「芍薬!」
 ニトロは、今度は芍薬を怒鳴った。彼の目には明確な叱責がある。それは信頼する芍薬が勝手に『座』を持ち出したことへの怒り、そして、その短慮をマスターとして咎める心。が、それを見ても芍薬は頭を振って「聞かない」と意志を表明し、眼前に迫りつつある自宅マンションを静かに見据えながら、メルトンへ言った。
「ソノ代ワリ、ソッチハ『命』ヲ賭ケナ」
 ニトロはメルトンを見据えた。断れ、と、強く訴えかけた。いくら“雰囲気”を感覚で掴むことを不得手としているA.I.とはいえ、人間の表情を読むことには長けている。モニターの上部につけられているカメラを通して、メルトンは、例えニトロの全身が放つ緊迫感を感じられなくとも、意図の明確なその眼差しは確かに見て取っていただろう。されど、メルトンはどこか余裕綽々、それどころか得意気に言った。
「イイゼ。何ダッテ賭ケテヤルヨ」
 ニトロは、絶句した。
 生意気で馬鹿なことを言う奴ではあるが、こんなにも……どうしようもないほど愚かな奴ではなかったはずなのに……!
 だが、メルトンは言うのだ。
「モシ芍薬ガ勝ッタラ、ドウニデモ俺ヲ好キニスレバイイサ。壊シテモ、ソレトモ永遠隷属サセテモカマワネェ。“干シ肉モラッタ犬”ミタイニ卑シク媚ビヘツラッテヤルヨ」
「ヨウシ良ク言ッタ! ソノ言葉、忘レナイヨウニシッカリ記録ログニ書キ込ンデオキナ!」
「ヘイヘイ。“干シ肉モラッタ犬”ミタイニ決シテゴ恩ヲ忘レマセンヨ」
「ッ、コノ……ッ」
 怒りのあまりに芍薬が言葉を失う。思えば忘我に陥りそうになるほど怒る芍薬というのも――それはティディアに対してもないことだ――本当に珍しい姿であるが……その横で、ニトロは再び眉間に皺を刻んでいた。
(いくらなんでも、やっぱり変だ)
 先刻のスラングといい、今の古めかしい比喩といい、狙ったかのように生意気さ加減までいつもより増幅させてくるメルトンこそ本当に一体どうしたことか。それはニトロも初めて見るくらいの調子であり……
(調子?)
 そこでふと、ニトロは気になった。
(調子に……乗りすぎちゃってる?――のか?)
 そう考えれば、このメルトンの暴走は理解できるような気がする。元々調子に乗りやすい性質でもある。『映画』の折にティディア側についたのも、突き詰めればその性質のためだと言うこともできる。とはいえ、もしそうだとしたら、これほど芍薬に喧嘩を売ってなお勝てるという見込みがあるのか。それこそ以前のようにティディアを味方につける、というレベルでメルトンを舞い上がらせられる見込みがあるというのか?――ちょっと想像できない。ティディアがまた? とも脳裏をよぎるが、それは現状ではあり得ないように思う。では、あり得るとすれば、例えば個人的に交流のある『A.I.仲間』が手伝いを約束してくれたのだろうか。しかしそれが『ニトロ・ポルカトの戦乙女』に挑むという内容でも、手伝いを約束してくれる仲間がメルトンにいるのだろうか? それも、やはりちょっと想像できない。
(……それとも……やっぱり、発狂しちゃって、誇大妄想にでもなってるのか……)
 そう疑うのは苦しいが、やはり、考えられないことではない。可能性としては決してゼロではないのだ。
 では、もし、そうだとしたら?
