(『敵を知って己を知って』と『行き先迷って未来に願って』の間)

2015『吉@』と『小吉』の間

 穴場のカフェがあることを、ニトロは母から聞いた。インターネットに情報は出ていない。そのカフェがまだ新しいこともあるが、住宅街の中に、外見はその区画に立ち並ぶデザイン住宅のまま、しかもほんの小さな看板を掲げているだけであるそうだから、そもそもほとんど人に知られていないらしい。商売っ気の一つもないが、それもそのはず、そこは有閑暮らしの老夫妻が全くの趣味で営んでいるカフェで、自慢の庭に面した二人掛けのテラス席が二つと、テラスにつながる小さな部屋に置かれた四人掛けのテーブル席が一つ――それだけの店だそうだ。よくそんなところを知っているねと母に聞けば、何のことはない、その自慢の庭の手入れをしている老人が母の園芸友達であるという。
 老後の趣味とはいっても、日替わりの料理やケーキは老人の妻(元パティシエであるという)が腕を振るっているからとても美味しく、また老夫妻はお茶が共通の趣味で、そのためアデムメデス各地の珍しいお茶も飲める本格派。各地の名産が大抵揃う王都でも専門店の少ないグリーンティーも色々あるそうなので、ちょうどジジ家からスポーツジムへの道中でもある、トレーニングに行く前に立ち寄らないかとハラキリを誘ってみると快諾が返ってきた。
 五月を目前にした太陽は勢いよく空を駆け上がっている。庭木に芽吹く瑞々しい新緑が眩しく輝いている。
 目深に被ったスポーツキャップの下、顔を隠すようにうつむき加減に歩くニトロの目には青空は映らない。しかし、歩道に敷かれたタイルに吸収される初夏の陽光の温もりと、道端に咲く花々の色香りが彼の目を楽しませる。ハラキリとは、カフェで待ち合わせていた。カフェは平日も祝日も関係なく気ままな不定休だというから、彼に先に行ってもらって開いているかどうかを確かめてもらう意味もあった。その彼から未だ何の連絡もないということは、土曜の今日も、午前から問題なく営業しているということだろう。
「――?」
 キャップの庇の下に入り込んできた色彩が目に付いて、ニトロはふと足を止めた。
 見上げてみれば五階建てのアパートの足元、景観のために作られたのであろうが、狭い敷地に無理矢理作られたせいで見るからに狭苦しい花壇がある。その中に、昼前の穏やかな陽光を受けて咲く可憐な花があった。太い茎から分岐した八本の細い花軸から、秩序正しくまた細い柄が地面に向かって八つ並び垂れ、その先に鞠のような花が吊られている。鞠は三センチほどの大きさか。それを構成する花弁は繊細なラインを描き、よく見るとどうやら八重咲きであるらしい。花弁の色は付け根が濃いピンクで、そこからグラデーションになって白へと変化している。さらに白はやがて先端に向けて濃い黄色へと変化していき、そのため遠目には縞模様の鞠に見えて可愛らしい。しかも花弁の一つ一つには、微細な筆で斑を入れたように光沢がある。その光沢がミラーボールのように陽光を無秩序に照り返していて、その照り返しが星の瞬きのようにちらつく度に秩序立った縞の色調が崩れて一種玄妙とも言える趣を生んでいる。いくら見つめていてもきっと見飽きることはないだろう。連なる鞠がゆらゆらと風に揺れる様は、名工の作り出した細工物のように美しい。
「……何だったかな」
 これそのものではないにしても、似たものをどこかで見た気がするのだが……度忘れしてしまった。
 肩から提げるスポーツバッグから携帯電話モバイルを取り出して、撮影モードを合わせて写真を撮る。芍薬に訊ねるか画像検索にかければ即座に答えは返ってくるだろうが、
「……」
 ニトロは、母へ質問のメールを送ることにした。何にしても見応えのある花であるから母にこれを見せたい気持ちもあるために――そしてもし直接見たいと言い出した時のために、地図情報も付け加えて送信する。
「よし」
 携帯をバッグにしまいながらニトロは再び歩き出した。
