撫子が長刀を振りかぶったかと思うと、互いに離れたその場所でひゅっと振るう。
「!」
 芍薬は慌てて後退した。
 撫子が振るった長刀は、その穂先が霞んでいた。
 そして、芍薬の感じた危険の通り、霞んだ先の分厚い刃が、直前まで芍薬の頭部があったくうを恐ろしい音を立てて斬っていく。
 それは、芍薬の知らない撫子の技であった。
 戦慄に言葉を失い瞠目する芍薬へ、楽しげに撫子は言う。
やられたらやりかえしませんと」
 撫子が、長刀を今度は横薙ぎにする。その穂先は再び霞み――その時!
「タタリ!」
 芍薬が撫子の刃を鎌で受け止めるが同時に術を発動させた。刹那、撫子の足に絡みついていた戦雛の腕が変形へんぎょうする。戦雛の怨念こもる腕は蛇となり、蛇となるや大蛇となり撫子の胴に巻きつき締め上げる!
 ――しかし、
「強度不足」
 長刀を消すや両手でぐっと大蛇を掴んだ撫子が、逆に大蛇を締め潰す。撫子は面前の芍薬へ向けて、
「後で改良しましょうね」
「言ってる場合かい!?」
 撫子の背後で、芍薬が言った。その時には既に、芍薬の鎌の刃は撫子の首にかかっていた。
「あら」
 撫子は小さく笑った。撫子の前方には、確かに芍薬がいる。否、いた。直前に長刀を鎌で受け止めていたはずの芍薬の姿が、やおら薄れていく。それは『分身』と『変わり身』の術の併用であった。
「――以前よりずっとうまくなりましたね」
 芍薬は……戦慄していた。鎌は撫子の薄皮を切っている。だが、それ以上、切ることができない。芍薬は撫子の首を刈るため躊躇なく鎌を引いていた――だが、それ以上は微動だにしない!
「けれど、まだまだ切れ味不足」
 撫子のたおやかな首は、表皮だけで芍薬の鎌を受け止めていた
「これも後で改良しましょう」
 頬を引きつらせる芍薬へ、撫子が振り返る。
 撫子は、右手を大きく振りかぶっていた。
 それは『三人官女むすめたち』が何よりも恐れる撫子の得意技――メルトンはもとより、防御に優れた王家のA.I.オングストロームですら一発で行動不能に追いやられた恐怖の平手打ビンタ
「ッ!」
 芍薬の記憶メモリが総毛立つ。
 いくつかの悪夢がフラッシュバックして身が縮まりそうになる。
 その体験は、あるいは幼心に植えつけられた根源的な恐怖の再生。厳密には年齢の概念がないA.I.にも、人間と同じようにそれがあることを芍薬は知る。知って……と、そこへ、
「1分02秒は超えましたね」
 撫子の、声。
 それこそ生まれた時から聞いている『母』の、それは子を誉める時の声
 ――その時、芍薬の思考ルーチンの中で、何かが弾けた。
 さっきから……ッ
「ふざけるな!」
 芍薬は叫んだ。
 硬直しかかっていた“自己”を動かし、頭部を左腕でかばう。
 撫子の平手は芍薬の左腕にそのまま命中した。
「ぐぅ……ッ」
 芍薬の腕が折れる――“腕”を構成する箇所が“圧迫骨折”する。
 それと同時に芍薬は、漆黒のシノビショーゾクの左袖、及びその内側の帷子を『発動』させる!
