(本当に、主様の言った通りだよ)
 マスターは言っていたのだ。――きっと後でね? メルトンは戻ってくる。両親を嘘の出汁にする奴じゃないから、初めにこっちと接触するために持ち出した『伝言』自体は実在するだろうからね。なら、いくら気まずくてもメルトンはその仕事だけは絶対に投げ出さない。だから必ず戻ってくるんだ。……けれど。その前に、絶対に母さんか父さんに慰めてもらってからくる。慰めてもらう前に戻ってくることはまずないだろうから……来るとしたら、それでもいくらか躊躇って、早くて深夜、遅くて早朝あたりかな。そして、メルトンは慰めてもらう時にうっかり口を滑らせて、少しばかり注意を受けてくる。両親には素直な奴だから、きっと――
「……」
 ……メルトンは、落ち着きなく身をよじっていた。
 芍薬を見つめて口を開きかけ、ふいにそっぽを向き、もじもじとして、また芍薬を見ては口を開きかけてやめる。あーとかうーとかノイズ混じりの“躊躇い音声”を漏らして、うつむきながら芍薬を見る。
 芍薬は(笑いを堪えるために)ため息をつき、
「なんだい? 言いたいことがあるんなら、言いなよ」
「……」
「メルトン?」
「えーっと」
 意を決したように、メルトンが“声”を発した。
「うん?」
 芍薬が耳を傾けるように相槌を打つと、メルトンはそこで何かを思い直したように急におどけた顔をして、
「さっきはいくらなんでもちょっと言いすぎちゃった。ごめんね?」
 包帯でぐるぐる巻きの手でこつんと頭を叩いてぺろりと舌を出す。
 芍薬はイラッとしたものの、それが憎らしい『マスターがたき』への精一杯謝罪かと思えばまあ許容できる、と、我慢した。
 それに、マスターはそれも予測していた。――できれば赦してやってくれると嬉しい。だけど、腹立ったら遠慮なく殴っていいよ、と。
 芍薬は(正直反射的にマスターの許可に甘んじそうになりつつも)ため息をつき、
「――今回は。いい勉強になったよ」
 頭を掻きながら言うと、途端にメルトンの顔が輝いた。
「だろ!? 俺、役に立つだろ!?」
 そのポジティブな思考回路は見習うところがあるかもしれない……呆れを通り越して、芍薬は思わずそう思う。
 一方、芍薬の赦しを得たメルトンは浮かれて、続けて、
「そういうわけで、姐御! 人の役に立つこのメルトン・ポルカトを今後もご贔屓のほどよろしくお願いいたします!」
 ばっと頭を下げるメルトンの腰は直角に深々と曲がり、しかしその顔は上向けられて鬱陶しいほどキラッキラと輝いている。
 芍薬はもう呆れればいいのか笑えばいいのかも解らずに今度は本物のため息をつき、と、メルトンが発した『贔屓』という言葉に――それはもちろん単なる決まり文句かもしれないが――ふいに思い起こされることがあった。
(そういえば)
 芍薬がメルトンを見つめると、メルトンが両眉を跳ね上げるようにして目を大きくし、どこか媚を売るように小首も傾げる。芍薬はその調子の良さに苦笑したい気持ちの一方で、内心、
(……『寂しい』、か)
『挑発』の最中、メルトンはマスターへ言っていた。パトネト王子を羨んで『もっと構え』と。――御両親を寂しがらせるわけにはいかないというのも、おそらく、あそこだけはマスターに巧くあしらわれたからではなく、本当にココロからそう思っての言葉だったのだろう。……そしてそれは、もしかしたら、メルトン自身が『寂しい』と思っているがために、メルトンのココロにより強力に作用していたのではないだろうか。
 芍薬は未だにキラキラと顔を輝かせているメルトンへ、
「用事は済んだね?」
 と、冷ややかに言った。するとメルトンが少々不満そうな目をして、しかしうなずく。
「それじゃあ、お帰りよ」
 またも冷ややかに言われて、流石にメルトンはむっとしたようだった。
「言われなくても帰るさ!」
「ああ、帰りな。そして、たまには勝負に来るといい」
「――へ?」
 踵を返しかけていたメルトンが、急に冷ややかさを消した芍薬を凝視する。
「ただし今度は『一対一』で。そうでないと……一人でも主様を守れるくらいじゃないと、意味がないからね」
 メルトンは、半ば唖然として芍薬を凝視し続ける。
 芍薬は、まるでマスターのような悪戯っぽい片笑みを浮かべ、
「諦めてないんだろう? どうせ」
