メルトンとの『決闘』は、A.I.としての純粋な実力勝負とするため、ハード面は全くの互角にしてある。最も力のあるメインコンピューターはこの仮想世界を構築している『A.I.バトル:システムソフトウェア』の運用に回し、芍薬とメルトンは12基あるサブコンピューターを半々に分け合っている形だ。メモリやHDD等の使用できる領域、CPUの処理速度、各種転送速度、全て等しくセッティングしてある。ただ、芍薬とメルトンの間には一つだけ大きな差があった。メインコンピューターへのアクセス権の有無である。芍薬は、家のコンピューターを守る意味からも、メインを相手の自由にさせることだけは避けていた。しかし今、現にメインコンピューターは芍薬の手の離れたところでカウントダウンを始めてしまった。もちろん芍薬はそんな命令を出してはいない。――ならば? それは撫子の手によるものに決まっている。メルトン側にアクセス権は与えていないものの回路自体はメインにつながっている。クラッキングは、可能だ。
「既ニ『勝負』ハ始マッテイルハズ。油断ガ過ギルノデハアリマセンカ?」
 何もしていないように見せかけて……実際、全くこちらに気づかせずにシステムの一部を乗っ取ってきた撫子の言葉に、芍薬はクナイを消し、カタナを現すことで応えた。
「イクラ撫子オカシラデモ手加減ハシナイヨ」
 芍薬は己の言葉が強がりだと自覚していた。直前に力量差を見せつけられたのだ! これが強がりではなく何であろう? それを見透かす撫子は、まるで何かに区切りをつけるように小柄な肖像シェイプが大きく見えるほど凛として言う。
「貴女ニ『苦行』ヲ科スノハ本意デハナイノデスガ、貴女ガ撒イタ種デス。後程、ヨクヨク反省ナサイ」
 ぐっと芍薬が息を詰めたように唇を結ぶ。そして、
「アア、反省スルサ。ケレド、何ダイ? モウ勝敗ガ決シタヨウナコトヲ言ウジャナイカ」
「間違イデモ? 貴女ハ私ニ勝テタコトアリマセン」
 それは、明らかに挑発であった。しかし芍薬はもう二の轍は踏まない。
「勝ツサ。……今日コソ」
 冷静に、言う。決意だけを込めて言う。
「最長記録ハ1分01秒5523。今回ハ、ドレホド頑張レマスカ?」
「勝ツ。
 ソウ言ッテルダロウ?」
 芍薬の意志を受け止め、撫子はうなずいた。その口元は、心なしか嬉しそうにも見えた。
 そのやり取りを横から観ていたニトロは、はたと思い当たり、急いでヘッドマウントディスプレイをクローゼットのクリアボックスから取り出してきた。この戦いを平面的なモニターで見るわけにはいかない。少しでも同じ世界で見届けたい。ヘッドマウントディスプレイを起動する。家には『訓練用』に意心没入式マインドスライドが――深度は浅いものの――できるシステムはあるが、残念ながらそれをするとA.I.達の戦いに支障が出るほどパワーを食ってしまう。意心没入式マインドスライドほどリアルではないことを惜しみながら、ニトロは、それでも電脳世界へ入り込んでいった。彼の全視界が真っ白な空間に占められる。視線の先にはこれから戦おうという『母娘』がいる。
「メルトン様ハオ退ガリヲ」
 突然、撫子にそう言われて、メルトンが目を丸くしていた。
「エ? 二人デボコシタ方ガ楽ジャナイ? 援護スルヨ? 俺モシ返シシタイモノ」
 撫子は、微笑み、
「ヒーローハ遅レテヤッテキテ美味シイトコロヲ頂クモノデス」
 メルトンは撫子のセリフに丸くしていた目を輝かせた。『英雄ヒーロー』に例えられただけでもご機嫌なのに、メルトンはとりわけ『美味しいところ』というのが気に入ったらしい。ことさら鷹揚にうなずいて、
「分カッタ。ソレジャアオ膳立テヲヨロシクネ!」
「ハイ。オ任セクダサイ」
 撫子に簡単におだてられたメルトンは、わざとらしく偉そうに胸を張って場から離れようと足を踏み出す。
 撫子はメルトンを見送るのもそこそこに『50』を切ったカウントを一瞥し、芍薬へ向き直ると何かを語りかけるように小首を傾げて見せる。
 ――と、芍薬の横に、小さなシャクヤク人形が四体現れた。ミリュウの“信徒”との戦いでも使っていた『クノゥイチニンポー 戦雛』のヴァーチャル……いや、実際版か。人形達は二体ずつ、芍薬の横に並んで構えを取る。
 すると撫子の周囲には無数の花が現れた。戦闘態勢を整える芍薬に応じて現されたそれは、まさに百花繚乱であった。古今東西の名花が色とりどりに、時に一輪のまま、時に舞い散る花びらとなって幻想的な景色を作り上げていく。
「ア、綺麗」
 と、撫子から離れつつあったメルトンが、つい興味を引かれたらしく近くにあった薔薇に指を触れた。――瞬間、薔薇から放たれた強烈な電撃がメルトンに襲いかかる!