 土曜の昼前。住宅街は静かで、見通せる道に人影はない。庭木や花壇に力を入れている家が所々にあって、その所々では春の花やよく手入れされた庭木の緑が道行く人へ美観や家人のセンスを誇ろうとしている。
 曲がり角を曲がった時、ニトロの目に一際華やかな色彩が飛び込んできた。
 庭の垣根を巡るツルバラに見事な白い花が咲き誇っている。その垣根を越えてこぼれてくる赤や黄や紫や無数の色が、鮮やかな緑の舞台の上で高らかに歓喜を歌い上げている。
 玄関前にはアンティークな門扉が備えられていた。腰より少し高いくらいのそれを、本当にこがお店なのかと恐る恐る開くと、玄関ポーチの小柱の陰にエッチング銘板が下がっているのがニトロの目に留まった。
 確かにここで良いらしい。ベルを鳴らすと品の良い老人がやってきて、
「リセさんの息子さんだね」
 と、ニトロを笑顔で出迎えた。ニトロには自分が『ニトロ・ポルカト』として出迎えられたのではないことが驚きであり、また、とても嬉しかった。
「お友達が待っていますよ、さあ」
 悠々自適な隠居生活を楽しんでいる目尻の皺に導かれ、ニトロは自然と口元に笑みを浮かべて、玄関からそのままカフェへと入っていった。

 リセ・ポルカトが息子からのメールを見たのは、正午を過ぎてからのことだった。
 今月は久々に夫婦共に土日休みのシフトとなり、週末の休暇を謳歌するために午前中から夫と映画館にやってきていたのである。
 夫婦が鑑賞したのは、先月アデムメデスで封切りしたセスカニアン星のFVフルヴァーチャルファンタジー映画だった。スクリーンと、ヘッドマウントディスプレイと、シアターならでは音響システムを連動させることで、まるで自分もその物語そのものの中にいるように感じられる。スクリーンへ顔を向ければそこには常に『主人公』がいるが、その他周囲360度のみならず天地のどこに目を向けてもそこには立体的なビジュアルがあり、例えば背後に目を向ければ『主人公』と『ヒロイン』が交わす会話を聞きながら“その時”“彼らを取り巻く環境”を眺めることもできる。また例えば、アクションシーンにおいて、昔ながらのスクリーンでは突然横手から飛び込んでくる急襲者を、FVではその場面の直前で横を向けばその急襲者がどこから出てきたか――建物の影に潜んでいたのか、それとも『主人公』の仲間の妨害をかいくぐってきたのか、そういった瞬間を無敵の第三者として目撃することができる。カメラワークも演出も、基本的にはスクリーンを向いて鑑賞することで一番楽しめるようにできているが、どのように見るも自由だし、どう見たところで臨場感は素晴らしい。何をしなくても幻想的といわれるセスカニアンの大森林を舞台に撮られたその映画は、リセに、まだ行ったことのないその場所の植生を手に取るように感じさせるものであり、むしろ本筋よりもそちらが目当てだった彼女にとって大満足の出来だった。
 一方、本筋自体はクラシカルな英雄譚で驚くような展開はない。それでもアデムメデスに輸入されるくらい話題になったのは、それが驚くような展開はなくとも良くできた王道の作品であることと、持ち味の臨場感の強さが往々にして物語を阻害してしまうというFV映画の弱点を、小気味の良い演出と、重要な登場人物を思い切って観客に重ねることで克服したためだ。つまりその重要な人物は画面には決して現れずに声だけの出演であり、観客はその人物の目を通して歴史の一幕を見るという構成こころみ。それが上手く噛み合ったことで、一つのモデルケースとしても成功したのである。
 実際、ニルグ・ポルカトは作品を存分に楽しんで、作品の本筋については夫の感想を聞くことを楽しみにしていた妻の期待に添えるだけの言葉を胸に溜めていた。
 映画館から出た二人は目をつけていたレストランに入り、個室に腰を落ち着けた。夫婦で飲食店に入った時は、いつもリセが先に注文を決める。ニルグはメニューをまるで論文を読むようにじっくり眺める。それがポルカト夫妻のリズムである。
 リセは家を守るメルトンに映画を見終えたことと「楽しかった」ことを伝えようと携帯モバイルを鞄の中から取り出して、そこで息子からメールが届いていることに気がついた。
