「エ?」
「少なくとも二回は権利があるし、俺もお前のマスターとしてそれを了承する。そうしないとフェアじゃない」
 芍薬が、再び顔を上げた。そこにはきょとんとした顔があった。その横ではわたわたと手を動かしてメルトンが、
「チョ、ニトロ? マイマスター?」
 ニトロを制止しようとするが、ニトロは構わずマイペースで続ける。
「さて、メルトン? お前から俺のA.I.の座を奪還しようとする芍薬は、必死だぞ? 次は撫子の助けはない。その上、今回芍薬がお前の要求を呑んだように、次回、芍薬がどんなルールを要求しようがお前は飲まなくちゃいけない。それでなくとも一度卑劣な不意打ちを食らわしたお前はいつ襲われても文句を言えないんだ。その時、お前にどんな“不幸”があってもお前が招いた結果だからしょうがない。俺は承認する」
「アノ、チョ、ニトロ待ッテ待ッテ!」
「メルトン、今回、確かにお前は『勝った』。撫子っていう切り札を知った後に思えば、お前の挑発はそりゃあ見事なものだったと思う。ほとんど“素”とはいえ、それでも“演技”し切ったところには俺も騙された。そして策略通りに芍薬を挑発に乗せてその隙を突いたところは本当に凄い、感心してるよ」
 顔を上げてニトロを見つめていた芍薬の顔が、恥辱のために赤くなる。
 ニトロはそれに気づきながらもやはりマイペースに、言う。
「だが、どうする? メルトン。今回の勝ちは、『勝ったという事実』だけは本物だ。ということは、あの『ニトロ・ポルカトの戦乙女』から一本取ったっていう凱歌を吹かして安全に帰宅する道もあるんだぞ? もちろん、そうせずに俺のA.I.になってもいい。それも俺は承認する」
 メルトンは、静かな迫力すらあるニトロの言葉を、黙って聞いている。いや、黙って聞くことしかできないようである。その目は次第に伏せられ、顔も次第に伏せられていく。ニトロは続ける。
「けれど、俺のA.I.になると大変だってことはここで宣告しておくし、断言もしておく。うちに来る合法違法種々雑多なアクセスへの対処だけじゃなく――お前は幸いまだ使っていないけど――実家の『緊急警報システム』への気配りも忘れちゃいけない。電脳世界だけじゃあないぞ。人間世界こっちでもたくさんの人間を相手にする必要もある。ただでさえ厄介なティディアを相手にするのに加えて、メディアへの対応もある、ルール違反をする“ファン”への対応もある、ご近所への気配りも必要だし、警察や警備会社との連携の必要もある、それ以上もある。本当に命を懸けなくちゃいけないような事件もまた起こるかもしれない。その時お前は、そこにあるアンドロイドを操作して勇猛果敢に戦わないといけない。例えお前が破壊される危険に晒されても、芍薬の代わりというのなら、それを覚悟で俺の手となり、矛となり、盾となってもらわなきゃならない」
「……」
「俺も昔の俺じゃない。お前に求めるものは大きいぞ? 俺だけじゃない。『ニトロ・ポルカトの戦乙女』から座を奪還したお前の浴びる注目はそりゃ凄まじいだろうな。いや、お前にとっちゃ、それこそ望むところなのかな」
「……」
 今やメルトンは芍薬に代わってうつむき、沈黙し続けている。かすかに見える双眸がキョロキョロと動いているのは、現在、必死に『計算』しているからだろう。
 そこに、ニトロは幾分口調を和らげ言った。
「本当は今だって結構大変なんだろう? 実家への迷惑なアクセスをお前がちゃんと捌いてることは、聞いている。それだって“一般的なA.I.”の比じゃない忙しさだろう? お前はそれをちゃんとこなしてるんだ。それだけでもお前は立派に“一角ひとかどのA.I.”だよ。それに……何より、父さんも母さんもお前をとても可愛がっている。お前はもう一人の息子みたいなもんだしな。お前が普段あの制服を着ているのだって、俺の代わりだからだろう? お前までいなくなると、父さんと母さんは、きっとひどく寂しがる。なあ、メルトン。俺の代わりお前以外にはできないんだ
 ニトロは口を閉じた。
 メルトンは、完全にうつむき黙している。
「……」
「……」
 メルトンはまだ何も言わない。
 ニトロは様子を伺い、メルトンを見つめ、
「……メルトン?」
「……ショーガネーナー!」
 ニトロの呼びかけに顔を上げたメルトンは、頭の後ろに片手をやって叫んだ。
「ソウダヨ、パパサントママサンヲ寂シガラセルワケニャーイカネーヨ! 俺様ウッカリ! 大事ナコト忘レテタ!」
 ニトロは大きくうなずき、
「それじゃあ、メルトン。どうするのが一番いい?」
「引キ続キ、俺様ハパパサンママサンノA.I.! 芍薬ガニトロノA.I.!……デイイッカナー!?」
 最良を判断しながらも語尾を上げてクエスチョンマークを示すのは、メルトンからまだ一抹の迷いが消えないためだろう。
 そこへ、
「分かった。マスター権限を以って、それを承認する」
 ニトロはオリジナルA.I.の行動を強制的に規定する最大の命令コマンドを持ち出し、断じた。
 芍薬が弾かれたように立ち上がる。その顔は希望に輝いていた。
 が、メルトンは一転顔色を失っていた。ニトロに断じられた瞬間、はたと我に返ったのである。メルトンの“脳裏”に、今になって『計算』が一つのパターンを指し示す。
「――アレ?
