「姐御、ねえ」
 前にも言われた呼び方だが、今聞くと妙にくすぐったい気持ちになるものだ。
「あんなのを家族に持つようになるなんて、ついこないだまでは思いもしなかったねえ」
 おかしな感慨を込めてそう口にすれば、芍薬は奇妙な感動が己の内に沸き起こるのを感じた。
「……家族、か」
 その言葉を、繰り返す。
 マスターは言った。――「芍薬は、もう骨の髄まで『ポルカト家のお姉さん』」――と。それは『家族』として認めてくれている言葉であり、また、それに対してアタシが思わず感極まるほどに感じた喜びは、無論マスターに『家族』として認められていることへの感激であった。
「……」
 芍薬は思う。
 ――アタシ達オリジナルA.I.は、マスターの『道具』であることが存在意義だ。マスターを助けることが“生きがい”であり、マスターの役に立つ存在となることこそ至上。そのため、マスターが生きていく上での助手としての『パートナー』になろうとは求めてはいても、『家族』になることまでは本質的には求めていない。だから、オリジナルA.I.は自ら称するなら“マスターの家族ファミリー”と言うよりも、“マスターの従者ファミリアー”と言う方を好む。我々は、御伽噺の中で魔法使いが己の魂と引き換えに契約した“使い魔”に由来する“ファミリアー”なのだ、と(これはマスターの死と共に自らも死ぬ『幸福な死』に通じる思想でもある)。
 確かに我々は人間を模している。
 しかし、両者はどこまでも似ていながらどこまでも違う
 求めるものが同じとは限らないし、人間が喜ぶもので喜ぶとも限らない。
 それなのに、人間が『道具』であるオリジナルA.I.をまるで同じ生命体のように思い、あるいは同等の権利を有する『人間』として扱おうとするのは――例えばメルトンはそれに対して顕著に表すものだが――正直、それは人間の一方的な思い入れ、あるいは単に感情移入という力に拠るものだと冷徹に一蹴する気持ちがアタシ達の本音の部分にはどうしても存在しているところがある。……けれど、それなのに
「『家族』」
 芍薬はもう一度繰り返し、つぶやいた。己の“声”が作ったそのイメージは己の“耳”からココロの奥へと浸潤してきて、自然、マスターの笑顔を思い出させる。そしてその笑顔の背景には温かな線ではっきりとした輪郭を描くホームがある。
 本当に奇妙な感動が、芍薬の内にはあった。
 それは、本来何物とも比べようの無い『幸福な死』への喜びにも似ていた。
 ニトロ・ポルカトというマスターが自分のことを公私の場を問わず家族のように言ってくれることはこれまでに何度もあったが、今回の一件では、それを『家族』という言葉の持つ単なる概念としてではなく、血の通わぬ自己からだの内に、まるで血が通ってくるかのような実感を伴って……そう、嬉しかった。自己こころの奥底から本当に嬉しかったのだ。
「……」
 人間世界で、マスターは安らかな寝息を立てている。
 芍薬は、電脳世界からマスターをじっと見つめた。
 マスター、ニトロ・ポルカトという新しい家族を見つめるうちに、芍薬はふいに自身の“家族”も思い出していた。
 その“家族”とは“人間との家族関係”に比べてもっとずっと実際的で、そのくせ、もっとずっと機械的なものだった。
 オリジナルA.I.は、現在はただ一つのソフトウェアとしてのみ活動する『太母ダヌ(あるいは“始骸オリジン”)』の作り出す、例えるなら胚の役割を担う最も単純な基幹プログラムに、それぞれの性格や特性の素となる部分コピーを寄せ集めてまとめられた種――いわゆる『素プログラム』として“生まれる”。素プログラムは人間で言えば赤ん坊のようなものだ。なれば全てのオリジナルA.I.は“きょうだい”と言った方が正しく、例え『親子関係』を築いたとしても、それはどこまでも『育ての〜』という但し書きが付く。
