「ドノヨウナコトデモ、ト、オ約束シテイマシタ」
「うん」
「シカシ、私ハ『喧嘩』ノ助太刀ニ呼バレルダロウト思ッテイマシタ」
「『決闘』じゃなくて……『喧嘩』? ただの喧嘩?」
「ハイ。モチロンメルトン様ノ計画ヲ聞イテハイマシタガ、『座』ヲ賭ケタ決闘マデ持チコム成功確率ハ3%以下ダロウト予測シテイマシタ。ソシテ『座』ヲ賭ケヌママニ憤怒ノ芍薬トノ『喧嘩』ニナリ、ソコデ命カラガラ応援要請ヲシテクルダロウト。……デスガ……結果トシテ、読ミ違エテシマッタ事モ私ノ未熟ガ故デショウ。今回ハ、私モ本当ニ勉強サセテ頂キマシタ」
 どこか嘆息を忍ばせての撫子のセリフに、ニトロは笑った。
「それじゃあ『決闘』に呼び出し食らった時には驚いたでしょ」
「実ハ生キテキタ中デ三本指ニ入ルホド驚イテイマシタ。アノ“スイッチ”カラノ情報ログハ永久保存デスネ」
 正直に、しかも……そういえば撫子は初めから事情に精通していた……この事態についての詳細な情報をどこで得たのかもしれっと開示され、ニトロは声を上げて笑った。何だか親友のやり口を思い出してしまう。加えて彼の心の琴線を震わせたのは、こちらに現れた時に撫子が一瞬見せていたあの捉えどころのない顔である。あれは、撫子の人生三本指に入る驚きと、もちろん“結果”への戸惑いもあったろう、そこに先ほど撫子が語った嬉しさの混ざったもの――そういうことだったのか。彼は笑いながら何度もうなずいた。心の底にあった撫子への憤りも吹き消されていく。それにしても、撫子の予測まで裏切ってみせるとは……メルトンには呆れてやればいいものか、それとも感心してやればいいものか、とにかく本当に困った奴だ。
 ニトロはひとしきり笑った後、コーヒーを含んで喉を均し、再び真剣な顔で言葉を待っている撫子へ穏やかに言った。
「……メルトンの勝ちだよ」
 撫子は、うなずく。
「権利は、メルトンのものだ」
 撫子はうなずく。
「でもまあ、大丈夫じゃないかな」
 撫子はやや間を置いてから、問うた。
「――トハ?」
 問われたニトロは、間の置き方といい、問う際の自然な声音といい、期待をくすぐられているはずなのにそれを微塵も見せない撫子の自制心の強さを思い知りながら、しかし悪戯っぽく目を細め、
「残念だけど、それはうちの内部事情。プライベートは、いくら芍薬の『お母さん』でも簡単には明かさないよ」
「マア、ヒドイ」
 そう言われてニトロは笑った。撫子もくすくすと笑う。それから少しの間を置き、ニトロは言う。
「それに、これは芍薬だけじゃなく、メルトンの問題も絡んでるからね。……ただ、撫子をきっと裏切らない。任せてくれるかな?」
 ニトロの言葉には確信がある。すると撫子は即座にうなずき、
「ハイ、オ任セ致シマス」
 ニトロは少し、眉をひそめた。
「何か……やけにあっさり言うね」
「『決闘』ニ呼ビ出サレタ時ニハ本当ニ驚イタモノデスガ」
「……うん?」
「スグニ――マア、ドノヨウナ結果ニナッテモ、ニトロ様ニオ任セスレバ後ハ上手ク治マルデショウ――トモ。デスカラ、ソノ御言葉ガ聞ケタダケデ安心ナノデス」
 ニトロは思わず笑った。撫子は、ある意味無責任なことを飄々と言ってくれた。しかも同時にこちらへの大きな信頼を至極当たり前とばかりに明示してくれるのだから堪らない。思わず笑ってしまったニトロは、今改めて痛感させられたことをそのまま口にした。
「撫子は、まさに『ハラキリ・ジジのA.I.』だね」
「ハイ」
 またも即応する撫子には誇りだけがある。しかし撫子のその様子は『ハラキリのA.I.』というより『芍薬の母』という印象を強く抱かせるものであった。
 撫子――というオリジナルA.I.が垣間見せる、『オリジナルA.I.』のココロの深さ。連れてニトロは芍薬というオリジナルA.I.の描いた情動、メルトンというオリジナルA.I.の紡いだ言動を思い起こし、それらが彩った今回の一件、その背景に広がるものにまで思いを馳せれば……彼は奇妙な感慨すら覚え、穏やかな笑みを刻んで一つ小さく息をついた。撫子は彼の様子を見守るように少し目を細めていて、ふいにまっすぐ目の合った両者は、思わず小さく笑い合う。
 どこまでも似ているがどこまでも違うヒト人工知能A.I.同士、しかし同じ“こころ”で小さく笑い合った後、ニトロはもう一度、今度は大きく息を吐き、
「それにしても……」
 と、話が一つ終わったことを機に題を転じた。
「芍薬は――芍薬にしては、下手を打ったよ」
 撫子はニトロが何を聞きたいのかを察し、彼を再び真剣に見つめてうなずく。
「負ケン気ノ強イ子デスガ、アレホドノ短慮ハ珍シイ」
 ニトロはうなずき、それから少し言いにくそうに唇をもごつかせ、
「撫子達にとって……『前のA.I.』って……気になるもの?」
「個体差ガアリマス。一概ニハ言マセン――ガ」
「うん」