 ――危険だ。
 悲しいが、もう一秒足りとて両親の家をメルトンに預けるわけにはいかない。
 悔しいが、メルトンのマスターとして処断しなければ……ならない。
(…………いくら怒っても、芍薬は最後の一線は――)
 越えない。何しろメルトンの破壊はマスターの自分が許可していないのだ。芍薬は裏切らない。だから、
(うん、越えない)
 いくら壊すと宣言しても、それはやっぱり脅し文句のはずで、どこまでやっても瀕死状態で留めてくれるだろう。
 その状態なら『発狂』の是非をしっかり洗い出せると言うし――人間がプログラムを覗いてもブラックボックスに阻まれ解らないが、A.I.同士は“直感”で解るらしい――そう思えばこの決闘は、むしろ都合の良いものとなる。
 と、そこまで考え、
(よし)
 ニトロはもうこの件は静観することに決めた。
 気がつけば、新品の飛行車あいしゃはマンション屋上の発着場に向けて降下を始めている。太陽は沈み、残照が空と大地を照らしていて、周囲にいた報道関係者や“ファン”は飛行禁止区域に入ることはせずに離脱を始めている。
「ルールハ?」
 と、いくらか気持ちを鎮めたらしい芍薬が――いや、違う、芍薬は安全に着陸するために一時思考をこの件から外していたらしい。タイヤが静かに、衝撃もなく巧みに屋上に着いたことも含め、ニトロは内心感動していた。
 怒りながらも自分の行うべきことを忘れない理性。
 何より、芍薬が口に出した『ルール』という単語。
 それが意味するのは、A.I.同士が模擬戦を行う際に採用する様々な方式である。
(うん、やっぱり芍薬は大丈夫だ)
 飛行車スカイカーは機能を走行車ランナーに変え、ゆっくりと地下駐車場へのエレベーターに向かっている。フロントガラスの向こうでは車用エレベーターの重い扉が引き上げられている。
「ハンデヲクレテヤルヨ。得意ナ戦闘方式ルールガアルナラ選ビナ。何カ得意ナ戦場フィールドガアルナラソレダッテ選バセテヤル。ソノ上デ、完膚ナキマデニ潰シテヤルカラ」
 車がエレベーターに納まると、リアガラスの向こうで重い扉が引き下げられていく。黄昏のぼんやりとした光からも切り離され、車内がほとんど真っ暗になると、その中で煌々と輝くモニターからメルトンが言った。
「特殊ナ戦場ナンカイラネェ。ハンデトハ舐メラレタモンダナ。『決闘』――ナンダロ? 甘エタ要素ハイラネェ。全テダ、芍薬。何ノ障害モナイ場所デ、『オール』デ戦ウ。何デモアリダ」
「アンタトあたしデ?」
「決マッテンダロ。ンダ? 論理系統バグッッテンノカヨ。ソンナンデヨクニトロノA.I.ダナンテデッカイ胸張レンナ。オ前ノ肖像シェイプノ男好キスルデッカイソノ胸ヲヨ」
「……主様」
 エレベーターが地下についた。扉が開き、ちょっとアクセルを吹かしすぎながら、芍薬が言った。
「不幸ガアッテモ、オ願イダカラ咎メナイデオクレヨ?」
 ニトロは冷たいものを背中に感じた。
(やっぱり……今回ばかりはやばいかもしれない)
 頬が強張る。そういえば、芍薬は『主様ノA.I.ダナンテ吹聴サセ続ケルノモ絶対ニ許サナイ』とも言っていた。芍薬は、それが“マスターのため”となったら、例えマスターの意図にも命令にも背く行為をも厭わない。結果としてマスターに憎まれ“必要ない”と消去デリートされるというオリジナルA.I.最大の絶望を迎えることになろうとも、きっと己を捨ててそれを実行する。――そういう『芍薬オリジナルA.I.』である。
 さて……もし、そんな芍薬が“メルトンの存在は今後主様のためにならない”とまで断じていたとしたら?……と、そう不安を募らせているマスターの面前で、彼の気持ちはどこ吹く風とばかりにメルトンが言う。
「ナンダヨ、今カラ負ケタ時ノタメニ『殊勝ナあたし』ノ演出カヨ」
「ヨウシ、マジ殺ス」
 アンドロイドの目も据わるということをニトロは初めて知った。駐車スペースに突っ込むように、乱暴に車が止まった衝撃に軽く首を揺らされる。ニトロはぶれる視界の中で、また思う。
(でも止めたら後腐れが手に負えなくなるな、こりゃ)
 一度決めた通り、やはり、静観するしかない。
 が、マスターとしてできることはしておかなければならない。
「決闘は『A.I.バトル』で行うこと」
 ふいにニトロに言われ、芍薬とメルトンが『マスター』を同時に見つめた。するとすぐにそれが面白くなかったらしく互いにきつい視線をぶつけ合う。ニトロは努めてどちらをも咎めぬように平静に、言う。
「マスターとして、しっかり見届けさせてもらうから」
「イイゼ! ニトロニ俺ノ勝ツトコロヲ見セテヤリタイカラナ!」
 メルトンが活き活きと言って、さらに続ける。
「デモ芍薬ハヤメテオイタ方ガイインジャネェカ?」
「何ヲ言ウ。あたしニ、異存ナンカアルワケガナイダロウ?」
「ア、ソウカ。負ケテ惨メナ姿ヲ見ラレタイノカ。ドMジャン」
「……」
 黙する芍薬と、己の挑発が効果を発揮していることに至極得意な顔をするメルトン。
 ニトロはため息を押し殺す。
 先行きは、素晴らしいまでに不穏であった。

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