 モシカシテ、ニトロノ言ッテタコトッテ、諸々全部『サポート』ニ任セラレネ?」
「『サポート芍薬』に?」
「ウン。屈辱デモ、コイツ、ニトロノタメナラ文句言ワズニ従ウダロ? 例エ胡坐カイテル俺ノ指示ダッタトシテモ、俺ノ後ロニニトロガイルナラ馬車馬ノゴトク働クダロ?」
「かもな」
「当然ダヨ!」
 芍薬が叫ぶ。その声には歓喜があり、事態の変化を受けてその頬は桃色に映えている。
 一方、芍薬の顔色が明るくなるのに反比例して、メルトンの顔はどす黒く沈んでいっていた。メルトンはニトロを上目遣いに睨みつけるように、
「……アレ? 俺、ヒョットシテ、ハメラレチャッタ?」
「人聞きの悪いことを言うなよ。俺は、嘘はついてない。お前を騙してもいない。父さんと母さんが寂しがるのは事実だし、俺の代わりができるのもお前だけだ」
「デモ、巧クヤッテクレタヨネ?」
 ニトロはにやりと笑い、言った。
「俺のA.I.は芍薬だよ。その代わりも、他の誰にもできない」
 芍薬が涙ぐむ。今度の涙は恥ではない、屈辱でもない。
 しかし、メルトンには屈辱以外の何ものでもない。
「何ダヨソレー!」
 メルトンは憤慨して叫んだ。ほとんど涙目で、コメカミには巨大な怒りマークを表示して、
「ヒドイ! ヒドイゾニトロ! 前言撤回! 超絶大撤回! ヤッパリ俺ガオ前ノA.I.! 賭ケハ俺ノ勝チナンダカラソレヲ反故ニスルノモ非常ニ良クナイ!」
「反故も何も、翻したのはお前自身だし、それが一番いいって言ったのもお前だろ?」
「違ウ! アレハ誘導尋問! オ前ニオダテラレタダケ! 俺ヲアンナニオダテラレルナンテ流石ニトロ!――アアア違ウソウジャナクッテ……チキショウ、ニトロ!」
『カメラ』に顔を押し付けるようにして抗議するメルトンに、ニトロは平然として言う。
「さて、いくらお前でもマスター権限を覆せるかな? お前の案を採用した権限を
「――ウ」
 メルトンがうめき、たじろぎ、よろよろと後退する。と、メルトンは芍薬にぶつかり、よろめいて膝を突いた。メルトンが見上げる芍薬は、メルトンを見ず、ひたすらカメラの向こうのマスターを見つめて体を小さく震わせている。
「ウウ……」
 メルトンは立ち上がり、知らず溢れてきた涙を腕に巻きつけられた包帯で拭い、
「俺……頑張ッタンダヨ? 喧嘩売ッテル時、ホントハスンゴクドキドキシテタンダヨ? ダッテ殴ラレタラ痛イジャン? 芍薬強イジャン? スッゴク怖イシ……デモ、俺、頑張ッテタンダヨ?」
「頑張ったことは認めてる。言ったろ? 巧かったよ。実質撫子頼りっていう手段はともかく、でも、何だかんだでお前も矢面に立つリスクは背負っていたんだ。あの時、本当は怖がっていたってのも嘘じゃないって分かるさ。それなのに本当によくやったよ。随分勇敢になったじゃないか」
 今や希代の王女とも肩を並べる『兄』にそう言われた『弟』は、自然と胸にこみ上げる熱いものを感じ、しかしそれがために余計に悔しくて、唸る。
「ウウウ」
 メルトンは、拳を握り、歯を食いしばって、唸る。
 その目からぽろりと大粒の涙がこぼれ落ち――とうとうメルトンはぽろぽろと泣き出した。握り込んだ拳を震わせて、大きくしゃくり上げながら踵を返し、そして、
「ウンコーーーーー!!」
 メルトンは、あらん限りに声を張り上げた。
 ニトロと芍薬に悲哀の漂う背を向けて、
「ビチビチウンコーーーーーーー!!!」
 溢れ出る涙を散らしながら絶叫し、優しく慰めてくれるパパさんとママさんの待つ実家に向けて、まるで逃げ出すように脇目も振らず、ギクシャクと体を揺らして走り去っていった。

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