暴れることを止めれば親しみ深く美しいばかりの王女に人目が集まる隙をついて広場から芍薬に担がれ抜け出してきたニトロは、公園の片隅に人目につかず落ち着ける場所を見つけ、日の落ちる前よりも華やかに盛り上がっていくグッドナイトサマー・フェスティバルの明かりを遠目にしながら、ただ、待っていた。
 樹上と草陰で鳴く虫の音がうるさいくらいなのに辺りをむしろ静かだとさえ感じる中、
「――で、お前は何をしてたんだよ」
 やおらニトロが不満気に言うと、スポーツキャップを被った少年が物陰から現れた。先ほどのようにマントなどなく、マスクも外して素顔のままに、ガホル麻の涼しげなシャツにスラックスを合わせた上でしれっと言う。
「ずっと見ていました」
「茶番を?」
「茶番だからこそ楽しめるんです。あんなこと、現実であれば楽しめませんよ」
「俺にとってはどっからどこまでも現実なんだけどな?」
 ニトロは未だ蜘蛛の糸で作られた繭に包まれたままだった。芍薬が何とか助け出そうとしているが、どうやらこれに使われている糸は特別製らしい。まず刃物は役に立たず、引き千切ろうにも綿棒の綿をむしるようにしか摘み取れず、どうしてマスターが腕を突き出し顔の穴を作れたのかが不思議でならない。仕方なく、とにかく自由に移動できるよう脚部から少しずつ繭をむしり取っている芍薬の作業風景を一瞥したハラキリは、
「体は?」
「まだ少し痛い。けど筋肉痛は何でか大分治ったよ。随分動いたからかな?」
 ハラキリの脳裡を『アクティブレスト』という単語がよぎるが、そんなレベルの話ではないように思うので、彼はふむとだけ鼻を鳴らした。そして、芍薬にカップを差し出す。長いストローがついていた。芍薬は無言でそれを受け取り、マスターに給仕する。一度は自分でカップを持とうとしたニトロだったが、腕と繭と顔の位置関係から上手く飲めないため、芍薬に任せることにした。
 ストローを通ってきたのはとても冷たいレモン水だった。爽やかな香りと忍ぶ甘みが喉を潤し、やけに通気性のいい繭ではあるが思い出したように汗が額に吹き出してきて、それを芍薬が器用に拭き取ってくれる。ハラキリは手元で何か操作すると、それを足元に置いていた。どうやら虫除けであるらしい。
「――それで?」
 一息ついたところで、ニトロは再び問うた。
「楽しく観劇していたのも事実とはいえ、様子見をしていた、という方がより正しいですかね」
 これ以上、下手なことを言って友の機嫌を損ねるのは不利益だと判じ、ハラキリは応えた。
「本来、おひいさんは今頃会議の真っ最中のはずです。それが何故、ここにいるのか、いられるのか。基本的には『君』を理由に仕事に穴を開けない彼女が」
 その言葉で、ニトロはハラキリがティディアの協力者グルではなかったことを確信した。
「しかも……ニトロ君は通信妨害には?」
 と、ハラキリはポケットから携帯電話を取り出し、それを芍薬に預けながら言った。よく見れば彼の被るキャップもニトロのものだった。どさくさに紛れて拾ってきてくれたらしい。目に礼を表しながらニトロは答える。
「それに気づいた瞬間、やられた」
 ハラキリはうなずき、
「それは単純に通話やネット接続を阻害するものに限りませんでした。色々試したところ手持ちの手段が全て殺されていましたよ。ちょうどフリーマーケットの辺りを歩いていたんですが、デモをしていたラジコンも制御不能になっていましたね」
「もし壊れてたら弁償させてやってよ」
「言っておきましょう。で、それで不思議に思ったのがお姫さんの蜘蛛の足です」
「何かおかしなことがあった?」
「少々。どうもお姫さんが意図的に動かしている感じでしたし、あの妙にリアルな複眼も、彼女の感情に反応しているようなきらいがありました。もしや小蜘蛛も、あるいは色々な機能を見せた人工繊維くものいとまでも?――とも思いますが」