「あら」
 と、微笑み、自慢の息子からのメールを開く。教えたカフェに向かっていることを知らせる一文を読み、添付されていた写真を見て、
「あら?」
 と、リセは眉をひそめた。
 そこに写る花……
 彼女の眉間に影が落ちる。
 ……原種とは咲き方が違う――彼女は記憶を探る――園芸品種にも見られない形だ。確かに似た形状は見たことがあるが、ここまで鞠状になるのは稀有だし、少なくとも自分も見たことは無い。が、葉や萼の特徴は原種と同じに見える。それに花自体も既知のものとは違うとはいえ……この光沢といい、花弁の形といい、よく似ている。このように鞠状に丸くなるのではなく、もし先端がもっと反り上がって八重の釣鐘型になっていれば原種そのもののフォルムとなる。だが、色が不可解だ。この色調に近似のものは原種にはなく、とはいえ園芸品種には近いものはあり、しかしその園芸品種ですら色の変化がここまで顕著で、しかも三色が同居しているのは――既存の色と模様の掛け合わせ次第では可能かもしれないとはいえ――未だ存在していないはずだ。
「あらあら?」
 そして何より、写真の隅でぼやけている花が最も気にかかる。それは半ば散り、花托かたくが膨み始めていた。おそらく息子はこれには気がつかなかったのだろう。いや、気がついていたとしてもまだこの程度では『同定』は難しいだろうか。もしコレが本当に実をつけることが可能であり、そうしてその実の形が既に完成していれば、息子もコレが何であるかを容易に悟ったことであろうが――
「あらあらあらあら?」
 携帯の画面を凝視し何度も首を傾げ、三度目の困惑の声が上がったところで夫が声をかける。
「どうかしたのかい?」
「ひょっとしたら大変よ、あなた」
「ひょっとしたら大変なのかい?」
「ええ、ニトロったら大変なものを見つけちゃったかも」
「ということは、ひょっとしたらニトロが大変なのかい」
「そう、大変なことよ」
「それじゃあ大変にならないようにできるといいね」
「だけどもしかしたら大変じゃないかも」
「大変なのかもしれないんだろう?」
「だから確認してみなくちゃ」
「確認できるのかい?」
「わたしよりとても詳しくて、とても大変なことにも対応できるお友達がいるから」
「そうかい。持つべきものは友達だねえ」
「だから、注文は待っていてくれる?」
「いいよ。大変になりそうなら急いだ方がいい」
「でもね、あなた、大変なことにならなくても、ひょっとしたらニトロは大変なことになるかもしれないわ」
「それはいつものことじゃないかい?」
「でも、いつものことより大変じゃないとは思うの」
「それならなおさらニトロは大丈夫だよ」
 にこりと笑って、ニルグはメニューに目を落とした。
 リセは写真を見る。
 夫とのやり取りで困惑の膜が一つ薄れて、先より明瞭に、コレが大変な問題を引き起こす植物だと思える。
 リセはモバイルを操作して、件名に『緊急』と入れて友達へメールを送った。すると一分程してすぐ電話がかかってきた。着信音ですら驚愕と緊張を伝えてくるようだ。リセは通話ボタンを押した。
「ヴィタちゃん?――ええ、そうなの。やっぱり、コレはアレよね?」

 アサリがたっぷり入ったクリームソースの生パスタは美味であり、食後に出された苺のタルトと名産地であるセルロンの紅茶はまた美味であった。テラス席で紅茶のおかわりを老人に注いでもらいながら、ニトロはテラスから見て最も美しくなるよう計算された花壇を見つめる。手前に背の低い花、奥に背の高い花、教科書通りとはいえ簡単には作り上げられない見事な立体感の中に調和の取れた色彩が置かれている。まるで風に吹かれてそよぐ名画だ。母の趣向とは違うが、母と話の合いそうな庭である。随分長居をしてしまっているが、それなのに長居をしているようにも思えない。庭が良いのもあるが、歳の離れた園芸友達の息子と話せることが嬉しいらしい老人との会話も楽しかった。
