「さて――」
 おおよそ一時間。
 撫子の言葉通りに、芍薬とメルトンは同時に目覚めた。
 そしてのち
『勝利』を知ったメルトンの喜びようは、凄まじかった。




「ィィィィイイイイヤッッッヒャーーーーーーー!!」
 壁掛けのテレビモニターのスピーカーが、メルトンの歓喜に激しく震えている。
 画面の中、メルトンは先の『A.I.バトル』と同じく真っ白な『場』を文字通り飛んだり跳ねたり歓声を上げて走り回っている。行動可能にまで治ったとはいえまだ完治には届かない。そのため顔を除いて全身に包帯を巻きつけたまま走り回るメルトンの動作はやはり“傷”の後遺症を如実に表していて、歯車が欠けたか、あるいは錆びたカラクリ人形のようにギッコンバッタンとぎこちない。それでもメルトンは構わず、自分達のいる電脳世界の様子を人間世界そとへと届ける――つまり壁掛けのテレビモニターへ自分を映す『カメラ』の前にカニ歩きをするように駆け寄ってきてはドアップになって瞼を痙攣させながらウィンクをしてみせ、次いで……どうやらスキップをしているらしいのだが、どうにも片足での爪先立ちを交互に繰り返しているだけにしか見えない動きで遠く離れていって、
「ゥゥゥウホイヤッハーーーーーーーーーーーー!!」
 まるで山頂で叫ぶがごとく、爆発し続ける喜びをまた大きく弾けさせる。
 一方、芍薬は『カメラ』の前で正座をして動かない。芍薬はメルトンより外見上の傷が少なく、目立つ傷といえば右頬に貼られた白い絆創膏と、三角巾で吊られている左腕くらいなものだ。もちろんユカタを非表示とすれば背中にはあの大きな傷が、また背部のみならず胸や腹にも細かい傷があるはずだが……正直、メルトンと芍薬と見比べてみれば、見た目は完全に芍薬が勝者である。
 しかし、内面については、明らかに、芍薬の傷がはるかに大きい。
 己の未熟が招いたこの結果……
 芍薬はうつむき、唇を噛んでいた。必死に涙を堪えているように、腿に置かれた右手は白藍の地に流れる紅葉をぐっと握り締めていた。
「イヤアァァッッッターーーーーーーィッヤーーーフーーーゥ!!」
「メルトン、いい加減に落ち着け」
 ニトロに言われたメルトンは、再び『カメラ』の捉えられる限界まで遠ざかろうとしていた足を止め、壊れたバネ仕掛けのようにビョッコンと踵を返し、そうして駆け戻ってくると顔面から転倒するようにヘッドスライディングをして芍薬の隣で止まった。
 寝転んだ状態で、メルトンがうつむく芍薬を見上げる。
 芍薬はふいと目を逸らしたようだ。
 メルトンは再び壊れたバネ仕掛けのようにビョッコンと立ち上がるや、
「イエス! マイマスター!」
 目を細め白い歯を剥いて、見せつけるような笑顔でメルトンは敬礼をする。
 メルトンが『マイマスター』と言った時、芍薬のポニーテールがぴくりと揺れた。
 ニトロは、吐息をつき、
「それじゃあ、決着をつけようか」
 芍薬の肩がびくりと揺れる。
 一方、眩しい笑顔で敬礼をしていたメルトンは、ニトロのセリフに眉をひそめた。
「決着?」
「ああ、決着だ」
「何言ッテルンダヨ、モウ決着ハツイテルジャン、勝負ハ俺ノ勝チ、何ガドウナッタンダカ覚エテナイケド勝チハ勝チ、ツマリ賭ケモ俺ノ勝チ、芍薬ガ賭金ベットニシタノハ『ニトロノA.I.ノ座』――テコトハ?」
「払い戻しはお前のものだな」
「イエス! マイマスター!」
 芍薬はさらにうつむく。さながら斬首を待つ死刑囚である。
 ニトロは腕を組み、哀れなほど暗い芍薬からメルトンの腹立つほど明るい笑顔へと目を動かし、
「お前の言う通りだよ、メルトン。だからお前を俺のA.I.にしてもいい」
 メルトンが、文字通り空へ飛び上がって歓声を上げた。勢い、芍薬も顔を上げる。自制を超えた涙がその目に滲んでいた。そしてその瞬間、芍薬の目とニトロと目が合い、芍薬は息を飲んで慌ててうつむいた。涙ぐんでいる顔を見られた恥ずかしさと、己の生んだ辱めに我ながら耐えられないと、身じろぎをする。
 ――ニトロはその様をじっと見つめていた。
 そして彼は一つ息を挟み、やっと降りてきて着地を決めたメルトンに、
「けれど、解っているんだよな? メルトン?」
 突然の質問に、メルトンはきょとんとしてニトロを見た。彼は続ける。
「お前は芍薬に何度も突っかかって挑戦しただろう? ひどい時には、ティディアと組んで不意打ちなんてこともあったな」
 それは事実である。メルトンにはうなずくことしかできない。
「……ウン」
 メルトンの、しかし渋々とした肯定を受けてニトロもうなずき、
「だから、もちろん、芍薬にもリターンマッチは可能だってことだ」
 その瞬間、メルトンが青褪めた。

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