「……つまり?」
「お姫さんがこの時間に出ているべきは『先進技術推進会議』――それをぶっちぎるに足るとすれば、それともこの事態自体を会議の一項目と見做したならば、例えばアレは強力にして多様な通信妨害の中でも使用可能な技術のテストも兼ねていたのではないか、と。まあ、拙者が試せなかった中には脳内信号シグナルを利用して、なんてのもありますが……霊銀ミスリルでも使えばそれなりの遠距離に耐えてなお高精度のものができますしね。いや、それともただ最後の『手品』を試したかったというだけかもしれませんし、まさか『人魚』の雪辱とはまず考えられませんがお姫さんに限ってはそれもありえるのが厄介で」
 ぶつぶつと言うハラキリには何らかの心当たりがあるような様子だ。ニトロにはそれが何かは判らなかったが、
「最後は仕方ないので乗っておきましたが、そもそも勇気だ何だと言うなら勇気ある従者が来た時点でまとめに入ってくれれば面倒がなくて良かったというのに変なこだわりを持ち続けていたのか何なのか」
 とうとう友人が身勝手な総監督への文句を連ね出したのを聞いて、ふっと小さく吹き出した。その様子に、はたとハラキリが物思いから戻ってニトロを見、そこに無理解があるのを察してどこかからかうように目を細め、
「それに、そういう事情でもなければ、あれだけの準備を一晩で済ませるのは無理でしょう?」
 ニトロは目を丸くした。
「一晩?」
「お姫さんは君の筋肉痛のことを知っていましたし、ここに来ることも知っていた。その二つの情報をどちらも知った上でこの仕込みをするなら、少なくとも昨日から掴んでいないと無理ですよ」
「……『誰が』?」
「とりあえず拙者はトレーナーを疑ってはいませんが『誰が』というのは問題ではないです、手段は色々ありますからね。ただまあ、ここに来ることをロビーで話していたのは迂闊でしたかねえ。だとしても、本当に恐るべきは昨日掴んだ情報に合わせてあれだけの企画を“条件”に合わせてくる魔女とその使い魔共、というところですが」
 ハラキリの指摘に、ニトロは苦笑を浮かべないわけにはいかなかった。自然とため息も漏れてしまう。
「ホントに、油断ならないね」
「おや、油断などしていましたか?」
「おっと、そりゃ痛い皮肉だ」
「皮も肉も後でたっぷり食べましょう」
 ニトロは思わず笑った。その拍子に腹筋が少し痛む。そして彼は小さな苦笑いを浮かべ、
「食べられるかな」
「遠慮なんてする必要はありませんよ。折角のお祭りなんですし、元から大騒ぎです」
 その物言いに、ニトロは沁みるように微笑んだ。
「……そうだね」
「それから――」
 と、そこまで言って、ハラキリは急に口をつぐんだ。
「それから?」
 気になってニトロが訊くが、彼は応えない。飄々として、しかし、その口元には微笑が見える。となると俄然ニトロの好奇心をくすぐって仕方がない。
「言えよ」
 ニトロの強い要望を感じたハラキリはしばし黙っていたが、
「本当に、退屈しませんね」
 とだけ答えた。
 そして、すぐに彼は振り返り、
「ねえ、ヴィタさん?」
「お気づきでしたか」
 ニトロは驚いた。木陰から足音もなく、藍銀あいがね色の髪を既に東にある赤と青の双子月の明かりに煌かせ、涼やかな麗人が現れた。
「気づきますよ」
 ハラキリは笑って言った。
「そんなに手に一杯に肉を持っていたら、匂いで分かります」
「お一ついかがですか?」
「ニトロ君は?」
 繭の穴の底にいることもあってニトロには匂いが分からなかった。ヴィタが正面に回ってきてくれたお陰で判ったが、彼女は口一杯に肉を頬張りながら立っていた。
「後でいいよ」
 半ば呆れてニトロが答えると、ハラキリも遠慮した。
「それで、拙者の推理はいかほど当たっていましたか?」
 口一杯に肉を頬張りながら、器用に執事は涼しげに答える。