「芍薬ハソノヨウナコトヲ気ニスル性質タチデハアリマセン。イエ、アリマセンデシタ、ト言ッテオイタ方ガ良イデショウカ」
「うちに来てから変わった?」
「ソレダケニトロ様ヲ大事ニ思ッテイルノデショウ」
「それは嬉しいけどね。でも、俺も違和感がある」
 ニトロはコーヒーを飲む。
「本当にメルトンにだけなんだ。ベクトルが違うけど、正直ティディアに対して以上に険が立つ。今日はメルトンが巧かったのもあるけど、根本的な原因は別にあると思う」
「ハイ」
「思い当たることは?」
「……悪イ方デハナイノデスガ……」
 撫子はメルトンを見やって、小さく肩を落とす。
「少々、オ調子者ニ過ギマスネ。生意気デモアリマス」
 ニトロはうなずき、付け加えた。
「しかもマスターを裏切るときた」
 はっとして、撫子がニトロを見る。
「ソレハ非常ニ大キイ。ソレハ私達ニトッテ信ジラレナイコト。『バグ』ヤ『発狂』ナラバトモカク、モシ自身ノ意志デ裏切ッタノダトシタラ――ソレヲ本当ニマスターノ許可モナクスルコトガデキタラノ話デスガ――ソレハ、心カラ侮蔑スル事柄デス」
「それがずっと尾を引いている?」
「アリ得マス」
 そう言われればそうかもしれない。芍薬がうちに来た当初にも、そのような話題が幾度もあったように思う。
「……なるほど……」
 ニトロはそうつぶやいて、ふと、自嘲気味に笑った。
「ドウサレマシタ?」
「『家族』は、やっぱり似るものなのかもね」
「ハア」
 いまいち要領を得ないニトロの返事に、撫子が首を傾げる。ニトロは携帯電話を取り出して、その着信履歴をカメラに向けながら片目を細めて、
「俺も、こいつにだけは色々尾を引いている」
 そこに表示されている名を見て、撫子は大いに得心したような顔をして……それから何かツボにでも入ったのか、口元を手で隠す間もなく吹き出し、そうして肩を揺らしながら笑った。つられて、ニトロも笑ってしまった。
 ――しばらくして、芍薬とメルトンの治療に一段落がついた。
「オオヨソ1時間後ニ、同時ニ目覚メルヨウニシテイマス」
「うん」
 撫子は帰るという。
 目覚めるまでいたらどうかとニトロは言ったが、撫子は首を振った。ここからは『家族の問題』ですから、と微笑んで。
「ああ、そうだ」
 と、早速帰ろうとしていた撫子をニトロが引き止める。別件で聞きたいことがあったのだ。
「ハラキリは?」
 親友は『誕生日会』の翌日から行方不明だ。どうやらマスメディア逃れのための行動ではないらしいのだが、その行き先はニトロも知らない。黙ってどこかに行くのは彼の得意技だから大して心配してはいないが――
「明日、帰ッテ参リマス」
「どこに行ってるの?」
 反射的に問うて、ニトロは先日撫子に同じことを聞いていたと思い出した。その際の返答は『所用』の一言のみ。しかし、口にしてしまったからにはしょうがない。ニトロが答えを待っていると、撫子はやや思案し、
神技ノ民ドワーフトノ『コネクション』ヲ作リニ」
 ニトロは目を丸くした。答えが返ってきたこともそうだが、その内容に驚いた。
「何のために? もう、コネならあるじゃないか」
「ソレハ“母上様ノ”コネクションデス。神技ノ民ドワーフハ個性者揃イト言イマショウカ、人付キ合イモ個性的ナコトガ多ク、概ネ一ツノコネクションガ世襲スルコトハアリマセン」
「……つまり、だからハラキリ独自のコネを作りに行った、と?」
「ニトロ様ノオ陰モアリマシテ、先方様ニハハラキリノ覚エモ良ク、途中経過モ良好デシタカラオソラク成果ヲ得テクルコトデショウ」
 自分のお陰、と言われると色々嫌な思い出が蘇るが……『天使』とか『天使』とか『天使』とか……まあ、それが彼への恩返しになったのなら良いか。
「でも、何で今になって?」
 その問いに対して、撫子は不思議な顔をした。微笑んでいるような、感謝しているような……それとも面白がっているような? ニトロには撫子の微妙な心情が掴み切れない。
「生活ノ糧ヲ得ルニハ、良イ相手トハ思イマセンカ?」
 撫子はそう言うが、それが建前だということだけは解る。が、ニトロはそれに乗ることにして、うなずいた。
 すると、
「ニトロ様。コチラモ一ツ、オ聞キシタイコトガ」
「何?」
「――芍薬ハ、ドウデスカ?」
「それを聞くのは撫子とハラキリの絆を疑うようなものかな」
 真顔で即答され、撫子は思わず目を丸くし、それからゆっくりとその双眸を細めた。自然と口元がほころぶ。牡丹に羨ましがられていた芍薬は、本当に――本当に幸せなA.I.になったのだとココロの奥底まで実感し、撫子は裾を払って正座をすると、ニトロを真っ直ぐ見つめ、そのあまりの真摯な様子に驚くニトロへ、『心』を込めて、深々と頭を垂れた。
 そうして撫子は、最後に『母』の笑顔をニトロの瞼に残して、去っていった。

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