「それにしても……メルトンに対しては、なんでそうなるのかな」
 今回の、根本的な原因。
「……」
 芍薬は目を伏せ、一点を見つめていながらどこにも焦点を合わせていない眼をしている。しばし待つが答えはなく、ニトロは問いを重ねた。
「芍薬はメルトンには何か『特別な感情』があるよね。しかもそれは、メルトンとの付き合いを深めるごとに強くなっている気がする。……それは、一体、何?」
「……」
「今日の芍薬は、芍薬らしくなかった。メルトンにも言ったけど――」
 加えて撫子にも言い、撫子も否定しなかったけど、
「メルトンの挑発は確かに巧かった。けれど、いつもの芍薬なら引っかからないだろう? 何が隙を生んだところで、それを相手に簡単には突かせないはずだろう?」
「……」
それはやっぱり、メルトンが俺の前のA.I.だから?」
 芍薬は首を横に振る。強く。
「……それじゃあやっぱり、メルトンが、俺を裏切ったから?」
「…………ソレハ、アルヨ」
 芍薬がようやく口を重く開き、しかしすぐに言い直す。
「ウウン、ソレモアル、ッテ方ガ近イノカナ」
「それ?」
「チョットネ、上手ク説明デキナインダヨ」
「うん?」
「マスターヲ裏切ルナンテあたしニトッテハ何ヨリ最低ノコトナンダ。ダカラ、メルトンノコトハ、ソレモアッテ軽蔑シテル」
「うん」
「デモ、軽蔑ハシテルケド、ポルカト家ノA.I.ッテコトハ……認メテル」
「うん」
「――ドウシテモ思ッチャウンダヨ。あたしヨリ多ク主様ト過ゴシテ、天然サンダケド、シッカリシテルトコロハシッカリシテイル優シイ御両親ニモ育テラレテ、ソレナノニ何デソウナンダ……ッテ。ソウ思ウトドウシテモ、連絡ヲ取リ合ウ度ニ、顔ヲ合ワセル度ニ、メルトンヘノ不満ガ募ル。
 ――モドカシインダ、多分、コノ気持チハ、キットソウナンダト思ウ。モシカシタラ、コノ正体ガハッキリシナイカラ余計ニ怒ッチャウノカモシレナイ」
 聞いているうちにニトロは、ああ、と気がついた。
 そして同時に、芍薬の“思い入れ”に彼は思わず笑ってしまった。
 芍薬が、マスターの思わぬ反応にきょとんとする。
 ニトロはきょとんとしている芍薬を見つめ、笑みを苦笑に変えながら、
「まあ、でも、ティディアに初めて絡まれた当時の俺は、メルトンに偉そうに言えるほどしっかりしてなかったと思うし、ハラキリに助けてもらいながら調子に乗って失敗もやらかしたし……だからやっぱり俺はメルトンと似たところのある『兄』なんだろうなって思うよ? 芍薬は、その点、ちょっと俺のことを持ち上げすぎかな」
「――ソンナコトナイサ」
 不満気に芍薬は言う。しかしそれ以上言わないのはマスターを立ててのこと、それに、確かに『映画』あたりに該当データがあったからだろう。ニトロは悪戯っぽく片笑みを浮かべ、
「まあ、それでもメルトンは前から『駄目な弟』だとは思うんだけど――ね?」
 ニトロに真っ直ぐ見つめられてそう言われた芍薬は、マスターの眼差しの意図を掴み切れずに少し小首を傾げながら同意のうなずきを返す。するとニトロはまるで企みを披露するかのように笑みを深め、
「で、それは芍薬にとっても言えることなんだよ」
 だが、そう指摘されても、それがあんまり唐突な指摘であったから芍薬はまたきょとんとしてしまう。目をぱちくりとさせるばかりで言葉を紡げず、ひたすらマスターを凝視してしまう。
 芍薬の珍しい様子に、ニトロはにっと笑い、
「『家族ほど身近な憎悪の対象はなく、家族ほど深く憎める者は他にない』」
 それはある哲学書の有名な書き出しであった。本文はこの後に『しかし〜』と続いて最終的には家族愛の重要性を説くのだが、一般的には印象的なこの冒頭だけが広く認知されている。
「ちょっと極端だけどね、きっとそういうことなんだよ。
 芍薬にとっても、メルトンは『駄目な弟』。
 だから必要以上に気にかけてしまう
 もしかしたら、メルトンにとっちゃ芍薬は『優秀で、小うるさいお姉さん』……なのかもしれないね」
 きょとんとしていた芍薬の顔に、次第に理解が滲んでくる。そして、
「ヒドイヨ主様。『小ウルサイ』ダナンテ」
 芍薬の顔に笑みが戻る。
 ニトロは悪びれずに笑み、
「ということは」
 と、人差し指を立てる。
「トイウコトハ?」
 戯れるように芍薬が繰り返す。
「芍薬は、もう骨の髄まで『ポルカト家のお姉さん』」
 芍薬が息を飲む。感極まったように。
「まあ、あいつはあんな奴だけど、今後ともよろしく頼むよ」
 苦笑混じりに『兄』として言うニトロの視界から――モニターから芍薬が消えた。
「コチラコソ」
 と、その声は横手から上がった。
 ニトロが振り返ると、アンドロイドが――芍薬が正座をして、深く頭を垂れていた。
「改メテ、ヨロシクオ願イシマス」
 その姿に撫子の面影を感じて、ニトロは微笑んだ。
「うん。改めて、死んでからもずっとよろしく」
 芍薬が顔を上げる。気取りもなく差し込まれた『約束』の確認を受け、その表情は呆けているようにも見えた。芍薬の綺麗な人工眼球を見返しながらニトロは満足気に吐息をつき、そして言った。
「ところでお腹が空いちゃってさ。今日は芍薬の料理が食べたいから、簡単でいいから何か作ってくれる? あ、食後はコーヒーで頼むよ」
 後腐れ一つないマスターの笑顔。そして嬉しい用命に、芍薬は勢い良く立ち上がった。
「承諾!」
 瞳を輝かせ、そうして腕まくりをしながら――“感覚”が連動しているのだろう、左腕の動きは若干鈍い――いそいそとキッチンへ向かう……と、突然、その途中で芍薬は軌道を変えた。ニトロの元へ歩み寄り、きゅっとニトロの手を握って、はにかみ、それから再びキッチンへと向かう。足取りに合わせて揺れるポニーテールはまるで踊っているようだった。その結われた髪を飾る、あの『劣り姫の変』の最中にウェジィで特注したカンザシは喜びを謳うかのように煌いている。
 それを、突然手を握られて驚き、少し呆けながら眺めていたニトロは……やおら微笑んだ。微笑んで、これでこの件の全てに決着がついたかなとまた一つ息をついたところで、彼ははたと思い出した。
「あ、そうだ。芍薬」
 芍薬が振り返る。
「何ダイ?」
 ニトロはどこか困ったような顔で頭を掻きながら、
「もう一つ。これはメルトンへの対処なんだけど」
「対処?」
「そう。きっと後でね?――」

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