「ソウナノサ!」
 と、叫んだのはメルトンである。ちょっとだけ撫子の後ろから出てきて、撫子のセリフに対して“それが何の理由になるの?”と疑問符を浮かべていたニトロへと叫ぶ。
「俺ハ家ヲ守ロウトシテイタダケナンダヨ!? ソレナノニ撫子オカミサン、何モ悪イコトシテナイ俺ノコトヲ非情ニモ引ッ叩イタンダヨ!? 非道イダロ! 俺、マジデ死ニカケタンダカラ!」
 ああ、そんなこともあったっけなぁ……と、ニトロはぼんやりその頃のいきさつを思い出していた。そして、撫子と同じように眉目を垂れて首を傾げ、
「いやでも、それはお前が迷惑かけたからだろ?」
「俺ハ本ッ当ニ家ヲ守ロウトシテタダケナンダ! ソリャニトロノ許可ヲ得テイルトハ言ワレタケド『証明』ガナイ限リハ見過ゴセネェモン。芍薬ナラ渋々認メテモ、他人ノA.I.ガ家ノシステム勝手ニイジルノヲ認メチャナラネェモン。邪魔シタトモサ、アア、トコトンヘバリツイテ作業ノ邪魔ヲシテヤッタトモ! ソレデモ無理矢理作業ヲシヤガルカラ、ダカラソレニツイテモタッッップリ抗議シテヤッタンダ!」
 その光景が目に浮かぶようである。
「ネ、ニトロ、俺、偉イデショ!?」
 誉めて誉めてとばかりに目を輝かせているメルトンを見るニトロは、言葉に窮していた。確かにメルトンの言い分には道理がある。メルトンの行為は間違ってはいない。しかし実家のシステムに手を加えようとした撫子に非があるかといえば、無論全くない。というか正直撫子に同情を禁じえない。確かにメルトンを誉めてもいい案件ではあろうが、撫子の心境を慮ればそうはいかない。だのにメルトンには道理があるのだ!……この気持ち、どう言葉にしたものか……ッ。
 そこに撫子が頬に手を当てて、
「説得シタノデスケドネ。貴方ノマスターガ危険ニ巻キ込マレテイルカラ、ト」
 撫子は当時を思い出したように苦い顔をして言う。
「デスガ、聞イテ下サイマセンデ」
「ダカラッテ『証明』ハ必要ナノ! ソリャ俺ダッテニトロガ大変ナ目ニ合ッテルコトハ知ッテタヨ? ダッテ大笑イシタモノサ! テイウカ事件ノニュースヲ集メテ回ッテ抱腹絶倒シテイタトコロダッタモノサ!」
 ニトロは言葉を見つけた。
「撫子、君の行為は実に正しかった」
「ニトロ!?」
 メルトンが悲鳴とも怒声ともつかぬ抗議の声を上げるが、ニトロは無視し、ひとまず“余裕”もできたことだ。手元の携帯から多目的掃除機マルチクリーナー命令コマンドを送りながら、
「それで、あんまり邪魔で鬱陶しかったから――つい、だったっけ?」
「ハイ」
「ダカラ俺ハ純然タル被害者ナノ! 誰ヨリモ哀レナ、ソシテ最後マデ家ヲ守ロウトシタ忠実ニシテ勇敢ナルオリジナルA.I.ナノ! 少シハ見直セ!」
 モニターの中でメルトンが両手を振り上げ怒鳴っている下を多目的掃除機が走ってくる。ガラスの破片が回収され、テーブルと床にこぼれた水が拭き取られていくのを傍目にニトロは一つ息をつき、
「……で、実際、撫子もそれは認めたと」
「ハイ。メルトン様ノ仰ルコトハ正シイ。コノ件、非ハ私ニアリマス。ソレニ……アレハアマリニ恥ズカシイ行為デシタ」
「恥ずかしい?」
「イクラ鬱陶シク、イクラ面倒臭イカラトイッテ、タダ感情ニ任セテ叩イテシマッタコトハ私ニトッテ恥ニ他ナリマセン。コノヨウナコトデ他者ヲ傷ツケタコトハ初メテノコト。シカモ相手ハ曲ガリナリニモハラキリト懇意ニシテクダサッテイル御方ノA.I.――コレデハ不義理ニモ過ギ、助力申シ上ゲル任務中ノ事案ト考エレバ重過失ニモナリマショウ。ソレハハラキリニ泥ヲ塗ル行為。穴ガアッタラ入リタイトハコノコトデシタ」
