トラブルというものは大抵思わぬものではあるのだが、それにしても思わぬことになってしまったものだ。
 地下駐車場から自室までの短い道中を支配するのは、息苦しい沈黙。
 エレベーターに乗り込む芍薬アンドロイドの顔は穏やかであるが、血の通わぬ体温のないその機械の体はニトロの肌に確かに芍薬の煮えくり返った怒気を届けてくる。エレベーターが自分達を上階へ運んでいく力を足底に感じながら、ニトロは、こんな時にどう対応すればいいのか判らず困っていた。
 少しは芍薬の気を紛らわせてやろうかとも思うのだが、しかしそうしてしまえばメルトンの味方をしているように捉えられかねず……かといって同意を示してメルトンをはっきり非難すれば、芍薬の怒りに『やっぱりマスターにもこんなにも不快を与えて!』と、改めて義憤という強力な燃料を注いでしまうであろう。
 ……それに。
 ニトロには、今日のメルトンの様子も不思議ではあったが、芍薬のこの激情も不思議に思わずにはいられなかった。
 メルトンが芍薬に対して異常なまでの対抗心を持つこと自体は、『発狂』を除いても理解できることである。いくらマスター自身の選択によるものとはいえ、メルトンにとって芍薬は『マスターのA.I.の座』を奪った存在に違いないのだ。本来、そこで恨まれるのはマスターであるのが筋というものだろうが、ここはメルトンも“やはりオリジナルA.I.”ということなのだろう。マスターを恨むよりも芍薬を強く敵視し、結果として仲が悪い。
 一方の芍薬は勝気ではあるが短気というほどではない。ティディアに対しては辛辣だが、他者に対しては概ね懐が深い。さばさばとした性質もあり、もし誰かに敵視されてもそれはそれと割り切るだろう。が、メルトンに対してだけはそのように割り切れている節も割り切ろうとしている節も全くない。メルトンに対してはティディアに対する以上に辛辣で、メルトンもそこに突っかかるからすぐに諍いが始まる。大抵はメルトンが言い過ぎ、芍薬の怒気に怖気づいて謝り倒して終わるけれど、そこでまたメルトンが矛を収めた芍薬にまたすぐ突っかかるから結局喧嘩が再開、最後にはメルトンが芍薬に蹴り出されて(他にも棘付きバットでホームランされたり打ち上げ花火に括り付けられて射出させられたり、等々)実家へ強制送還されることが一つのパターンにもなっていた。
 ……芍薬は、メルトンに対してだけは、どうしてもそうなのだ。例え他のどのA.I.にメルトンと同じ事を言われようとも同じようには怒らないだろうし、挙句『殺ス』とまでは言わないだろう。もちろんクラッキング等敵性行為をしてくる相手には情も容赦もかけないが、それでも、ただ口喧嘩の様相からここまで怒ることは絶対にない。メルトンだけなのだ。そしてその感情が、今回、手に負えないほど爆発してしまっている。
 自室に着くや、芍薬が電子ロックを外して扉を引き開ける。芍薬に促されて先に部屋に入ったニトロは、通り過ぎ様に見たアンドロイドの静かな表情からはその奥にあるはずのココロを読み取れず、
(……何か、マスターとして至らないことをしちゃってるのかなぁ)
 色々鑑みてみた結果、彼にはそうとしか思えなかった。
 先の流れを考慮すれば、自分がメルトンのマスターでもあり続けていることが芍薬に不満を募らせているのだろうか。
 しかし、そう思うとすぐに「そんなことを気にする芍薬じゃない」という思いが浮かんで分からなくなる。
 ニトロの後から部屋に入り、扉が自動的にロックされる音を背にして芍薬アンドロイドがマスターを追い越しずんずんと奥へ進んでいく。
 その背中と、揺れるポニーテールを眺め、ニトロはこっそりと息をついた。
 ――結局、あれこれ考えたところで見届けるしかないのだ。
 だが、静観するとは決めたものの、本心ではこれから始まる『決闘』には物言いをつけたくて堪らない。だが、メルトンの不可解すぎる言動があり、そこに『発狂』の疑いを抱いてしまった以上は芍薬を信じて経過を見守るしかないのも本心である。……そして、そうと思いながらも逡巡を捨て切れずにいるのは我ながら何とも優柔不断なことだと思う。だが……まあ、『家族』の間に起きる問題というものは、得てしてこういう気持ちを掻き立てるものなのだろう。
 ニトロはカバンをベッドの脇に置いて、キッチンに向かった。
 アンドロイドは部屋の隅で座り、活動を休止して充電モードに入る。それと入れ替わるように壁掛けのテレビモニターの電源が入った。

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