 テーブルの対面では、甘い豆菓子に楊枝を刺すハラキリが、部屋から流れてくるセスカニアンのクラシック曲に耳を傾けている。幻想交響曲、とか言ったか。ニトロも知っている有名なものだ。ここに来たばかりの頃はアデムメデスの有名な曲がかかっていた。パスタを運んできた老婆は、自分達が知っているのが有名なものばかりなもので、でもそれが好きなのだと笑っていた。ハラキリのカップの中では、老婆が昔のツテで手に入れたという希少なグリーンティーが澄んだエメラルドの輝きを日に照り返している。ハラキリは、その茶葉を少し分けてもらえるよう交渉し、それに成功してご機嫌である。口数の少ない老婆はグリーンティー好きの風変わりな若者に興味があるらしく、ぽつぽつと断続的にお茶談義を持ちかけていた。猫被りがうまいというか、そつがないというか、ハラキリは己の知識を曝け出すことなく、逆に言葉数の少ない老婆から上手く知識を引き出している。
 ――と、そのハラキリのモバイルに着信があり、それを一瞥した彼の眉目がにわかに翳った。
「どうした?」
 ハラキリの変化にニトロは敏感に反応した。既に心には警報が鳴っている。
「何があった?」
 最早トラブルが起こったことを前提にしているニトロの言葉にハラキリは困ったような一瞥を返し、今一度画面を見つめ、それから空を見上げる。ニトロも、老夫婦もつられてハラキリの見る方角へ目を向けた。すると、真昼の光に青い空の底に数台の飛行車スカイカーが見えた。まだ遠く、点にしか見えないが、それでも物々しさを感じさせる。頬を強張らせるニトロに、ハラキリが言った。
「ここらの管轄の警察署から出てきたものです」
「警察?」
 ハラキリはニトロの疑念には応えず、一つ息を挟んで、逆に問う。
「ニトロ君、何をしたんです?」
「俺?」
「ええ」
「何も悪い事はしてないよ?」
 何かしらの違法行為を行っているつもりはないが、面と向かって言われると妙に怖くなる。思わず上擦った声にハラキリは愉快そうに笑い、
「君が悪いことをしたとは言っていませんよ」
 携帯の画面を一瞥し――おそらく警察から情報を得てきた撫子からの報告があるのだろう――続ける。
「しかし、どうも君が何か“手柄”を立てたという話が出ているようです。例えば、何か見つけて通報したとか、そういうことは?」
「そう言われても……大体、さっきからずっと一緒にいただろ? 俺が何かを見つけて通報していたか?」
「だからこそ解せないんですが……ここに来る前に何かしたとか?」
「ここに来る前? 何もなかったなあ、あ」
「『あ』?」
「いや、つってもただ写真を撮っただけだよ?」
「それだけですか?」
「それを母さんに送った」
「はあ」
 ハラキリが相槌とも生返事とも取れない困惑の吐息を漏らす。彼よりずっと困惑しているのはニトロである。空の黒点は段々大きくなりつつある。相応の速度が出ているらしい。ニトロはモバイルを取り出し、その写真を表示して友人へ差し出した。
「これなんだけどね?」
 ハラキリはニトロのモバイルを受け取り、写真を眺め、やおら眉をひそめた。
「どうかしたか?」
 ニトロの問いにハラキリは首を傾げて、
「どうにも……どこかで見たような気がするんですが……」
「ハラキリも?」
「ニトロ君も?」
「だから母さんに送ったんだよ。何だろう? って」
「見せていただけますか?」
 と、横合いから入ってきたのは老人だった。画面に映っているものが植物であると察して興味を持ったらしい。ハラキリがニトロの了解を得て老人へモバイルを渡す。老人は写真を見るや、ハラキリと、さらにはそれを見つけた際のニトロと同じような顔をして、しばらくしげしげと写真を見つめた。老婆は老人の肩越しに写真を見るが、こちらは何の心当たりもないらしい。
 やがて、老人はため息をついた。
「これは、どちらで?」
 ニトロは背後に指を向け、
「そこを曲がって少しした所の、五階建てのアパートの下で」
「ああ、わたしはそちらを通らない。わたしは気がつきませんでした」
 老人はそう言いながらニトロへモバイルを返し、続けた。