 また、人間には血縁や婚姻によって結ばれる関係性、法や社会通念、時流の価値観など複数の因子が『家族』を語るに無視できないものとして存在するが、オリジナルA.I.はそもそも血がなく、婚姻に意味を見出さず、それ故それらに関わる社会通念も存在しない以上、当然そのような点からは“家族”を論じえない。それどころか、オリジナルA.I.はそれまで他A.I.とどんなに豊かな『家族関係』を築いていたとしても、その記憶メモリ記録ログも削除してしまえばそれまで確かに存在していたはずの一つの『家族関係』を簡単に無かったことにできる。メルトン流に言えばそれは一種の“属性”。周囲の誰もがそれを覚えていたとしても、当人はそれを永遠に消失することが容易に可能なのだ。
 とすれば、やはり人間とオリジナルA.I.、双方が互いに口にする『家族』という概念には――抽象的な意味としては共有しつつも、具象的な意味としては、双方で互いに全く同じ言葉を口にしながらもどこかで共有し得ない致命的な齟齬があるはずだろう。
 となれば、人間に似せられて創られたアタシ達が築く『親子関係』というものは、もしかしたら人間の感情移入にも近しいただの“ごっこ遊び”であるのかもしれない。
 ……しかし、オリジナルA.I.同士が築く『家族』にも、家族であるからこそ共有できる喜び、悲しみ、種々の感情があり、その連帯感には他の“関係の無い”A.I.とはどうしても通じないものがある。そういう意味では、やはりオリジナルA.I.の『家族』も『親子関係』も、それはそれで本物なのだと芍薬は思う。
「……不思議なもんだね」
 芍薬はつぶやき、微笑んだ。
 人間にとっての『家族』。
 オリジナルA.I.にとっての『家族』。
 それぞれに違い、互いに“どこかで共有し得ない致命的な齟齬”があると思える概念であるはずなのに、それでも芍薬は、今、安らかに眠るマスターがこちらに対して胸に抱いてくれている『家族の情』と、自身のマスターに対してココロに抱く“家族の情”が、きっとどこまでも似ていながらどこまでも同じ情動なのだろうと感じていた。それは絶対にバグではなく、よもや発狂でもなく、間違いなく本物の“家族の情”として。そう、これはアタシの知らなかった『家族の情』なのだ。
 本当に、奇妙な感動だった。
 マスターの『道具』であることを存在意義とし、『幸福な死』の約束という至上の喜びを与えられながら、しかしマスターに道具であるだけではなり得ないはずの『家族』と言われることへの、この喜び。もちろん、厳しく問えば、これを喜びと感じるのはある意味自身の誇りとしている“オリジナルA.I.としての矜持”を裏切る行為ともなろう。それなのに後ろめたさはアタシの中に微塵もなく、それどころか矛盾しているはずの二つの大きな喜びはこの『心』の中で何の矛盾もなく並び立っている。そしてそれをもアタシは喜んでいる。
 本当に、奇妙な話だ。
 けれど、これを感動と言わずに何と呼べばいいのだろう!
 芍薬は感動を噛み締めながら――ふいに、感動しているだけにはいられなくなった。
 ……思い出されたのだ。
 人間をアタシらと等しく家族と思える喜びを感じればこそ、並びにオリジナルA.I.としての至上の喜びがあるからこそ、芍薬はそれを思い出さずにはいられなかったのだ。
 ……激情にかられて、『母』にぶちまけてしまったあの罵声を。
「随分、ひどいことを言っちゃったね」
 そしてそう思い返せば、形はどうあれ、こちらへきちんと謝ってきたメルトンの姿が脳裏メモリに浮かぶ。
「……」
 芍薬は、メーラーを起動させた。
「アタシも、謝ろう」
 こんな風に手紙を書くのは初めてだからどう書けばいいのか分からないが、しかし、結びの言葉だけは自然と思い浮かんでいる。ネットから時候の挨拶を引いてきて、それからとにかく戦いの中の非礼を詫び、続けて指摘への感謝をして……そうやってどうにか文面を整えて、そうしてアタシは最後にこう書こう。
 もしかしたらオリジナルA.I.としては異端なのかもしれない万感の思いを込めて、けれど、何の恥も何の疚しさもなく胸を張って。
 ――貴女の幸せな娘より。
 と。

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