「ホギャギャギャギャ!?」
 まさかの“味方殺し”である!
 よくあるアニメーション表現のごとく体に電気を走らせたメルトンが、これまたよくあるアニメーションのごとく真っ黒焦げとなって倒れ伏す。体の所々が立体画素ボクセル崩れを起こして痙攣するようにノイズを走らせている。白目を剥いたメルトンの、だらしなく開かれた口から煙がひょろひょろと昇っていく。
「……」
 それを、撫子がひどく焦った顔で見下ろしていた。どうやらこの事態は全くの想定外であったらしい。撫子はメルトンに駆け寄り、眉をひそめてじっとメルトンを見つめ、それからカウントを見る。カウントは43、つつがなく42と下っていく。撫子は先ほどシステムに干渉した際に、現在のフィールドの敗北条件が『死んだ場合』または『瀕死、あるいは敵の攻撃により行動不能状態に陥った場合』であることを知っていた。とすると、メルトンは辛くも『A.I.バトルシステム』が敗北と判定するまでには至っていないらしい。やがて、メルトンの手が目に見えない命綱を掴もうとするかのようにゆらゆらと力なく空を掻く。――やはり、死んでいない。それから一応行動も可能だ。“敵の攻撃により”という条件が合わなかったために見逃されたのかもしれないが、否、それだけ『死線ギリギリの』判定基準を芍薬は設定していたのだろう。もし、その基準が緩ければ、この時点で芍薬の勝ちとなっていたはずだ。それに関しては、メルトン側は芍薬の厳しい設定に救われた形とも言えよう。
 撫子は倒れているメルトンが芍薬に対して自分の影に入るよう立ち位置を変えながら、長い両袖を一振りした。すると両袖から白装束を着た小さなイチマツ人形がそれぞれ一体ずつ飛び出してきた。二体のイチマツはすぐさまメルトンに駆け寄ると、懐から(治療プログラムだろう)包帯を取り出し、それをせっせとメルトンに巻き始める。
「ウー……ゥ」
 メルトンが――芍薬に攻撃されているとでも勘違いしているのか――か細く唸りながら、しかし声のか細さとは逆にやけに力強く手を振ってイチマツを追い払おうとしている。まともに言葉を紡げず、正常な判断もできていないところから考えれば、半ば“失神”しているのか……あるいは意識を保ちながらも己の現状のためにパニックに陥っているのか。……どちらにしろこの状態では軽く一撃でももらえばアウトだろうし、本物の芍薬の攻撃を防ぐことなど全く不可能だろう。
 ――このままメルトンが抵抗し続けてカウントダウンが終われば、開始と同時に芍薬に大勝機が生まれる。
 ニトロがそう思っていると、メルトンの手に包帯を巻こうとして――やはり敵と勘違いされてその手に振り払われるイチマツの片方が、何やら業を煮やしたように懐から注射器を取り出した。そして、それを乱暴にメルトンの首に突き刺す。
「ォウン!」
 メルトンが悲鳴とも呻きともつかぬ声を上げる。メルトンの手がぴくぴくと震える。首に止まった蚊を叩き落とそうとしてできないでいるかのようにもどかしく、ぴくぴくと。それを眺めては何やら首を傾げていたイチマツが、もう一本メルトンの首に注射器をぶっ刺した。瞬間、メルトンの手から力が失われ、ことんと地に落ちる。強力な麻酔……か何かだろうか。それも二本。メルトンはもはや身じろぎ一つしない。完全に沈黙している。味方による“治療のための昏倒”ならば敗北条件を満たさないのも道理ではあるし、チーム戦では良く見る光景ではあるものの、とはいえ過剰投与を恐れず思い切ったことをするものだ。ひとまず患者を大人しくさせたイチマツは、相棒のもう一体とハイタッチをしてから再び治療に取りかかる。
