ渋滞ダ、『リーリーク』カラ……ソウダナ、現時点デモ幸運ニ恵マレテ三時間。ヴェルアレイン行キノ地下鉄モ乗ルマデニ何時間モ並バナケリャイケェネエ状態ダカラ、コリャアムシロ歩イタ方ガ早インジャネェカナ。着イタ頃ニャモット酷クナッテルダロウ。ダガ、飛ンデイクナラ三十分モカカラナイゾ」
 ヴェルアレイン周辺には警察と王軍・ティディア直属部隊の警戒網が敷かれている。周辺一帯が平地でこれといった障害物もないため特に空への警戒は強く、スカイカーで通行しようというのならば厳しい審査を覚悟で飛行許可を求めねばならない。
 そのため、ハラキリは警戒網の直前にある町・リーリークから国道を走るよう韋駄天に命じていた。陸路なら、危険物の持ち込みを監視するゲートを何度もくぐるだけで行ける。
「時間はある。渋滞に巻き込まれて構わない。何だったら歩いても構わない」
「寒イゾ」
「凍えながら歩くのも一興」
「ソンナ面倒ヲ選ラバネェデ許可ヲ求メリャイイダロウ。顔モ利クンダ」
「駄目だ」
「意固地ダナ。何故ダ」
 ハラキリは、にやりと笑った。
 それは彼が――人生二番目の――友達から特に影響を受けた笑みだった。
「それをしたらおひいさんにここに来ていることを知られてしまう。それじゃあ、面白くないからさ」

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