「それにお答えすることは、わたくしには許されていません」
「ふむ。――では、口に出すことを許されていることは?」
「ティディア様は、この半世紀ぶりの暑さをニトロ様とご一緒に味わいたがっていました。タイミングが良い時は何もかも上手くいくものですね」
「こんな暑さちょっとした災害だろうに、何をはしゃいだことを言ってんだ」
 毒づくニトロにヴィタは微笑み、それからいつも涼やかな顔に今日ばかりは大粒の汗を浮かべてスパイスの効いた串焼き肉を一つ頬張る。その様子にニトロはふと思いつき、
「……もしかして、変身してどこかにいた? じゃなくて」
「よい映像が撮れましたが、お腹も取れそうでした。あの匂いの中で我慢するのは拷問ですね」
「本っ当に、油断ならないね」
「一度すれ違ったのですよ?」
「え?」
「ふふふ」
 ニトロの反応が面白そうにヴィタは微笑み、また肉を齧る。芍薬は無心にニトロの繭をむしり続けている。やっと膝が楽に曲がるようになってきた。
 ざわざわと、四人が陰に潜む木立の葉が揺れた。
 繭の穴から涼気を含んだ風が入り込んできて、ニトロは息をつく。
「やっといくらか涼しくなりそうだね」
 ニトロのため息に 、空を見上げてハラキリが応えた。
「明日は夕方からまた雨だそうですしねえ」
「気温も例年並まで一気に下がるんだっけ?」
「随分差がありますから、風邪を召されませんように」
「うん、でもそこは芍薬が注意してくれるよ」
「御意」
 少しの間を置いて、今度はハラキリが口を切る。
「明日は、弟君の誕生日でしたね」
「招待はされていないよ。ミリュウ姫の時もちょっと不思議だったけど、何か考えがあるみたいだ」
「そいつは良からぬ考えでなければいいですねえ」
「うん、だから明日は念のためにハラキリん家の地下に立て篭もることに今決めた」
「え、うちですか?」
「正式に依頼するよ。一泊朝夕食事付きでよろしく」
「かしこまりました。では後程契約書を」
「芍薬、そういうことで」
「承諾」
「このお肉美味しいです」
 突然のヴィタの脈絡もない一言に差し込まれ、ニトロは思わず笑ってしまった。つられて芍薬とハラキリが笑い、とうとうヴィタも笑い出す。
「やー、皆して楽しそうね」
 そこへ、ティディアがやってきた。彼女の背後にはバラに誘われるように阿諛追従の群がくっついてきている。中でも先頭に立つ青年がやけに熱心だ。
「色々話をつけてきたわ。ね、ニトロ、お肉食べましょうよ、お肉。席も用意してくれるそうよ。それにしてもニトロ、改めて見るとその格好、可愛いわねー」
 全く悪びれないどころか無邪気も極まるティディアに、ニトロは開口一番ぶつけてやろうと思っていた怒声を飲み込まされてしまった。それには無論、このバカ姫を無闇に讃える背後の目の輝きも手伝っている。しかもそこには幾つもの嫉妬の光が見えるから余計に彼は疲労を感じてしまい、怒気の大半も散らされてしまった。が、
「なあ、ティディア」
 ため息混じりにニトロは言った。
「なぁに?」
 薄絹のドレスをひらりとさせて、流れる汗も上機嫌にティディアは首を傾げる。
「色々言いたいことは置いておいてだ、一つ、教えろ」
「いいわよ?」
「最後の『魔法』で他の蜘蛛の糸は全部消えたはずだよな?」
「ええ」
「なのに何で俺は未だにコレなんだ?」
「そんなの決まっているじゃない」
 満面の笑顔で、ティディアは答えた。
「もちろんそのまま持ち帰って、中身を溶かして食べちゃおうって思っていたからよ」
 悪い夢、とても怖い夢、一夜の夢――
 その夢の最後の残滓が夢そのものを終わらせるために繰り出したのは、それもまた夢のように美しいドロップキックだった。





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