埋み火によせて



 ――昨夜、猫の死体を見た。
 ――黒いアスファルトと白い横断歩道の境界で潰れて死んでいた。
 ――それは私にとって、あのキリマンジャロの豹だった。


 子供の頃から、小説家になりたかった。
 子供の頃から、本が好きだった。
 子供の頃から、小説を書いていた。
 子供の頃から、書いた小説を、面白いと言ってもらえたことはなかった。

 私には才能がない。

 子供の頃、そう悟った私は小説家になりたいという夢を心の奥底に埋めることにした。
 子供の頃、「何になりたい?」と聞かれれば大声で「小説家!」と答えていた。それは私の心に赤々と燃える火であった。
 子供の頃、私の生活は本と紙に囲まれたものであり、子供ながらの遊びなどせず、当然友と呼べるものもなく、また作らず、ただ、ただ、心の中で燃えている、そのかがり火へ向けてひたすら夢中に走っていた。
 だが、父も母も、私の小説を誉めることはなかった。面白いという一言もなく、今思えば本と紙に囲まれるだけの私を心配して目を覚まさせようとしていたのかもしれないが、私の小説が詰まったノートに眉をひそめ、そもそも最後まで読みきってくれることもなかった。こんなことより勉強しなさい。こんなことをしていないで友達と遊びなさい。私の小説にはそんな言葉はひとかけらも書かれていなかったのに、両親の口からはそればかりがこだまのように返ってきた。ある日には、父はくだらないとはっきり言い切った。母は否定してくれなかった。
 私は、小説家になりたかったのだ。
 私はこう信じた。そうだ、私の作品の価値を父と母は解らないのだ。物心がついてから初めて抱いた軽蔑心は両親に向けられた。私は家を出た。ノートを抱えて友達と遊んでいる同世代の人間に語りかけた。読んで欲しかった。読んではもらえなかった。今思えば当然である。友達でもないただの同級生からいきなりノートをつきつけられても読んでくれるわけがない。
 しかし、二人だけ、読んでくれた人がいた。クラスの担任と、クラスでも有名な読書好きの女の子だ。
 先生は言った「よく最後まで書き切りましたね」
 女の子は言った「わたしにはこんな風には書けないわ」
 面白い、と、ただその一言が欲しかった。
 優しかった二人は私を傷つけないよう他にも色々誉めてくれたはずだけど、だが、その一言はついに出てこなかった。
 その頃の私は国語の授業がとても面白いその先生を尊敬していた。
 読書好きのその女の子が作文コンクールで賞を取るのを鼻で笑いながら、実は嫉妬していた。
 悔しかった。
 二人の誉め言葉が慰めにしかすぎず、反面体裁を取り繕う言葉であることが解り切ってしまったから余計に屈辱でもあった。
 先生には泣き叫び、女の子のことは散々に罵倒した。
 その様子があまりにひどく、ありていに言えばキチガイのようであり、そのため親が呼び出された。父は恥辱に任せて私を殴った。母は私に冷たい失望の目を向けた。その時、私ははっきり悟ったのだ。
 私には才能がない。
 それは、もしかしたら私の物心が本当の意味で目を覚ました瞬間だったのかもしれない。
 だから私は、小説家になりたいという夢を、それまでの私の生きる意味、人生のかがり火を心の奥底に埋めることにしたのだ。
 それからの私は人が違った。
 一切の創作を止めた。物語を読むこともなければ空想にふけることもなくなった。代わって私の手にあったのは学術書であった。あるいは野球やサッカーのボールであった。私は間違っていたのだ。父と母が正しかった。ならば父と母の言葉に従うのが筋であろう。それでも私を疑う父は、私の作品達を私の手で焼き捨てさせた。母は私がこれから書こうと小遣いの全てを注ぎ込み買い貯めていた原稿用紙を私の手で破り捨てさせた。私はそれにも当然従った。私の心に灰が降り積もり、埋めたかがり火に止めを刺した。千切れたカミは塵芥となって降り積もり、私の心の風景を一変させた。