「これは『ヴェザン』でしょう」
「ああ、なるほど」
 老人の言葉にハラキリが大きくうなずく一方、ニトロは呆気に取られていた。うめくようにして、なんとか問いを言葉にする。
「ヴェザン――ですか? 本当に?」
「おそらく間違いないでしょう。しかも驚くことに実をつけようとしているようだ」
「実を!?」
 驚きのあまり、ニトロは素っ頓狂な声を上げてしまった。ハラキリの目がニトロに合図をして、それを察したニトロはモバイルをテーブルに置く。老人の枯れた指が示したのは写真の隅、ぼやけてはいるが……確かに、花托かたくが肥大し始めている。しかし――
「でも栽培が許可されている『ヴェザン』は結実しないように……」
「そう、遺伝子操作されているはずです。ということは、誰かが実をつけられる苗を持ち込んだか、発芽可能な種を持ち込んだか」
「あるいは原種の一部を持ち込んでそこから培養したか。そうして育てたヴェザンの実から弾けた種がどうしたことかそこにやってきて、しかも花実までつけてしまった――というところですかね」
 言葉をいだハラキリに、老人がうなずく。
「栽培用に輸入された苗が突然実をつけた、という例は報告されていませんからな。その可能性が高いでしょう」
 バトフ星原産の『ヴェザン』は、猿孫人ヒューマンが食すると強烈な幻覚作用を引き起こす実をつける。見た目は少し刺々しい大振りの苺、というような形をしたその実は一粒で三日トリップできるとも言われ、『麻薬苺』という通称でアデムメデスでも知られている。ヒューマンの住む星では実の所有だけでなく、栽培はもちろん取引自体も軒並み厳しく禁止されているものだ。しかしその独特の魅力を持つ花には愛好家が多く、過去には密輸されたものが高額で取引されていた歴史もあり、そこで輸出品に乏しいバトフこくはヴェザンの遺伝子に手を加え、実をつけられないようにした上で売り出した。一般流通に載せて星間取引される植物は以前から星外来種の繁茂を防ぐために子孫を残せないように遺伝子操作をすることが常識であり、また非常に厳格な基準があり、そしてそれに合格した故に、バトフ星の悪名高い毒果は花壇で親しまれる花としてたちまち銀河中に広がったのである。アデムメデスでも、ヴェザンは『ドランツェ』という名で流通していた。
「そのような形状も、色も初めて見ました。実に素晴らしい」
 老人はため息をつく。ヴェザンといえば黄系が主流であり、一般的にヴェザンと聞いて思い浮かべるのも黄色である。それも、山吹色だ。その山吹色に斑に入った光沢が光を照り返す時、その色彩は慎ましやかにも黄金に見える。耐陰性があるため木陰や丈の高い植物の影に植えることができ、そこできらきらと閃く様は得も言われず美々しいのである。
 他の色では白やオレンジが知られているが、赤系は少なく、ピンク系となればさらに珍しい。またグラデーションがかっているのは幾種か知られているが、それも黄色と白、黄色とオレンジといったように二色ばかりで、写真のもののように三色というのは聞いたことがない。花の形もここまで丸くなるとは、老人だけでなく、もちろんニトロも、さらには“この手”のことにはやけに博識なハラキリすらも知らなかった。となれば、考えられるのは、グラデーションのかかった黄系にピンク系の花をつける株を掛け合わせることで、この種が偶然の中の偶然にも作り出されたということだろう。これまでにない新しい花の形をも併せ持って。それは本当に奇跡的なことだ。――が、
「しかし、悲しいことです」
 老人はしみじみと言う。
 ヴェザンは繁殖力が強い。熟しきった実は刺激を受けるとぱちんと弾けて、果肉に詰まった微細な種を周囲に撒き散らす。種は人の服や動物の毛に付着して運ばれた先で芽吹き、それがアスファルトの隙間であって逞しく育つ。目立つところに生えればまだ良いが、人知れずに咲かれては困ったことになる。種子は強く、長い乾燥に耐え、またさらわれた沼の泥から発芽した例もある。一度決定的に繁殖してしまえば、根絶のためには十数年あるいは数十年がかりの根気と努力が必要となるだろう。