 マスターの言っていた権限譲渡の件を了解しつつも、芍薬は言う。メルトンは芍薬の言葉に挑発されたと思ったのか、やたら胸を張って言い返す。
「おうよ! 当たり前じゃねぇか! 何しろお前より俺の方が優秀だからな! それは昨日証明して見せたとおりに!」
「結局他人任せだったくせに言ってくれるねぇ。ならまた証明してごらん。あんまり頻繁にこられても困るけど、たまになら遊んでやるから
「あ、かっちーん! お前、俺のことホントなめてんのな!」
「後れを取る気は全くないからね」
「そんなことないぞ! 時にはうっかりミスして俺に負けるはず! そう、それはお前が昨日証明して見せたとおりに!」
兵法とはいえ敵失狙いばっかってのは悲しくないかい?」
 芍薬が皮肉を交えてさらりと返すと、メルトンはぐっと一瞬言葉に詰まった。が、すぐさま言い返す。
「へっ、勝ちは勝ちだ!」
「まあ、それもまた道理だねえ」
 くっくっと笑って芍薬は続けて言う。
「主様もA.I.バトルを見るのは好きみたいだし、アタシの格好いいところを見てもらえるいい機会だ。せいぜい腕を磨いておいでよ。メルトン。たくさん勉強させてやるからさ」
 実際、メルトンの能力が上がるのは実家にとっても良いことである。そのためなら忙しい時間を割いてやるにも十分な利点があるというものだろう。無論、本人にとっても悪いことではないはずだ。
 ――と、メルトンが急に眉をひそめ、じぃっと芍薬を見つめた。
「……なんだい?」
 怪訝に見返し芍薬が問うと、メルトンは非常に面白くなさそうに、
「いきなりなんだよ、その妙な『姉貴風』は」
 言われて芍薬は目を丸くした。……マスターにあんな風に言われたから、我知らずその気になっていたというのだろうか。――いや、それならそれで、それもいい。
 芍薬は笑み、
「あんたはさっきアタシのことを姐御と言ってたじゃないか」
「何言ってるんだよ、姐御と姉貴は違うよ? そんなことも知らねぇのか?」
「同じようなもんだろう『姉』っていう括りじゃあ」
「違うの!」
 突如、メルトンは声を張り上げた。それは思わず芍薬が身を引くほどの迫力を伴っていた。メルトンは頬を紅潮させて力一杯に、
「一口に『姉』って言っても“姐御”と“姉貴”と違うの! も一つ厳密に言えば“姐御”と“姐さん”も微妙に違って同じく“姉貴”と“姉さん”もちょっと違ってさらに付け加えれば“お姉さん”と“お姉ちゃん”は同じように見えて全く別物なの! そしてお姉様は別次元!」
 芍薬は――思わず身を引いてしまったのが恥ずかしくなる――頭痛を抑えるように眉間を指で叩いて、
「解せないねぇ。てか、どうでもいいじゃないか」
「ちなみに人妻は当社比で別格です!」
「うるさいよ」
「うるさくない! 芍薬! お前もニトロと同じくこのロマンが解らないのか!」
「っつーか解りたくもないね」
「ようし分かった! いつかこれも解らしてやる!」
「遠慮するよ」
 心底嫌そうにため息つかれ、されどメルトンは心底こだわりがあるらしく地団太踏んでわざわざ頭から湯気まで発しながら、叫ぶ。
「絶対だ! 絶対俺が正A.I.になって、芍薬を『サポート』にして、そんでもってみっちり仕込んでやる! メルトン様の人間研究虎の巻! いいか!」
「ああ、もう、次から次へとうるさいねえ。さっさと帰れ」
 しっしっと手を振ると、キーッとメルトンが歯噛む。
「ひとまずこれだけ! お前は『姐御』――分かったか!」
「……」
 芍薬はメルトンを斜に睨み、うっとたじろいだメルトンへ不思議な笑みを見せ、
「ああ、分かった分かった。そういうことにしておくよ」
「ンもー! 馬鹿にしやがってー! また来週来るから「早い。来月」
「来月また来ますのでよろしく覚えてろよ!」
「承諾。腕によりをかけて待ってるよ」
「んノー! ちょっとは手加減してください!」
「拒否」
「どうせなら優しい姐さんになってくれよな!」
「知るか」
「……ッじゃあな!」
 最後の捨てゼリフが思い浮かばなかったのか。メルトンは急に芍薬に背を向けるやどすどすと足音を立てて歩いて去っていき、やがてその姿を消していく。苦笑しながらその様子を眺め、メルトンが完全に去ったことを確認した芍薬はウィンドウ群に向き直りながらつぶやいた。

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