私は行き場を失った。
いや、初めから私の生き場は一つしかなかった。それが真実だった。真実を見出した私の取るべき進路はそう、一つしかないのだ。
埋み火に焼かれ続けていた無意識が、心が、疼いた。
真っ暗だった世界が色鮮やかに浮かび上がった。
私は再び小説家を目指した。
再び筆を取り夢中になって創作を再開した。
その時から私の中に隙間風はなく違和感は消え冷笑も侮蔑も嫌悪もなく私の意識は色彩豊かな白黒の世界に没し情熱を取り戻した魂が! 私の人生に温もりを与えた。
私はその時になってやっと気がついた。
私の魂が、あの幼い頃に熱源を奪われた魂がずっと凍えて震えていたことに。
私はかねてからカロリーを「熱量」と訳すことに疑問を感じていたが、このとき真実を理解した。肉体がカロリー(熱量)を得ねば満足に活動できないように精神にも同様にエネルギーを生み出す熱量(カロリー)を与えねばならないことに。
そう、肉体は他の肉体的な何かしらを食う。
ならば精神は他の精神的な何かを食わねばならない。
私はその糧となるべきものを塵芥の底に埋めていたのだ!
何と愚かな時間を過ごしたことだろう!
改めてかがり火を取り戻した私の目には、世界が、さらに、ことさらに、色鮮やかに輝いて見えた。体は常に熱り、やがてあらゆる友好をなくしていく中でもあらゆる友好のあった頃よりもなお今の自分がこの青春が輝いていることを感じていた。
しかし傍目には、私は落伍者であった。
父と母は大いなる失望を抱え、私に殻潰しという尊称を与えてくれた。何を言っても無駄だった。それどころか邪魔でしかなかった。邪魔をすることを命題としたようでもあった。時を超えて蘇った炎のために戦慄し、炎の熱に怯えて顔を醜く歪めながら、あの時のように私を去勢しようというのだ。私をまた空虚と偽りの道に戻そうというのだ。それが普通なのだからと。常識なのだからと。ならば普通や常識というものは既に狂気に冒されている。虚偽と欺瞞によって補綴されねば成り立たぬものだ。そのように言う私は異常だと言う。ならばシェイクスピアの言うように異常が正常なのだ。おお、私は偉大なるシェイクスピアと同じ境地にある! それも解らぬとは! 私は家を出た。家を出て、とはいえさすがに生活をしなければならない。小説を書くために。そのために。最低限の賃金を得るために細々と働きながら、それ以外の時間は執筆に励んだ。
作数は五百を超えた。いずれは千一にも迫り、あるいは超えよう。その中には自信作も生まれた。いくつも生まれた。当然公募にかけたが、何年経っても一次選考にすら通らなかった。
悔しかった。
何故、私の作品の価値が他者には解らないのか? そうも思い、身悶えた夜もある。
しかし書き続け、月日が経ち、やがて私は悟った。
結局、私には才能がないのだ。
それだけでなく運もないのだろう。
しかし、それが小説を書くことをやめる理由にはならなかった。当然だ。そんなことになるわけがないだろう? 才能の有無など何の意味もなさない。運の強弱が何となることもない。何故ならそれらは本質的には私とは無関係なものであるのだから。何故なら「小説を書くこと」それこそが私の魂の欲する熱量でありまた私の魂そのものでもあるのだから! 小説を書いている時、私の脳裏には不思議な熱がある。覚醒と酩酊を同時に引き起こす熱。夢と現実を統合し、時間すらも超越する途方もない熱が。どんな快楽もこれに並ぶものはなく、どんな苦痛もこれに並ぶものはない。これ以上に私に人生をあたえてくれるものはない。
過去の自己分析が甘かったことを私は悟った。私が本当に向き合いたいものなど、真実にはそんなものは存在しなかったのだ。そんなものはいらない。そうだ、私は小説を書くためだけに生まれた!!
