ハラキリが差し出したのは小瓶が二本、それと少し大きな蓋付きの薬味器が三つ。薬味器の一つは花の形をしていた。どうやら中央部と五つの花弁ごととに仕切られているタイプらしい。
「こちらがネギです。こちらがすりおろしたショウガ」
 と、薬味器の二つの蓋を開けて見せる。小さな匙がついている中に、一方では全て同じ幅で小口に切られた緑が鮮やかな山をなし、一方ではすりおろし生姜の品の良い薄黄が白い器の中で映えている。独特の香気がニトロの鼻をくすぐった。
「そしてこちらがゴマ、ワサビ、粉唐辛子、ボィム、フォヂレ、センサーヌ」
 と、花型をした器の、中央のゴマからスタートして花弁それぞれの薬味を示す。
「説明はいりますか?」
 後半の三つはペースト状の発酵調味料で、順に数種のハーブが練りこまれて独特ながら癖になるもの、フォチアという香味野菜から作られたピリ辛のもの、最後に、簡単に言えば熟成された肉味噌――ニトロは言った。
「全部知ってる」
 ハラキリは目を丸くした。説明の有無を問いながらも、どうやら始めから説明をする気だったらしい。その様子は驚きから感嘆に移り、笑みを浮かべて彼は言う。
「流石ですねぇ」
「でも、ボィムとフォヂレは何度か食べただけだよ」
 センサーヌはアデムメデスで有名な地方料理の調味料なので一般に知られているが、他の二つは郷土料理に詳しい人間でなければ知らないだろう。ニトロも家庭環境が違えばきっと知らなかった。
「つまり、これをつけて食べるんだな?」
「ええ。こちらのソイソースとネギ、ショウガをあわせるのがスタンダードです……で、先ほどは実験的ではないと言いましたが、これだけは実験台になっていただきたいと思っていまして」
「何?」
 馴染みのある物から未知の物へと話が移り、不安を隠さぬニトロへハラキリは小瓶の一つを持ち上げて、
「『ポンビネガー』です。あちらの万能調味料の一つらしいのですが、これまで作り方が判らなかったものでしてね」
「それが判ったのか?」
「どうにか、多分、といったところですが。こういう“調味料のみに絞った資料”はやはり希少、というかほぼ皆無らしいので、となると様々な資料から断片的な情報を抽出し、また関連していそうな情報を拾い集めて類推するしかない。そこで色々調べさせていたようなのですが、ビネガーと言う割にビネガーを使うとちょっと違うらしく――どう違うのか拙者はよく分かりませんが――で、最近どうやら何らかの果実を使うらしいということだけ判ったらしいんです。では目的に適う果物はどれだと検討していた中にシュズラスがありまして、ほら、昨日、ニトロ君はレモンソースが気に入っていたでしょう? 同じ柑橘系を用いたものと言えばそうですし、昨晩方撫子と話している時に、折角の機会です、失敗しても意見を得られようから君にも試してみてもらおう、となったわけなんですよ。本当は寝かせた方が険も取れて良いようなんですが、まあ、味見として」
「なるほど、それくらい構わないよ。シュズラスは……独特の香りがいいやつだっけ」
「ええ」
「あれもわりと珍しいよね」
「その香りと柔らかな酸味が母の好みで。レモン代わりに常備してあるんです」
「なるほど」
 と、ハラキリが小皿に垂らしてみせる液体は、ソイソースを基調にしているようだが色がより薄めで、おそらく他にも何やら合わせているらしい。ニトロは差し出された小皿をしばらく見つめた後、
「ところで、『らしい』『らしくて』って、ほとんど伝聞だな」
「何しろ母の趣味ですから。拙者も美味しい異星料理のおこぼれをもらっていますが、たまにえらい目にもあいます。オオバンヤキは酷かった。どうやったら金の延べ板を食べられるというのでしょう」
 ニトロは声を上げて笑った。ジジ母子の話をそう聞くと、何だか色々と好ましい。
「しかしあちらでは実際に金を食べているようなんですよねぇ」