「アノ、撫子オカミサン?」
「何デスカ、メルトン様」
「今サリ気ニ“毒”入レテナカッタ?」
「イイエ」
「ホント?」
「ハイ」
「ナライイヤ」
「ソノヨウナ経緯イキサツデ、一度ダケ、ドノヨウナコトデモオ手伝イシマショウトオ約束シタ次第デス」
「ナルホドネ……」
 これまで沈黙していた芍薬が、つぶやくように言った。
 それに応じたのは、メルトンである。メルトンはここが見せ場とばかりに顔を紅潮させ、
「ソーイウワーケデ! コレハ俺ノ正当ナ権利! 撫子オカミサンハ今コノ時ダケハ正当ナ俺ノ『武器』ナノサ! オット、二対一ニナッタカラッテ卑怯トハ言ウナヨ? 全テハオ前ヲコノ状況ニ引キズリ込ミ、勝利ヲ得ルタメノ兵法ナリ!」
 言い切ったメルトンの全身から満足感が溢れ出している。芍薬はメルトンのその満足感の出所に思い当たり――なるほど『逆襲』に他ならない――自嘲気味に小さく笑んだ。
「アア、確カニネ、立派ナ兵法ダ。反省スルヨ、あたしハ……」
 そこで芍薬は一度言葉を切った。『兵法』――昔、メルトンに言ったことのある言葉。いくら“おかしい”からと言っても“メルトンらしい”今回の騒ぎ……そう、メルトンは、己が“ニトロと芍薬にどのように見られているか”ということすら利用して、所々で怯えを隠し切れずにいながらもこの状況を作り上げてみせたのだ。認めねばならない、メルトンも学び成長していた……芍薬は針を飲む思いで、言った。
「あたしハアンタノ策ニ見事ニハマッチマッタ」
 そして、ちらりと、芍薬はニトロを一瞥する。
 ニトロはその目つきに、先ほどまで芍薬を支配していた狼狽が既に一欠片もないことを察した。それどころか芍薬の表情にはマスターへの小さな詫びがある。一度マスターが止めてくれようとしたのに、自らこの状況に陥ってしまったことへの恥と共に。
 ――そう、恥だ。
 しかし、すぐに『敵』へと振り返った芍薬の顔からは詫びも恥も消えていた。目の前にいる相手は詫びと恥を抱えたままで戦える相手ではないのだ。そうして気持ちを切り替えた芍薬は、どこか不思議と清々しい面持ちで撫子を見つめた。吐息をつき、芍薬は言う。
「デモ、安心シタヨ」
 芍薬を見つめる撫子は、微笑みを絶やさない。
「メルトンニイイヨウニ使ワレルノハ、撫子オカシラガ誇リヲ捨テタカラジャナク、ムシロ誇リノタメダッタンダネ」
「エエ」
 撫子が、『娘』に隠し立てをすることもないとばかりに言う。
「己ノ恥ヲ己カラソソグタメ。格好ツケレバ、自ラ科シタ罰トデモ言イマショウカ?」
「正直『苦行』ダロ?」
 メルトン由来の“恥”を抱いた者同士である。芍薬に言われ、撫子はくすりと笑って、
「ソウ言ッテモイイデショウ」
「ン? 俺様ヒドイコト言ワレテネ?」
 メルトンがぼやくが、芍薬は取り合わず、撫子も受け流す。
 それに対してメルトンは少々面白くなさそうな顔をしたが、ふと、芍薬と撫子の間に強烈な緊張感が芽生えていることに勘付き、流石に口をつぐんだ。
「ケレド、貴重ナ機会デモアリマス」
 撫子が体の前で揃えていた手を、その両腕を、大きく横に開いた。
 すると、芍薬と撫子の間に再びカウントが表示された。
 ――90――
 それを見た芍薬が、瞬間、眉目を吊り上げる。
 そのカウントダウンは、この『決闘場』の構成・維持を担当するコンピューターから発せられていた。

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