「やっぱり園長だ」
王都立セリャンダ植物園のルクサネア女史。
確かに彼女は王都に居する貴族で、だからこの宴会に来るのも不思議ではないが、それでもニトロには意外だった。彼女はまさに『蘚苔類マニア』といった人だ。上流社会の交流とか貴族らしい生活とか、特にこういった
「営業活動ダロウネ」
ニトロが目を丸くしていると、画面の右下に芍薬が
「王都文化振興部部長。管轄区ノ教育長」
映像を元に愛嬌のある木製人形に変化させた初老の男達を並べ、芍薬は口にした順にその肩を叩いてみせる。最後に残ったのは妙齢の婦人だった。
「デ、王都東教区副司祭ノ愛人」
「ぅごほ!」
ホットミルクが変なところに入った。むせるニトロに芍薬が慌てて声をかける。
「大丈夫カイ!?」
「だ……大丈夫、大丈夫」
ニトロは何度か咳をして、落ち着くと、朗らかな笑顔を浮かべる淑女の人形を見た。
「その、副司祭さんは――」
「顔ガ利クノサ」
「ああ、なるほど」
「……ソンナニ、秘密ッテホドジャナイヨ?」
マスターの不興を買うような情報だったのかもしれないと思ったらしい芍薬が、どこかおずおずとして言う。
「関係者ノ間ジャ『公然ノ』ッテヤツナンダ」
「うん、いいよ」
ニトロがうなずくと、芍薬はパッと顔を輝かせて後を続ける。
「例ノ件デ来年度ノ予算マデハ確保デキタケド、ソレカラ先ハ不安定ダ。『王女』ニ厚遇ヲ受ケタコトガアルッテコトデチョットハ審議モ甘クナルカモシレナイケド、ソレニ安穏トハシテラレナイ」
「だから、今からしっかりか」
「コネクションハ維持スルコトガ大事ダカラネ」
「……でも、園長はそういうのも苦手っぽかったけどな」
彼女には『件』の後に館内展示を案内してもらい、それからお茶を頂きながら話をした。そこで知ったのは園長が専門に関しては流暢に、それこそ笑える小ネタも挟んで話すのに、一端そこから外れると途端に口下手となることだ。そうなるとひたすら笑顔を浮かべて場を乗り切ろうとする――そんな時は彼女の祖父母が代わりに話を繋いでいた。
ひょっとしたら運営に関わるからと“営業トーク”も巧いのかもしれないが。
「助手ガイルヨ」
と、芍薬が右上の画面からルクサネア園長の後ろに立つ男女を自分のスペースに引っ張り込んだ。二十代前半の青年と、その一つか二つ下といった女性。どうやら弟と妹であるらしい。が、姉とはあまり似ていない。二人共に姉より背が高く、青年はどこか軽薄そうな面相をしていて、ともすれば信の置けない目つきをしているところ、それを明るい緑色の瞳が帳消しにしている。反対に女性は
「難シイ話ハ姉ガ担当、軽妙ナ
一般に貴族の格は権勢と家柄によって認められる。権勢はその時々の力に拠るが、家柄を定めるのは職務と血、そして時間だ。どちらが現実に優位を誇るかといえば前者だが、移ろいやすいそちらに比べて後者は主君にどのような仕事を任されているか、何代かの範囲で王族とつながりがあるか、あるいは祖先に伝説的な人物がいるか、それとも家が何百年も続いている等の事実を基にしているだけに堅実な証となり得る。
あの植物園を作った『緑の王』に取り立てられたセリャンダ・ゼワネット家は既に四百年を数えていた。権勢もなく目立った血筋とも無縁であるため世に重んじられず、逆にその職務を軽視されてすらいるが、それでも貴族社会の中では一定の敬意を向けられる存在には違いない。そしてその敬意こそ、社交界において一部の人間が喉から手が出るほど欲しがる通行証ともなるものだ。
「色々ト好都合ナ立場ヲ守ルタメ、トハイエ、姉ノフォローハ進ンデシテルミタイダヨ。オ互イ相手ノ趣味モ人生観モ理解デキナイノニ不思議ト
ニトロは感心しきっていた。半ば目を丸くして、芍薬を見つめる。
「よくそんなに知ってるね」
すると芍薬は胸を張り、ここぞとばかりにニッと笑った。
「コンナコトモアロウカト調ベテオイタノサ」
ニトロも笑った。
笑わされてしまった。
考えてみれば――それがどんな形であれ――バカ姫との交渉を以てこちらと関わった相手である。もしやを用心すれば、その情報を収集しておくのは当然であろう。事実、弟妹が『貴族社会』にこだわりがあるのなら、そういった欲望を操ることに長けた魔女の手先になることも大いにあり得ることだ。
マスターの笑顔に気を良くした芍薬は鼻歌を歌っているかのように体の周囲に音楽記号を躍らせている。
パーティーの様子をリアルタイムで伝える左上の画面には、相変わらずティディアを中心に据えた映像が流れ続けている。
陽気な音楽が奏でられていた。古典的な楽器の音、笛、太鼓、ギターにヴァイオリン、アコーディオンもあるだろうか、王女の到来に張り切る楽隊が会場の熱を高めようと腕によりをかけている。
青い液体の揺れるカクテルグラスを手にしたティディアは元気一杯に指揮棒を振るう楽団長を何気なく見やっていた。王女に見られることで昂ぶる指揮棒はより一層激しく空を切る。そのためどうもテンポがずれているようにも感じるが、そこら辺は奏者が上手くカバーしているらしい。
「……」
その頃、ニトロは、ティディアはドレスに失敗したのではないかと思い始めていた。
確かにそれはとても高価なもので、技術的に比肩するものもないだろう。しかし改めてじっくり見てみるとレースの他には見所がないように思える。ドレスのデザインが凝っていればまだしも上半身はレースが縫い付けてあることを除けば極めてシンプル、肌に融け込んでいるかのように思えるほどタイトな造りだ。スカートも一見タイトであるが、こちらは彼女が足を踏み出すと蛇腹を開くようにすっと広がり、その際にはスカートを飾るレースも瞬間的に伸び縮みしているように錯覚させる。が、その視覚効果も見所と言うほどではない。しかもスカートは常に元の形に戻ろうとするから見た目には窮屈さを禁じ得ず、その窮屈さに辟易して、ならばレースのデザインの細部にまで注目しようと思っても今度は純白の生地に白のレースである、その差異で互いが引き立つわけもないし、どうやら引き立て合うようにも飾られていない。
有体に言って面白味が無いのだ。
これならむしろ
――その感情を画面の中に表す者はない。
王女の周りにあるのは
なるほどそのレース飾りに完全に心を奪われているらしい女性の顔もある。
それでもニトロには、その面々にすらやはりほのかな失望が透けて見えるような気がしてならなかった。王女から距離を置けば、例えば会場の隅や、テレビの視聴者の集うネットコミュニティではもっと露骨に気持ちが表されているのではないだろうか。
ニトロは意の座りが悪くてならなかった。
(珍しく本当に失敗したのか、それとも)