それからの芍薬と撫子の攻防を、ニトロは満足に追うことができなかった。
 人間のためのはずの『A.I.バトル』の仮想世界で、撫子と芍薬は、まるで格闘ゲームの早回しかのごとき光景を繰り広げたのである。その上映像は乱れに乱れ、見たこともないようなブロック状・砂嵐状のノイズや頻発するストップモーションのために視聴環境としては劣悪なものとなった。自宅のコンピューターに二人の本気の戦いを可視化するだけの処理能力がなかったのだ。そして、それ以上に二人の能力が常識的なA.I.の範疇から飛び抜けていたのである。
 もしこの戦いをちゃんと観たいのならば、もっと高性能なコンピューターにシステムを統括させねばならないだろう。仮想世界を構築する『A.I.バトル:システムソフトウェア』自体も、ニトロの家にあるものより上位版を使って、その上で映像には最大限の“ディレイ”をかけなければいけないだろう。――A.I.達の現在を観るのではなく、ほんの少し過去の映像を観るように。
 しかし、ニトロは最悪の視聴環境の中でも懸命に見続けた。
 何が起こっているのか解らない。視界の全てが滅茶苦茶で、それを網膜から受け取る脳まで滅茶苦茶になりそうで、目の裏側には3D酔いにも似た眩暈が生じる。時に芍薬の体が弾けたかと思うと当たり前のように芍薬は別の場所にいて、撫子は常に一度に数箇所に現れ続ける。それがスキルなのか、映像の崩れのためなのかも解らない。
 そんな中で、ニトロの口からは我知らずため息が漏れていた。
 こんな映像でも、はっきりと解ることがあった。
 ――撫子は……本当に、強い。
 以前、ハラキリは撫子についてこう言っていた。戦闘能力は芍薬より秀で、分析力は牡丹より優れ、プログラム作成能力も百合花ゆりのはなより速い……言わば『三人官女むすめたち』全員の上位互換だと。そう、確かに、そのように話には聞いていたが……実際に芍薬が子ども扱いされていたのを目の当たりにして、そしてこのような滅茶苦茶な映像の中にあっても燦然と燃える実力を見せつけられては、ニトロにはため息をつくしかなかった。しかも見たところ、本人の本質は意外にもパワーファイターだ。乱れる映像の中から垣間見えただけでも、芍薬を掴むや片手で振り回し、地に叩きつけ、先の大蛇もそうであったが芍薬の『ニンポーアニマル』や操り人形達を簡単に素手で潰して回る。芍薬達の上位互換で、純粋に、高火力。ひょっとしたらアデムメデスのオリジナルA.I.の中で最も強いのではないかとさえ思える。芍薬が誇りにして、芍薬が憧れだと瞳を輝かせて言っていたのも、痛切なまでに理解できる。
 ――だが、それでもニトロは芍薬の勝利を信じて見つめていた。
 芍薬が必死に食らいついている姿も、こんな映像でもはっきりと見て取れるのだ。
 芍薬も、本当に……強い。
 接近戦の折、撫子の顔面に頭突きを見舞うその形相は鬼にも似て――その姿は処理落ちのためにしばらく映り続けていた――その一撃がよほど強烈だったのか、初めて撫子の表情が苦悶に歪んでいた。
 しかし、それ以外は、芍薬が圧倒的に劣勢であった。
 けれど、それでも、芍薬には諦めるという思いが一度も表れないのだ。
 ある瞬間、破れた覆面の下から芍薬の泣きそうな顔が見えた。それは不思議と明瞭にニトロの目に飛び込んできた。しかしその芍薬の顔は本当に“泣きそう”であるのではなく、ただただ命を捨ててでも己の守るべきものを守ろうとする人間の形相が時にそう見えるように、芍薬の顔もそのように歪んでいたのだった。
 ニトロの歯は我知らず噛み締められ、その握られた拳の内は汗に濡れていた。
 ……勝敗が決したのは、決闘が始まって3分32秒1016後のことであった。
 人間のニトロにとっては短い時間であっても、信じられないくらい長い時を過ごしたように彼は思う。
 滅茶苦茶だった映像が一瞬にして整い、ニトロの視野に電脳世界の景色を見せる。
 ぱっと開けた真っ白な世界の中心に、片袖の千切れ、そして芍薬の頭突きのために傷を受けた左目を半ば閉じた撫子が、一人静かに佇んでいた。
 ――芍薬は、撫子の足元にいた。
 ぼろぼろになって、とどめに背に己のカタナを突き立てられて、撫子の星の散らばる裾を握り締めて芍薬は……地に、伏していた。

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