「え?」
 ニトロは笑い声をぴたりと止めた。他星の話をそう聞くと、いや、そもそもオオバンヤキとやらからして考え直してみれば何だか色々恐ろしい。彼はしばらく食の安全性について思索に耽ろうとしたが、ここで考えていても埒があかなそうなので考えるのをやめた。ひとまず気を取り直すために、
地球ちたま日本にちほんについちゃ何だか色々おかしな話を聞いてばかりだけど、ホントに不思議な話だ。よっぽど丈夫な腹を持ってんのかな」
「丈夫か否かというより構造の問題な気もしますがねえ。しかし一方でマゲ――という髪型――を切られるとサムライとリキシ達は死ぬらしいです」
「え? 髪を切られだたけで?」
「運良く死ななくても再起不能は免れないそうですよ」
「……しかも、そのサムライと――」
「リキシ」
「その二族ふたぞくだけ?」
「ええ。なので、母は解せぬ様子で、彼らは日本人にちほんびとの中でも特殊な生命器官を持っているのか、だから信じられないほど強いのか?――とかボヤいていました。損ねやすい体毛にそれほど重要器官があるというのは奇怪な話ですが、とはいえ宇宙には様々な特徴を備えた種族がいますからね、あり得ない話でもないのでしょう」
「…………宇宙は、広いね」
「銀河間旅行も容易にはなりましたが、やはり広いですねえ」
 そう言うハラキリは鍋の蓋を見つめている。どうやら湯が沸くのを待っているらしい。会話はそこでふいに途切れてしまった。ニトロは所在無く用意された食材に視線を移ろわせ、ハラキリは無心に鍋をじっと見守る。
「……」
「……」
 当てもなく目を動かしていたニトロはハラキリと同じく熱を上げていく鍋を見つめたところで、話題を見つけた。
「お湯沸くの、遅くないか?」
「ちょっとじっくりやっています」
「あ、そうなんだ」
「はい」
「……」
「……」
「……明日の朝も日本にちほんの?」
「いえ。朝はぶ厚いトーストにバターをたっぷりと。合わせてカリッと焼き上げたベーコン、目玉焼き、ミニサラダと、旬のカットフルーツをヨーグルトで――と撫子が。そうだ、目玉焼きは片面と両面のどちらがいいですか? それと味付けは」
「片面、ソースで。ていうか、それだけ聞いただけでも何だか腹が鳴るよ」
「では、こちらもそろそろ」
 と、ハラキリが鍋の蓋を取ると封じ込められていた湯気がぼわりと溢れ出て、その後にくつくつと細かい泡の立つ、わずかに琥珀色がかった湯がニトロの目に入ってくる。鍋の底には薄い幅広の葉のようなものが幾つか見えた。
「あ。ただのお湯じゃなくてコワブメで出汁を取ってるんだ」
 ハラキリは呆れ半分に苦笑した。豆腐をいくつか静かに湯に落としながら、
「本当によく知っていますね」
「何しろ父の趣味ですから」
 ハラキリは笑った。ニトロはしてやったりの顔である。
「干し海草で出汁を取るってことは海が近いのかな」
「島国のようです。資料によっては黄金でできているなんて話もあるらしく人工島や超巨大船の可能性もあるようですが、まあ海に接していることだけは確かなようですね」
「なるほど。コワブメも……東大陸の西海岸沿いに広まっていて特に何とかってでっかい島が中心地、だったっけ?」
「ええ。そういう点で似たようなものがあったお陰で助かりました。こちらではいくら近づけようにも“紛い物”――良く言っても“類似品”に過ぎないでしょうが、それでも母は変に凝るところがあって出来る限り同様にしたがりましてね、いつもうちのA.I.達は苦労していますよ」
「そうなんだ」
「この豆腐も撫子の特製です。母が納得するまで何個作ったか分かりません。探求当時のうちの食事は必然的に豆腐ばかりになったものでした」
「それは……さすがに飽きただろ」
