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 杉山ミツコが死んだのは、およそ半年前の雨の日だった。
 享年54。死因は主に頭部外傷。原因は、自らが起こした事故。赤信号を無視して交差点に侵入後、右方より同交差点に青信号を直進してきたトラックと衝突、全身を強く打ち、病院に運ばれた後、そのまま帰らぬ人となった。
 目撃者によると交差点侵入前に杉山ミツコは運転席内で慌てた様子を見せ、ハンドルの下に手を伸ばす素振りを見せていたという。その後の調査で、杉山ミツコは買い物袋からこぼれて足下に転がってきたものを拾おうとして赤信号を見落とし、そのため運転を誤ったと推察された。
 そして、それは実際、正しかった。
 無論、それが真実正しいと明確に知るのは、故人である杉山ミツコただ一人である。足下に転がっていたものが缶ビールであったことを知るのも、彼女一人だ。床には事故の衝撃で助手席に置かれていたらしい買い物袋から飛び出した品々が散らばっており、そのどれが初老の主婦を死に導いたのかと確実に特定できる者はなかった。
 そう、確実に特定できる者はなかった。
 だが、確実にでなければ“特定”は誰にでも出来ることでもあった。
 杉山ミツコの夫、タダシはこう結論付けた。ミツコは、缶ビールを拾おうとして死んだのだ。
 夫の結論が当たっていたのは、ただの偶然だった。しかしその偶然を導く理由は、確固たるものとして彼の中にあった。
 ――その日の朝、杉山夫妻は大喧嘩をしていた。
 喧嘩のキッカケは、タダシがミツコの何気ない一言に過剰に反応したことにあった。杉山夫妻はよく喧嘩をする夫婦であり、喧嘩をすることそれ自体は珍しいことではない。しかし、いつもと違ったのは、いつもは多少喧嘩をしたところで出勤する時になれば夫を必ず見送り続けてきていた妻が、その日の朝は台所に引っ込んだまま夫を見送らなかったほどの大喧嘩だったということ。その日の喧嘩は夫妻にとって、何十年ぶりかという格別の大喧嘩であった。
 杉山夫妻には、約束事があった。
 例えどれほど喧嘩をしようとも、その日の晩には仲直りをしよう。怒りは翌日に持ち越さない。二人で一緒にビールを飲んで、水に流そう。
 普段、杉山ミツコは酒を飲まない。杉山タダシは普段は焼酎を飲み、ビールを飲まない。だが、その日、ミツコの運転する車には、缶ビールが二缶あった。他に床を転がり――例えばブレーキペダルに挟まりそうだとミツコを慌てさせるようなものはいくつかあったが、しかし、タダシはそれこそが缶ビールだったのだという強い確信を持っていた。
 だから、タダシは言った。
 俺があいつを殺したんだ。
 杉山タダシは涙を流さなかった。流す暇がなかった。冷たくなった妻と対面した時も、もっと先で、もっと安らかなものだと思っていたはずの母の死に直面した我が子らの悲鳴と嗚咽を聞いた時も。ただ涙をこぼす代わりとでも言うように、彼は、申し訳ない、申し訳ないと言い続けた。手を尽くしてくれた医者に、事故の報をくれた警察に、青信号を直進していたとしても過失を問われた事故の相手に。申し訳ない、申し訳ないと頭を下げ続けた。突然の悲報に、通夜に、告別式に駆けつけてくれた親戚縁者に、死んだ妻の友人知人たち、また家族の友人知人たちに――申し訳ない、申し訳ない。
 骨になる妻を見送った時も、骨になった妻を前にしても、葬儀一連の事柄を終え、雑事がなくなり落ち着いた頃に一人分の存在が消えて急に広くなった家に一人残されることになったと実感した時でさえ、タダシの双眸からこぼれるものはなかった。
 心が行き場を見失い、ただ、悔恨のため息だけがあった。
 あの日、喧嘩をしなければ。
 あの日、玄関に出てこない妻に俺がビールを買ってくると言えば。
 悪かったのは俺だ。俺がつまらない言いがかりをしなければ。
 ……ミツコを殺したのは、俺なんだ。
 その言葉を聞いた誰もが、そんなことはないと彼を慰める。お父さんは悪くないと、夫妻の独立した息子と二人の娘も言う。幼いながらに何かを感じ取ったのだろう、おじいは悪くないよと小さな孫娘も言う。
 しかし、誰の言葉も、力を失い落ちた彼の両肩を持ち上げることはできなかった。
 タダシにとってはつまらないドラマの、つまらないコメディシーンに甲高い笑い声を上げるミツコのない家は寒く、外気には秋風が吹けども、内にはすでに真冬の風が通り抜けている。

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