 真っ暗だった。
 しかし、傍目から見れば、まさに私は普通の人間となった。
 父も母も喜んでいた。
 父と母が正しかったのだ。
 私は父と母に言われるがまま勉強し、スポーツに励んだ。
 高校は地域の上位校に進み、全国的に名の通った大学にも進んだ。
 傍目から見れば、私は普通の恵まれた人間であったのかもしれない。
 父と母は喜んでいた。
 父と母は間違いなく正しかったのだ。
 父は私の進んだ大学の名に満足そうであったし、母が近所の奥様方に誇らしくしていた姿を覚えている。近所の奥様方の目も、羨望に染まっていたように思う。
 しかし、私は、常にぎこちなかった。
 心の底に夢を埋めてからずっと、私は常に隙間風を感じていた。
 父と母は正しかったが、その正しさの裏側で、私は常に違和感を抱え続けていたのだ。
 成績は上がった。しかし、それが私に満足を与えることはない。知識が増えることには一定の快感を得ていたが、それを他人に評価されることには何の魅力も感じず、それどころか冷笑を向けていた。
 部活を通して得た友人は多かった。しかし、彼らと肩を並べて笑い合っている最中でさえ私は常に己に対して空々しいものを感じていた。孤独などという上等なものではない。それは侮蔑にも似ていた。
 恋人も出来た。しかし、彼女から差し向けられる愛情に、私は一度でも正当な愛情を返せたと言える気がしない。むしろ彼女との愛を交し合う最中には、友人達と笑い合っている時以上の空々しさを感じていた。それは、あるいは嫌悪ですらあったのかもしれない。私であって私でない肉体が、人格ある女性に愛され、その返礼に言葉巧みにうわべだけで愛を語る。虚言に投影された影絵芝居を見ているような感覚。彼女から別れを切り出された時、傍目には私は動揺していただろうが、本心では清清しさを感じていたように思えてならない。
 それら私の中の空虚な違和感が致命的な形となって私に襲い掛かったのは、いよいよ就職活動に入った時だった。
 そのための準備。
 ――自己分析。それが私の足元に奈落を開いた。
 ――自己実現。それが私の胸元に風穴を開けた。
 自己分析――私が私を分析した結果、言おう、私の本質はおよそ社会生活に適合するものではなかった。常に感じ続けていた違和感。普通の、と呼ばれる生活を私は結局どうしようもないほどの無価値なものだと思っていた。そんなものはいらない。私は心から誰かと語らうことも誰かと愛し合うことも必要としていなかった。成績に対する冷笑も、友との笑顔に向ける侮蔑も、恋人との愛に対する嫌悪も、それらは全て「そういうもの」に付き合っている振りをしている自分に向けたものであった。私が本当に向き合いたいものは他者との知力の比較でもなく友情でも愛情でもない。それらを自ら誰かと分かち合うのではなく、私は部外者で良い、ただ誰かが分かち合っている姿を記録に残したい。それを誰かに伝えたい。私は私の人生の主役ではなく、私の人生そのものが誰かの人生のフィルターになることを望んでいたのだ。
 自己実現――自己を実現する? その方法はあらゆる意味で一つしか存在しなかった。自己実現という哲学的な文言が私の胸元に空けた風穴は、私の心の中に吹き続けていた隙間風を暴風と化した。逆巻く風は私の心の奥底にも辿り着き、あっという間に、心の奥底に降り積もっていた灰を、塵芥ちりあくたを吹き飛ばした。吹き飛ばし、すると、そこに埋まっていたあのかがり火が、灰と塵芥の底で埋もれたまま、それでも尽きることなくじっと燻り続けていたあの夢が蘇り、一気呵成、瞬く間に大火となって私を飲み込んだ。

→次へ
←前へ

メニューへ