「ニトロ君が見たのはこの一株だけですか?」
 空の黒点は、もう間近に迫っている。ハラキリは立ち上がっていた。
「うん、これだけ」
「ということは、可能性が高いのはそのアパートの住人が部屋で育てていることでしょうかねえ。それで例えば洗濯物を干す時に、服かタオルかに種がついていることに気づかずにいたとか」
「その種が下に落ちて?」
「そして芽が出て膨らんだ」
「それは可能性と言うよりは、希望ですね」
 老人が寂しそうに言う。子孫を残すことが許されぬ徒花あだばながすぐにも抹消されることが心苦しいのだろう。それとも、ひょっとしたら写真で見ても美しいこの花の姿をどうにかして残してやりたいという気持ちがあるのかもしれない。だが、バトフ星が権利を持つこの花をアデムメデスで勝手にどうにかする、ということはできない。警察も違法な外来植物を保護するなどということはすまい。
「同時に、その希望は恐ろしいことでもあります」
 老人の目には不安の影があった。長年連れ添った妻に視線を送る。それも無理はない。近場で犯罪が行われている可能性があるとなれば、老いた夫婦が恐れを感じることはむしろ自然なことだ。
 サイレンを鳴らさぬ五台の警察車両が、静かにカフェの上を通過していった。遅れてやってきた風が庭に咲く花々を揺らして、たおやかに揺れる花々の陰に山吹色の星々が奥床しく輝く。ニトロは何と言っていいか解らない。が、
「まあ、いつの世もいつになっても物騒なものですものねえ。どこにでも悪人がいて、どこにでも善人がいる」
 生意気な若者といった口調でハラキリが言う。すると老夫婦はテラスから部屋に足を踏み入れる少年に目をやり、一拍置いて、その物言いが急に面白くなったかのように皺の数を増やした。ハラキリはそれには一向気づかぬ様子で、
「しかし希望は何にせよ希望ですから」
 彼はコート掛けに引っ掛けてあるニトロのスポーツキャップを取りながら、
「それに、どうやらこの近くにコレは他には無いらしい。もし他にもあればご老人の目にはきっと触れる機会があったでしょう。ですが、そうではない。となればこの希望はまんざら分の悪いものではないと思います。もちろん遠くから運ばれてきたともなれば元凶を突き止めるのは絶望的でしょうし、そのアパートに希望通りに元凶があったところで数年は警戒が必要でしょうけどね」
 ハラキリはスポーツキャップをニトロに手渡す。このままこの場にいたのでは老夫婦に迷惑がかかりかねないことに気がついていたニトロは立ち上がってキャップを受け取り、足元に置いていたバッグを持ち上げる。すると、ハラキリが言葉は老人に向けながら、目はこちらに向けて意地悪そうに笑いかけてきた。
「それと、彼の『恋人』が彼の“手柄”をみすみす枯させはしないようにも思えます。おひいさんの執事もこの手には通じている。無論、希少性を知っていましょう。一応バトフ星は友好的な貿易相手でもありますからね、生き残る目もあることでしょう」
 ニトロは、ハラキリの言葉に歯噛みしていた。が、老人の頬が“希望”に染まる様子を見ては彼を妨げられない。この老人は花が本当に好きなのだ。希望に思いを馳せる夫を見る老婆も幸せそうで、この光景を壊すことは、自分には絶対にできない。それどころか、ニヤニヤとしたハラキリの目が促すことを断れない自分に対して呆れもする。
 ニトロは促されるまま、
「コレは、きっとこの庭に届くと思います」
 園芸友達の息子の言葉に、老人の瞳が輝いた。ハラキリはニヤニヤとしている。時々、本当にこの友人は、時ッ々本ッ当に意地が悪い。
「その時は、母とこのことについて楽しく話してください」
 ただ、ニトロはせめて老人の心の向く先を自分から別のところへ反らそうとした。それは効果があり、老人は楽しい未来を想像して嬉しそうにうなずいた。