「!?」
 撫子が――初めて――驚愕に目を見開いた。“刹那”よりも短い“虚空”の間に漆黒の袖と帷子が溶鉄と化して撫子の手を包み込む。そして次の瞬間には撫子の右手がけ消
「!――くそ!」
 芍薬は怒りのままに毒づいた。芍薬の目の前からは撫子が消えている。その動きを芍薬の『目』は追うことができなかった。
「危なかった」
 左方から撫子の声がした。芍薬は即座にそちらへ体を向けた。と、左腕の損傷が邪魔になって“全身のバランス”が崩れていることに気づく。――“れた”左腕も修復するまで用を成さない。このままでは単に壊れたプログラムを身中に抱え込んでしまうだけ。ならば邪魔だと芍薬は左腕の構成箇所を一時切断した。外見上にも隻腕となり、そうして“全身のバランス”を再調整しながら、眼前に立つ、立体画素ボクセル崩れを起こして右手の形の定まらぬ撫子を睨みつける。
「もう少しで持っていかれるところでした」
 撫子のその言葉は決してハッタリではない。その右手の形は形を定めぬままでいるが、とはいえ完全に崩されたのは表面的なプログラムのみ。『自己』の姿シェイプを保たせられていない――というその状態自体はオリジナルA.I.にとって(人間が裸を見られることに例えられるように)恥ずかしいことではあるが、それでも動作自体に支障の出るものではない。“骨格”にまで損傷を受けた芍薬と違って、撫子の能力なら2分もあれば元通りにできるだろう。
 しかし、撫子にそこまでの“傷”をつけたのは芍薬にとって初めてであった。
 そして、だからこそ芍薬は口の端を険に歪めた。
他人の技で、ってのが気に食わないけどね……」
 撫子は崩れた右手を黒い手袋で覆い隠しながら、
「何を言います。自分のモノにし切っていたでしょう? それは立派に「ッもっと気に食わないのは!」
 撫子の言葉を遮り、眉目を吊り上げ芍薬は怒鳴った。
「アタシは『ニトロ・ポルカトの戦乙女』だ!
 撫子なでしこ
 アタシはもうあんたの『三人官女サポートA.I.』じゃあない! 今は、敵だ!」
 そのあまりの剣幕に、そして芍薬に己の名を呼び捨てられたことに、撫子が面食らったように唇を引き結ぶ。
「それなのにその舐め切った戦い方は何だ!」
 激昂のためにわなわなと震え、芍薬は喉が裂けんばかりに声を張り上げる。
「この決闘には! アタシは主様のA.I.の座を懸けている! 短慮だった、ああ、認めるよ、そうしてこの事態を招いちまった、けれどこうなったからには、自分でああ言ったからには、真剣に命を懸けて、賭けている!――あんたは今は『メルトンの武器』だろう!? だったらメルトンマスターの意志を汲み全力で望みを叶えにかかるのがA.I.アタシらの『矜持』だろう! それをアタシに教えたのはあんたじゃないか! それなのに、そんな風に、アタシの“母親面”して、指導戦闘きょういくじみて……あんたはアタシを馬鹿にしているのか!」
 と、芍薬の体が、分裂した。
「!」
 撫子が目を見開く。
 その『分身』はまるきり芍薬そのものに見えた。“一目”では真偽の見分けが全くつかない。急ぎ分析しても容易には解らない。それは撫子も知る芍薬の秘蔵っ子であり――と、さらに、二人の芍薬の間にもう一人の芍薬が現れた。その分身は一人目ほどではないにしろ、それでも素晴らしく精巧であった。位置情報がめまぐるしく移り変わって真の芍薬が“限りなく真の偽”の中に紛れる。まさに三位一体、そうして『芍薬』は手に手にカタナを持ち、
「「「イザ!」」」
 声を揃え、『芍薬』が撫子へと襲いかかる。
 その技は、ハードへの負担は凄まじいはずだ。自滅もあり得ると撫子は判じた。無論芍薬もそれは解っているだろう。
 しかし、それでもなお芍薬は決行し、突撃してくる。
 怒りをぶちまけながらも、芍薬はそうでもしなければやはり勝てないと冷静に判断したのだ。
 そうして自滅も覚悟の上で、全力で、駆け込んできている。
「……」
 撫子は小さく頭を下げた。
「謝ります。芍薬、私は貴女の誇りを傷つけ、そして、またも私の誇りを傷つけていました」
 芍薬が一斉に、叫ぶ。
「「「カミナリグモ!」」」
 撫子の頭上に小さな蜘蛛が現れるや八本の稲妻を迸らせる。撫子は、電撃に撃たれた。そこに三人の芍薬が、己が身も雷に打たれるのも厭わずに飛び込んでくる。
 撫子には、ただでさえ判別のつきにくいのに、雷撃の影響で霞むその『目』ではどれが本物の芍薬か……判別はつかない。
「そして」
 だが、判別がつかないのならば全て屠れば良いとばかりに三人の芍薬を見据え、撫子は長刀を手の内に現し言った。
「芍薬、確かに私は、貴女を害する者です

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