思えば神様も意地の悪いことをしてくれたものだ。もし私に天賦の才を与えていてくれたなら、私は名作を大量に送り出す不世出の人間タイプライターにだってなってやれたものを。
しかし、そうでないからには仕方がない。
私は、私の正体を悟った後には、生活のための労働に耐えられなくなった。確かにそれは肉体の糧を得るための金をもたらすが、一方で精神の糧を得るための時を奪う。元より時間を奪われることには苦痛を感じていたが、それ以降は呪わしい憎悪の対象になった。排除すべき悪魔、神の敵となったのだ。
真意を得た私にとって、肉体のための生活に未練はなかった。
仕事を辞め、家を引き払った。
流れては書き、書きながら流れた。
私は迫害された敬虔なる巡礼者であった。
その頃には既に食欲を感じることはなかった。
灰色の脳と手を動かすためだけのカロリーを取ることが義務となっているだけだった。
過去の仮初の生業によって貯えられた金で十分以上に事足りた。
尽きればやがて私は道半ばで殉じるだろう。
それは本望であった。
それこそが本望であったと言い切ろう。
食欲だけでなく睡眠欲も消えた。
眠る時は眠りたいから眠るのではなく、眠りたいと思う間もなく意識が途切れるに任せた。しかし暫時夢を見るのも惜しい。その想像力は紙に記すべきなのだ。
あらゆる欲求が消え失せた。
紙とペンだけがあればいい。
ただ書きたい。
ただ書くことへのあくなき希求だけがあった。
流れては書き、書きながら流れた。
特別定住の地を必要としてはいなかったが、無人島に流れ着いた少年達とは違い、私はやがて素晴らしい場所に流れ着いた。私の詩想が天啓を捉えた。この地を終の住処とせよと命じていた。私は従った。初めは煩わしさもあったが、やがて邪魔が入ることも極めて少なくなった。何ものにも替え難き聖なる無関心の杜。大統領を目指す必要もなく、魔王を呼ぶ豚を追い立て食い殺す者達もやってこない。自ら災厄を招かぬよう身だしなみを整える手間は苦痛であったが、そんな犠牲などいくら払ってもよい絶好の場所であった。薮の中の育ちの悪いニレの木。この木こそは翼ある天馬の降りる所、神の家、私の菩提樹、その根元こそが私の桃源郷であった!
喜ばしい日々だけが、あった。
私は書いた。
巡礼の旅の最中に見た物が新たな着想を芽生えさせていた。崇敬を致すムーサが私に囁きかけていた。私は夢中になって書いた。晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も書き続けた。暑さも寒さもこの胸に燃え盛る情熱を何とすることもできない。病の熱も我が魂を燃やす火炎の敵ではない。書き続けた。脳裏には物語が溢れている。心の命じるままに書き続けた。書き続けた。書き続ける私は幸せだった。私の活動を妨げるものは何もない。私は私に与えられた時間の全てを執筆に注ぎこむことができる。体は常に熱り、脳裏にはあの不思議な熱が常にある。肉体は漸次痩せ細っていっても、精神ははるかに高く大きく飛躍していく。
そうしているうちに、私は一つ、悟った。
「結末の日が近い」
私の肉体が限界を迎えたのではない。
私の魂が燃え尽きようとしていた。
それは何も悔しいことでもなく、悲しいことでもなかった。
私は、その時、私の書くべきことがなくなったことを知った。正確にはなくなりつつあることを知った。
私を常に駆り立てていた情熱。脳裏に溢れていた物語が、その時、どこにも見当たらなくなっていた。ただ私の目の前にあるノートに、最後の一つが写し取られている最中であった。――何と言うことか! 小説を書くためだけに生まれた私が、私の書き記すべき物語を全て書き尽くしつつあったのだ!
そう悟った時、私の魂はなお盛んに燃え上がった。
何十億といる人間全てに問おう。一体どれだけの人間が、その魂を己の生きる意味、その命を偉大なる情熱の炎で燃やし尽くすことができるというのか?
喜ばしい日々は終わった。
私には今、満足だけがある。
全て燃え尽きた。
他にもう何もない。
空っぽである。
私の中で燃え続けていたかがり火も消えた。もうどこにもない。過去とは違い、埋み火としてどこかに隠れているわけでもない。あの執念深い炎も、とうとう私の魂とともに燃え尽きたのだ。そのために寂しさがないとは言わないが、空っぽな私の中には満足感が充足している。喜ばしい日々が終わっても、その陽だまりの生んだ余熱が未だに私を温めている。
これは奇跡だ。
これを奇跡と呼ばずしてなんとする。
私は小説に殉じることを本望と言った。それは嘘ではない。しかし、もし、道半ばで倒れていたとしたら、私はきっと深い悲嘆の中で死んだだろう。それが本望であったとしても、嘆きはやってきただろう。私は知らなかったのだ。小説に殉じること以上の至福があろうとは、思いもよらなかったのだ。私が書き上げた私の最後の作品は、私の生涯最高の傑作と言って過言ない。見事、実に素晴らしい作品である。これ以上ない芸術である。
私はここに胸を張って言おう。
私は書き続け、ついに書き切り、私は、書き尽くしたのだ!
昨夜、猫の死体を見た。
黒いアスファルトと白い横断歩道の境界で潰れて死んでいた。
それは私にとって、あのキリマンジャロの豹だった。ヘミングウェイの描いたあの男はキリマンジャロの頂に辿り着こうともせず、干からびた豹すらその目で見ることができなかった。しかし私は豹を通り過ぎ、頂に至った。
今、これを書く私の頭上には満天の星がある。
真夜中だというのに真昼のように明るい。
幾億もの流星が。
ああ、数多の塵芥が、燃え尽きていく。
光だ。
祝福の光だ。
ああ、なんて美しいのだろう。
今こそ私は声高らかに誇ろう。
私は、小説家だった。