 その様子を見ていた撫子は片頬に片手を当て、
「叩イテシマッタ時ニモ思イマシタガ、変ニ打タレ強イ方デスネ」
 困惑と驚きのどちらを示せばいいのか判らないような顔をしている撫子の他方、一連の顛末を見つめていたニトロは、己の『弟』の道化っぷりにただただ苦笑するしかなかった。
 ――だが、その中で、芍薬だけは表情を変えないでいた。メルトンの滑稽な結果にも、もしや勝利が転がり込もうという瞬間にも顔を変えず、ひたすら撫子を見据えていた。
 包帯でぐるぐる巻きにされたメルトンをタンカに載せた二体のイチマツが、芍薬と撫子から遠く遠く離れた場所へと運んでいく。
 カウントを――13――確認し、撫子が言う。
「ケレド、コノ結果ハ貴女ニトッテハ不幸デスネ」
 確かに。と、ニトロは思う。
 メルトンと撫子、二人のA.I.がいるということはそれだけハードに負担をかけるということだ。割り当てられた計算機を一人で最大限使える芍薬と、二人で分け合わなければならない撫子とメルトン。そのハンデは大きい。いや、大きかった。この戦いは、あくまで芍薬とメルトンの戦いである以上、そのどちらかを倒せば勝者となる。撫子がメルトンに足を引っ張られている隙に芍薬がメルトンを破壊するという勝機も、メルトンがこうして遠くへ運ばれてしまう前には確かに存在していたのだ。いくら撫子がその危険を避けるためにメルトンを遠ざけようとしていて、一面ではそれに成功していたとしても、メルトンのことだ。元気一杯であれば急に調子づいて思わぬところで乱入してきた可能性は実に高い。そうして、つい今しがた撫子の意表をついて見せたように、また別の形で撫子の意表をついて自ら自分達の足をすくっていたかもしれない。――それを考慮すれば、数的不利を被っても、芍薬にとっては二対一の方がずっと良かっただろう。しかも、メルトンが眠らされているこの状況は、撫子が割り当てられたコンピューターを思うまま独占できるようになったことを意味しているのだから!
 しかし、芍薬は首を振った。9まで減ったカウントを一瞥し、
「変ワラナイサ。イザトモナレバ協力シテモラエバイイダケダッタ、ダロウ?」
 それはつまり、メルトンが勝手に撫子の攻性プログラムに触れて自爆したことは『結果オーライ』。もし、そうなっていなかったなら、撫子は能動的に同じことを行えばいい……ということか。
 撫子は口元に手を当て上品に笑い、
「ソレモソウデスネ」
 と、常に敬語を使っているが、しかし芍薬に対してはどこか気安く“他人”に対するものとは違う口調で撫子は言う。
 6、5、4、とカウントが進む。
 芍薬の顔がより引き締まる。
 撫子が口元に当てていた手を下す。
 メルトンの不在によりこの場の緊張感が増していた。
 戦うと決めたからには……そう、『戦う』のだ。この『母娘』は。
 この“プロフェッショナル”達は、メルトンのような“素人”では出せない冷たい空気を電脳世界にも作り出すのだ。
 ニトロは固唾を呑んだ。
 カウントは3となり――
 無数の花に囲まれた撫子は少しだけ目を鋭くし、帯の下で両手を合わせて泰然自若と佇む。
 ――2
 芍薬は逆手にカタナを構え、四体の芍薬人形を、左右に二体ずつ等間隔に展開させながら、己は重心をぐっと前に傾ける。
 ――1――
「「勝負!」」

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