「いえいえ。撫子が、料理大全ガストロノミコンに載っている伝統的なレシピ、ネットに載っているアレンジレシピ、とそれらを参考にリクエストがない限りは一度も繰り返さず様々な豆腐料理を出してくれましたから、むしろ楽しい減量期間でしたよ。芍薬もレシピ探しに駆り出されていたのでいくらかは覚えているんじゃないですかね? 聞いてみるといいでしょう」
「へえ、そうなんだ」
 目を細めるニトロを傍らに、鍋では豆腐がくつくつと静かに揺れる。ほのかな琥珀色の中で純白の肌が熱を帯びていく。
 静かな地下の一室で、ニトロはハラキリと差し向かい、黙々と実が煮えるのを待つ。もう口は出さない。不思議とこの時間が楽しく感じられる。鍋底から上がってくる泡が大きくなってきて、わずかに膨張した白い実がくらくらと踊り出す。
「どうぞ」
 と、ハラキリが水抜きの穴が開けられた小さなお玉をニトロに差し出す。ニトロはそれで豆腐を崩さぬようにすくい――まずは例の『ポンビネガー』の試食に乗ってみようと、その小皿に調味料をはねないよう実を下ろした。ニトロからお玉を受け取ったハラキリも、まずは同じものを試すらしい。
「いただきます」
「おあがりください」
 ニトロは箸で豆腐の柔らかな、しかしほんの少しだけ箸先を押し返してくる実をすっと切り割った。その白い肌の縁はポンビネガーをわずかに吸って褐色に染まり、断面からは湯気がふわりとなびいて消えていく。彼は繊細な食材を壊さぬよう気をつけながら箸で持ち上げると、そろそろと口に運んだ。解っていても、熱い。火傷せぬようはふはふと息を吐き、熱と舌とを均しながら豆腐を押し潰す、と、
「!」
 ニトロの目が丸くなった。
「美味しい!」
「どうやら“正解”だったようですね」
 ハラキリは『ポンビネガー』の風味に満足のようである。
 だが、ニトロにとっては全てが驚きであった。こんな簡単な――いや、おそらくこれには簡単に見えるが故の奥深さがありそうだが、しかし一口でそれだけのポテンシャルまで感じられるほど、とにかく豆腐の滑らかさが際立ち、洗練された豆の繊細な香りが吹き抜けて、それはまたポンビネガーの爽やかな香りと混然一体となって華やぎ、一方では淡白ながらも上品な大豆の旨味が酸味とコクのある塩気の助けを借りて自身の内奥に潜んでいる清純な甘みを口一杯に染み渡らせてくる――このように素材の味を引き上げ、そうしてこれほどの美味を味わわせるユドーフなる調理法、そしてこの異星由来の調味料。シンプルイズベストとはいうものの、おお、これは素晴らしい!
「いや、美味しい!」
 もう一度、ニトロは言った。
 その顔は純粋なまでに喜びを表していて、それを見るハラキリの頬には彼も知らぬ間に自然と微笑が浮かんでいた。
 早速二つ目を取りながら、一瞬激しく迷った後、しかし今度はソイソース・ネギ・ショウガのスタンダードを試してみようと薬味を引き寄せ、と、ニトロはふと思いつき、
「なあ、これ、今日みたいに涼しい日もいいけどさ、冬に食べるのが一番美味しいんじゃないか? さっき、『特に冬』――みたいなことも言ってたし」
「ええ、やはり冬には絶品ですよ。それとこれは『ナベ』と総称される料理の一つなんですが、他にもスキヤキ、ヨセ、チリ、ミズタキ、ドテ、シャブ、デン、ダーク等々、それらもやはり冬が一番です」
「いいな、そうか、やっぱり冬だろうな、これは」
 言って、スタンダードのユドーフをほふほふと食して、ニトロは頬をほころばせる。
「うん、これは本当に美味しいよ。なあ、ハラキリ。冬にさ、またこれやろうよ。他のもきっと美味しいんだろうなあ、楽しみだ!」
 つい先刻には警戒心に固まっていたことを全く感じさせない友人の笑顔に、ハラキリは笑いながら言った。
「それでは拙者も楽しみにしておきましょう。その時には、君にはホリゴタツも味わっていただくとしましょうかね」



←おまけ2aへ
←おまけ1へ
←グッドナイトサマー・フェスティバル-1へ
メニューへ