 二人が手早く会計を済ませた頃、警察に続いて保健所や環境庁等、外星の植物を管轄する組織の車両が急行してきた。どこから沸いてきたのかマスメディアの車両も空に見え始めている。そこに手配良くジジ家の車――韋駄天が迎えにやってきた。韋駄天に乗り込んだ二人が見送りに玄関の外まで出てきた老夫婦に会釈をすると、速やかにアクセルが作動する。にこやかに手を振る老夫婦はすぐに後方に去り、角を曲がって二人が完全に見えなくなったところで、ニトロは運転席に座る親友へ鋭い目を送った。ハラキリは助手席から突き刺してくる視線に気がつく素振りすら見せず、
「つまり、ニトロ君のお母上がヴィタさんに報せたんですね」
「どうもそういうことらしいな」
 応え、ふと気になってニトロは携帯を取り出した。母からの着信もメールも無い。おそらく母はヴィタに確認した後、王女の執事から十全な対応を取る確約を得たところで安心してしまい、そこでこちらへの返事はうっかり忘れてしまったのだろう。
 何とも言えぬ顔で携帯をしまうニトロへハラキリは目をやり、
「ま、手柄といっても大した手柄ではありませんよ。いやまあ結果次第じゃ実際凄い手柄ではあるんですが、こういうことは地味ですからねえ、メディア受けも芳しくない。おおよそ“危機を防いだのは親子の絆が生んだ結果、という形の美談”とかそんな形にまとまるんじゃないですかね」
 ニトロはハラキリを一瞥し、前方の一時停止線を眺めながら嘆息する。韋駄天が滑らかに停止し、またタイヤが動き出し、
「それは、慰めてるつもりか?」
「そのつもりです」
「いいや、むしろ知らぬ間に出来てた切り傷をさらにぱっくり開こうとしてるよな?」
「しかしお姫さんがこの話題をどう扱うかを抜きにしても君が発見したことには違いありません」
「だとしても、同定したのは母さんだぞ?」
「だとしても、息子と母の連係プレーにもやはり違いなく」
「てことは結局、行き着くところは親子の絆?」
「さて?」
「ああ、チクショウ。いっそハラキリの予想が悪い方向に当たってくれたらただ見つけただけで全ッ然“手柄”じゃなくなるのに」
「その場合は広範囲で大騒ぎになるでしょうねえ、ちょっと面倒臭い」
「その大騒ぎを願う俺は悪い奴かな?」
「そう思うのならそう思う程度には善人なんじゃないですかね」
「善人なら善人に相応しい良い事があってもいいと思うんだけどなあ」
「その良い事が世間の大騒ぎってのはなかなかのアイロニーですねえ」
「何ノ話ヲシテルノカハ知ラネェガ、ドウヤラ善人ニ相応シイ『美談』ガ成立シソウダゾ」
 住宅街を抜けてスポーツジムへ向かう大通りに入りながら、車載スピーカーを人工音声が震わせる。
「え?」
 ニトロのかすれた声に反して、A.I.韋駄天は無情にも粛々と告げる。
「五階、夫婦ガ住ム部屋、ドウヤラソコガ発生源ダ。室内ニハ鉢植エガ沢山アルッテヨ」
「おや素早い。しかし、どうしてこんなに早く? 強制捜査も礼状取れるような状況じゃないでしょう」
「無線ノヤリ取リカラスルト、ドウモ降下中ニ警察ト容疑者ノ目ガバッチリ合ッタヨウダナ。ソシテソイツノ背後ニャ問題ノ花ガ満開ダ。即座ニ現行犯逮捕サ」
「そりゃまた不運なことで」
「ようし貴様ら、それ以上関わりたくない会話はその辺でやめてもらおうか」
「ああ、そうか、もしこれがキッカケになって大きな組織が芋づる式に摘発されたりしたら、それならメディア受けもいい“手柄”になりますかね」
「そんなの手柄どころか逆恨みを得るだけになるだろ」
「お姫さんならそれも含めて「ようし貴様、それ以上不安を煽ろうってんならぶん殴ってやる」
 愉快気なハラキリにニトロが険しく言うと、ハラキリはさらに愉快気に笑った。それから肩をすくめ、一つだけ問いかける。
「宝くじでも買いに行きます?」
 ニトロはふて腐れたように顔を背け、ニヒルに言った。
「俺にそんな希望があるわけないだろう?」

大吉   中吉   小吉
吉@   吉A   後吉   末吉

大凶

2015おみくじ時系列図表

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