「味見は……どうするんだ?」
 化け猫は肥えた舌で美味いの不味いの講釈を垂れるが、さすがに幽霊がそうすることはできないだろう。煮汁の少なくなった鍋をゆすって芋を転がし仕上げ終え、そう思って座椅子で丸まる――寝ていやがった!――サキチに問うと、意外な方向から答えが返ってきた。
「味見なんて面倒なことしないわよ。完璧よ、完璧」
「それで……大丈夫なのです?」
「大丈夫よ、いつもそうだもの。だって見た目は完璧よ? なら味も完璧じゃない」
 明らかに破綻しているはずの論理もおばちゃんに自信満々に断言されると正しいような気がするのは幽霊に料理を習っている現状以上に不可思議なものだ。
 確かにうちの母も急ぎの時には味見をせずに作って、それでちゃんとしたものを出してきていたから、これはベテラン主婦の特殊技能というやつなのかもしれない。
「あ、だけど食べてみて? 反応を見たいから」
「はあ、それじゃあお言葉に甘えて味を見させてもらいますけど……」
「吾が輩ももらおう」
 いつの間にか台所に戻ってきていたサキチが自ら進んで言ってくる。どうやら、おばちゃんの作り方でどのような味になるのか興味はあったらしい。
 果たしておばちゃん指導の下で作り上げた煮っ転がしは、煮加減はちょっと外側がふやけすぎてる気がするものの許容範囲、が、色はひどく濃い仕上がりだった。早くから醤油で――それも他の調味料に比べて明らかに多く入れた醤油で染め上げたために、煮物に求める色合いよりずっと黒い。ぬめりを取らなかったためか里芋特有の粘っこさが強く主張され、そこに味が良く染みすぎているような様は実に不安を掻き立てる。鍋から取り出し皿に乗せた里芋一つ、菜ばしで二つに割り、片方を皿ごとテーブルの上のサキチに差し出し、おそるおそる、残った片方を口に運んでみる。
「……」
 驚くべき味だった。
 何と言えばいいのか、これは絶妙な加減で……そう、いまいちだ。
 正直、外縁は味が濃すぎる。色のイメージそのものに醤油の味が勝ちすぎ、香りはなんと最後まで取り出さずに入れっぱなしだったダシパックの煮出されすぎた臭いが里芋の香味を消している。けれど反対に、どうしたことか内側には味が染みていない。とはいえ味が染み込んでいなくとも、いや、この場合味が染み込んでいないからこそか? 旬の食材らしく香りも味も素晴らしく、外縁に比べて内はそれなりの煮加減になっていて食感も悪くない。
 ……だから……本当に、摩訶不思議なことだけど……この煮っ転がしは、外と内が合わさると何となく味のバランスが調うように出来ていた。
 この味のバランスの悪さ――いや、むしろバランスの良さはお見事の一言に尽きる。
 おそらく、これらのどの要素が欠けても、この味は成り立たないだろう。
 おかしな言い方だが、
「芸術的にイマイチだ」
 サキチが率直に言った。全く同意見だった。
 おばちゃんの眉が垂れる。あからさまにしょぼんと肩が落ちる。
 こうなると成仏どころではあるまい、これはまずいと思って何かフォローの言葉を探していると、おばちゃんは透けた体をさらに透き通らせるようにため息をついた。
「やっぱり、あなた達もいまいちだと思うのねぇ」
「……やっぱり?」
「おいしいと思うのよ? わたしは。でも家族にはずっと不評だったのよ。いまいちだ、って。でもこれがわたしの家の味だから直さないできたんだけどね? だってね? おばあちゃんも、お母さんも、秋になると里芋をたくさんもらってきて、これを作ってくれて、わたしが美味しいって言うと喜んでくれたから。わたしも一度でもそう言われたくってねえ。意地になってたのもあるんだけろうけど、今思うと少しは本の通りに作ってあげれば良かったかしらねぇ」
 片の頬に手を当てて言うおばちゃんは、悲しいと言うよりも、ただ残念という顔をしていた。
「だが、そのおかげで助かった」
 すると何のつもりだか、サキチがそう言った。おばちゃんはサキチの言葉にちょっと思案顔を見せた後、そうねと頷いた。
 俺は話が飲み込めず戸惑うばかりだったが、もう俺の役目が終わったことだけは理解できた。後は、
「ヨシユキ、冷めたらタッパぁに詰めてくれ」
「俺はついていかなくていいのか?」
「いらぬよ」
「いや、だって誰が持っていくんだ」
「風呂敷にでも包んでくれ。吾が輩が持っていく」
「どうやって」
「吾が輩の尻尾はお前の手より器用さ」
「人目に立つぞ」
「目立たぬよ。何しろ目立たぬようにできるからな」
「……化け猫め」
「化け猫様だ。帰りは明日の晩になるだろう」
「分かった。酒と肴は用意しておくよ。マツタケは駄目だが」
 特に“マツタケは”に力を込めて言うと、ふいにおばちゃんがマツタケは高いものねぇと相槌を打つ。これは予想外の助勢だった。もし、サキチが抗議をしてきても、もしかしたらこの成仏できずにいる幽霊の力を借りて……初めて、初めて勝てるかもしれない。
 そんな期待を胸にサキチの返答を待っていると、化け猫はこちらの意図せぬ笑みをニーッと浮かべ、
「役に立った褒美だ。譲歩してやろう」
 こ、このデブ猫、なんとまあ偉そうに目線も大上段から言い返してきやがった!
「代わりに旬の肴を用意しておいてくれたまえよ、ヨシユキくん」
 老獪な妖怪を負かす千載一遇のチャンスだったと思うのに……嗚呼。
「ヨシユキくん?」
「あー、分かりましたよチクショウ」
「畜生ではないな」
「あー、はいはい。分かりましたよ、この化け猫様が」

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