キモノ――その中でフリソデと分類されるらしい、異星の装束。
 袖口は小さく(とはいえシャツよりは大きく)取られているが、袖の両腕を広げた際に下側となる部分が袋状となって膝下にまで垂れている。その長い袖丈が非常に特徴的であり、一目見ただけで印象に残るシルエット、アデムメデスにはない奇抜なそのデザインは、異星情緒と共に華やかさを感じさせながら、一方では得も言われぬ奥ゆかしさを感じさせる。両腕を広げれば体が大きく見え、長い袖の深みがそのまま懐の深さを想像させるが、腕を閉じて手を体の前で揃えれば、長い袖が翼を休める鳥のように穏やかな形を描き、楚々と纏まるシルエットは可憐であり、またどこかで母性と庇護欲を同時に掻き立てる不思議な装束。
 キモノ――という服は、柄によってその印象を大きく変えるものでもあった。その柄は無地やシンプルな紋様・図案から、それだけで芸術品と呼べるような絵画まである。そして無地・シンプル・芸術、そのどれをも受け止めながら、キモノという一つの『カテゴリ』はどこまでも逸脱しない。無地だろうが芸術だろうがそれを“キモノ”の中に包み込んでしまうのだ。親友の言葉を借りれば「これは一つの宇宙なんです」ということらしいが……今、目の前にある黒地には、金銀銅、赤に青、様々な色彩の糸を綿密に縫い込むように描かれた『宇宙』があった。裾の左下には一つの大きな“星溜まり”があり、そこから両袖に向けて星雲や星々が花開くように描かれている。大分だいぶん意匠化されているとはいえ、それはまさしく『宇宙』であり、それを純白の帯が引きまとめ、さらに真紅の帯止めが一つ緊張感を生んでいた。
 全てを包み込みながら、反対では全てを押し潰してしまいそうな宇宙の上には、どこまでも穏やかな顔があった。腰まで流れる黒髪の先端を一直線に切り揃え、同じく前髪も一直線に切り揃える特徴的な髪型。肌は粉を塗ったかのように白く、その中で、細い眉の下の黒い瞳と、唇に指で一押しするように小さく塗られた紅が美しく映えている。
 見間違えようもない。
 小柄ながら、その大きな存在感。
 見間違えるはずもない。
 撫子。
 ハラキリ・ジジのオリジナルA.I.にして、芍薬の『母』。
 なるほど……メルトンを馬鹿ほど調子に乗らせるに納得せざるを得ない『虎』――!
「ゴ機嫌ヨウ、メルトン様。オ呼ビ出シ頂キマシテ、撫子、ココニ馳セ参ジマシタ」
 撫子に深々と頭を下げられ、メルトンはご満悦の様子である。そうしてメルトンが素早く呼び出しに応えた撫子を労う光景を見れば、現在、両者の関係が『マスター』と『サポート』(あるいは『隷属スレーブ』)にあることが理解できる。
 芍薬が、ニトロが唖然として二の句を紡げないでいる内に撫子が振り返る。撫子は先にカメラ越しにニトロへ目をやり、最後に芍薬へ顔を向け――その時、ニトロには、撫子が一瞬だけ妙に捉えどころのない不思議な表情をしたように見えた――それから撫子は一つ息をつくように佇まいを整え、すっと頭を垂れると、
「オ邪魔致シマス、ニトロ様。ソシテ芍薬」
 撫子の辞儀は馬鹿がつくほど丁寧であった。
 しかし、正直、そんな挨拶などどうでもいい。
 心底浮かれているメルトンが、こちらを心底馬鹿にしながらあっかんべぇをしているのも最早どうでもいい。
 どうでもいいことを目の当たりにしたことで少しだけ思考を取り戻した芍薬とニトロはまず口にすべき言葉を思い出し、同時に叫んだ。
「「何故!?」」
 ガシャン、と、ニトロの傍らでけたたましい音が鳴った。先ほど驚いた拍子にコップを倒してしまっていたのだ。それが床へ転がり落ちて、割れていた。ニトロは水浸しとなったテーブルと、端からぽたぽたと水が垂れて床にも水溜りができているのを見て、しかし今すぐそれをどうこうしようとは思わなかった。
 こんなことは、後でどうとでもなる。
 だが、
撫子オカシラガ……何デ……メルトンノ『武器』ダナンテ物扱イサレテルノサ! ソンナ、ソンナ屈辱――!」
 芍薬が狼狽している。ひどく動揺している。
 撫子は、微笑んでいる。
 メルトンは……今頃額のいたみに気づいてぞっとしたらしい。自分より小さな撫子の背後にこそこそ隠れるやプルリと震え、息をつき、安全地帯で気を落ち着けるや再びクソ生意気な得意顔を覗かせている。
 撫子はメルトンに盾にされながら平然と、
「アラ、私達ハ『道具』デアルコトコソ存在意義。ソシテ誇リデショウ? マスターノ『手』トナリ、同時ニドノヨウナ『手先ブキ』トモナル。誰ガドノヨウニ汚ク呼ブ仕事デアッテモ、マスターノ声ヲ通セバ、ソレハ私達ニトッテハ何ヨリノ黄金。
 貴女ハ、ソノ『矜持』ヲ忘レタトイウノデスカ?」
 問われた芍薬は頭を振り、未だに信じられないというように、
「ソウジャナイヨ! ソウイウ意味ジャナクテ……ソレハ撫子オカシラダッテ判ッテルダロウ!?――ッコンナクダラナイ問答ハ止シテオクレヨ!!」
 覆面から覗く目を大きく開き、最後には、耐え切れないように芍薬は叫んだ。
 その気持ちは、ニトロには理解できるものがあった。
 自己の矜持や存在意義を『道具』と言い切り、それをココロから誇るA.I.達の価値観には完全な理解を及ぼせるわけではないが、それでも、自分の『母』、自分の憧れ、自分が目標とする相手が『単なる武器』として『使役』されていることに我慢がならない――その芍薬のならば、痛いほど解る。
 そして芍薬の訴えを聞いた撫子は、小さくうなずいた。
「ソウデスネ。少シ意地悪デシタ」
 激情を吐き出したばかりの芍薬は息苦しそうに撫子を見つめている。芍薬は次の言葉を待っているが、撫子は息苦しそうにしている芍薬を不思議と懐かしむように見つめているだけで何も言わない。そこで、
「この状況よりは意地悪じゃあないよ」
 と、ニトロが言うと、撫子ははたと思い出したように己のA.I.に助け舟を出したマスターを見つめ、口元に片手を当ててくすりと笑った。ニトロは胸中に整理のつかない感情を覚えながら、しかしこの状況でマスターまで狼狽うろたえてはいけないと、努めて穏やかに、かつ自然に、
「俺も驚いている。理由はあるんでしょ?」
 ニトロにそう問い直された撫子は笑みを消し、真摯な顔で一度うなずいた。それからちょっと困ったように眉目を垂れて首を傾げると、
「ミリュウ様トノ事件ノ折、メルトン様ヲ叩イチャイマシタカラ」

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