アデムメデスにおいて大宗教と呼べるものはただ一つ、アデムメデス国教のみである。初代覇王の時代に定められた国教を脅かす一派は以降なく、その故もあってアデムメデスには宗派間の紛争もなく、また国教は『王』を非常に尊重しているためにその政治的権力も特別強くはない。その上、国民性と言おうか、国教自体が寛容を第一に掲げているためもあろうが、宗教を重んじる他所から見ればアデムメデスは無宗教者の集まりのようにも見えるという。
だが、それでもアデムメデスの生活や文化の根底には確かに『神』が宿っており、折に触れて国民の穏やかな信仰心は発露される。
その発露の最大例が、年末年始、具体的に言えば12月30日から1月1日にかけて。
アデムメデスは、つまり、お祭騒ぎとなる。
国教はその教義の中で、過ぎ去りし一年は「もう戻ってこないように」賑やかに送るものとしている。良いも悪いも同じことが繰り返されませんように、と。
一方、新たに訪れし一年は「過去の一年のどれよりも素晴らしいものとなるように」賑やかに迎えるものとされている。良いものは以前のどれよりも喜び深く、悪いものは以前のどれよりも悲しみ浅く、と。
そのために、アデムメデスは一年で最も華やかに賑わうのだ。
12月30日は言わば準備運動である。
地域ごとに色づけされた祝い方の差異はあれど、それでも共通するものとして例を挙げよう。
各地域の繁華街は伝統の金と銀色の飾りでめかしこまれ、大きな公園や目抜き通りには出店が溢れる。楽団が年末特有の曲を奏で、大道芸人が愉悦を誘う。そこで人々は、星の覇権が定まろうとする乱世に始まった風習に則り、良きにしろ悪きにしろ、生きて過ごした一年を噛み締め思いを天に放つために鳥の料理を味わう。
12月31日は盛り上がりのピークである。
年末年始に縁のある『五天の魔女の行進』と呼ばれるパレードが星中で行われるのだ。特に圧巻は
また、30日、31日の両日には普段は礼拝堂に訪れない者も服装を正して――主にカジュアルフォーマルに、普段から信仰篤い者は礼装で――礼拝し、『年送りの聖言』を唱えて司祭から祝福を受ける。
1月1日は整理体操である。
街には時々の流行歌が溢れ、ホームパーティーや小さな舞踏会が開かれ、また、この日も礼拝堂には人が並ぶ。前日の『年送りの聖言』と対となっている『年迎えの聖言』を唱えて司祭から祝福を受けた後、人々は地に足をつけた実のある暮らしが出来るよう願って牛や豚の料理を食べるのだ。子ども達が『五天の魔女』の一人である『央天の魔女』からプレゼントをもらい、大人達が交流のある相手と
そして2日から8日にかけての一週間は家族や恋人など身近な人間と静かに過ごす『穏安の祝日』であり、アデムメデスは9日からまた忙しく動き出す。
ここでもう一つ、特筆しておくべきことがある。
それは、12月31日正午から翌年1月1日正午まで、
その祭事はアデムメデス国教年中行事において最大のものであり、一般的には『二年祈祷』という通称で知られている。
この両日、教義において『神の代行者にして依代』たる王・女王と『天使の代行者にして依代』たる王の子女らは、国教の長である法老長(アデムメデスで公的に王の称号を戴けるのは君主のみである)と共に、31日正午から去り行く一年が繰り返されることのないよう神に祈願し、年が明けてからは1日正午にかけて新しき一年が過去のいつよりも幸福であるよう祈願する。その間、大聖堂では読み手を代えながら聖典の中でそれぞれ『生誕の書』『時の書』『歓喜の書』と呼ばれる章節が朗読される。24時間ちょうどで読み終わるその三章節の朗読を聴きながら、アデムメデスの君主らは、例え『我らが子ら』たる国民が神に祈らずとも、皆に分け隔てなく安寧があるように、そうして絶えず祈り続けるのだ。
とはいえ、もちろん、実際には24時間ぶっ続けて祈り続けるわけではない。建前では一分一秒たりとて休憩はないが、現実的には各役目ごとに『休憩』となる時間が儀式に則った手順で用意されている。
また、そのわずかな休憩以外はほぼ24時間祈り続ける王と王妃に対し、王位継承者達は法老長に認められた順番でより多くの『休憩』に入る。それでも名目上は王と王妃が大聖堂の懺悔室で執り行う『
つまり、12月31日午前11時に大聖堂に入る所が確認されたティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナは、少なくとも1日正午まではそこに拘束されている――そういうことになる。
――12月31日、午前11時30分。
ニトロ・ポルカトは一年最後の一日を心の底から謳歌していた。