心底うるさい喚き声に鼓膜を叩かれ続けるニトロの眉間には、普段の温和な面持ちに代わって険を隠さぬ皺が寄っている。それは運転席で飛行車スカイカーのハンドルを握る芍薬も同様であり、川を表現した白藍の地に鮮やかな紅葉の刺繍を散らしたユカタを着るアンドロイド芍薬の眉間には、衣装の醸す秋の風情に全くそぐわぬ色合いの影が濃く刻まれている。
 二人の目の先にはダッシュボードに据え付けられたモニターがあった。その中には、ニトロの通う高校の制服を着たメルトンがいる。
 アデムメデスにおけるティディア姫の誕生日会の報道に対する自分なりにまとめたダイジェストをそれぞれの話題に対する文句を多量に添えつつここまで一気にまくし立てたメルトンは、しかし全然全くまだまだ言い足りないとニトロを指差し、
「何カサ、ニトロッテバドンドン偉クナッテクジャネーノ!? シカモ何カ知ラナイケド変ニ『名前負ケ』シテナイジャネーノ!?
 ツイコナイダマデハ腹ハ緩クテポヨント揺レチャッテタ奴ガダヨ!? チョット目ヲ離シタ隙ニヤタラ“実力者”ニナッテンジャネエカ!
 ツイコナイダマデハ試験前ノ勉強ダッテ“人並ミ”ニヤレバソコデ満足シテタ奴ガダヨ!? チョット見ヌ間ニヤタラ努力家ニナッテ成績上ゲチャウドコロカ上流社会ノオ歴々ト機知ノ利イタ会話ナンカシチャウクライニナリヤガッテコノ気障キザヤロウ! 思イ返セバツクヅク腹立ツワ! 何デダヨ! ソンナ奴ジャナカッタダロウ!? ニトロ! オ前ハ“ツッコミ”ダケガ一芸ノソレコソ“ザ・人並ミ”ダッタジャネェカ!――俺ニ鼻デ哂ワレチャッテチョウドイイクライダッタジャネェカ! ソレナノニ……ソレナノニ……ココマデ大キクナラレチャ俺ハヤリキレネェ! 『クノゥイチニンポー』デ芍薬ガ一世ヲ風靡シテイルトコロニ“キーッ”テナッテタラ今度ハニトロマデ『チェスト!』ナンテ流行語ヲ生ミ出シチャッテサ! ズールーイーッ! 俺モ流行発信源ニナリタイノ! ナノニ、二人ダケシテイイ思イシテ……ッズールーイーッ!! アア! 逃シタ魚ノ価値ハウナギ昇リ、ゴミダト思ッテ捨テタガラクタガ値千金ニ及ブ宝物ダッタト後カラ知ッテ落チ込ム人間モ俺ノ悔シサニャア及バネェ! ダッテサ、ダッテサ、『ニトロノA.I.』ソレスナワチ『王様ノA.I.』ジャン!? テコトハイコールアデムメデスノA.I.共ノ王様ジャン! ッアア! 俺ハ何テ哀レナA.I.デアルコトカ! 本来ナラ次代ノA.I.ノ王トナルベクトコロヲ芍薬ナル卑シイ端女ニソノ座ヲ簒奪サレ、今ハ一介ノ地方公務員ノ家守ヘト身ヲヤツシ、ソウシテ明ケテモ暮レテモ愛シキ『ニトロ・ポルカト』――誉レアル『我ガ兄』ノ成長ヲ誇ラシク思イナガラ、日ヲ追ウゴトニ“王威”ヲモ纏ッテイクノ姿ヲ見テハホゾヲ噛ム思イトヤリキレナサニ胸ヲ痛メル! チクショウ! 華麗ニティディア様ト舞ウ英雄ノ隣ニハ俺ガイルハズダッタノニ! ソレガ悔シクッテ悔シクッテモウ何モカモガ堪ラナイ!――ドチクショウ! ドウセダッタラビックリスルクライ落チブレロヨナ! ソウスリャ俺ハセセラ笑エテ毎日愉快ナンダカラヨーーー!」
 ここまでノンブレスで言い切るのは呼吸を必要としないA.I.ならではの芸当であろうが、メルトンはご丁寧にも顔を真っ赤にして荒く息をついた。
 ニトロは眉間に皺を刻んだまま、ツッコミどころばかりの妄言(特にA.I.に王などの階級はない)へのツッコミをひたすら忍耐強く我慢しながら、何だか芝居がかってるんだか罵倒芸を繰り広げたいだけなのかよく判らない状態になっているメルトンを見つめていた。
 と、メルトンが顔を上げ、はたとニトロと目が合って、彼が何かを言おうとするのを制してまた叫ぶ。
「大体ダナ! ニトロ! オ前何ダカ知ラネェケドパトネト王子トヤタラ仲良クヤッテルソウジャネェノ!? 『マルデ本当ノ兄弟ミタイ』ダナンテ言ワレチャウクライニヨロシクヤッテルヨウジャネェノ!? 麗シノパティタンバッカリズルイジャナイノ! ニトロ! 俺ニモモット構エ! テイウカ何ダヨアノ誕生日会ノ映像ハ!? ア、戦ウニトロハ格好良カッタヨ? 誉メテヤルヨ? パパサンママサンモ俺ガ作ッタ……お・れ・ガ作ッタ特別編集版ヲモウ何十回モ観テ喜ンデルヨ? パパサンママサンヲ喜バセテル俺ハニトロニ誉メラレテ然ルベキダト思ウヨ?
 ――コホン――
 ッデモナ! アレハ何ダ! ティディア様ノコトイッツモ煙タクシトキナガラ、トコロガドッコイ『愛シキプリンセス』ダナンテ言ッチャッテ手ニキッスマデシチャッテ挙句ノ果テニハ『ラブラブワルツ』!? ニトロッタライツノ間ニアンナニ紳士ニナッチャッテンノ!? テカ、イツノ間ニダンスマデデキルヨウニナッチャッテンノ!? ウッカリ見惚レチャッタジャネェカヨ、コノ大嘘付キガ! 騙サレタヨ、ソレガマタ悔シインダヨ、ニトロ、オ前何ダカンダデティディア様ノ求愛ヲ本心ジャマンザラデモナク思ッテンダロ! アレダ、オ前ハ『英雄』ナンカジャナイ、エロ雄ダ! クッソー、アンナ美女トヨロシクヤッテオキナガラ『本当ニ僕ハ迷惑ナンデス〜』ダナンテ……羨マシクッテ仕方ガネェヨ、モウフラレチマエヨ、モシクハ金玉爆発シヤガレヨ尿道ニ爆竹ブッ刺シテ! 痛イゾー、泣ケルゾー、苦シミ悶エタマエ〜、苦シミ悶エタマエ〜ェ、ソンデ仕上ゲニハ俺ガニトロノ泣キ面ニションベンカケテヤルンダ♪ 厳密ニハソコラノアンモニア臭ノスル何カダケド。ソシタラ、アア、何トイウ優越感! 俺様☆超ゴ満悦!」
 咳払いのを除けば再度ノンブレスで喚き通したメルトンは、今度は息を荒げずぶりっ子アイドルよろしくしなを作ってウィンクしては、キラキラと輝く瞳の下でぺろりと可愛い子ぶって舌を出す。
 ニトロは、眉間から消えるわけもない皺を刻んだまま深く嘆息をつき、ようやく一段落したらしいワガママA.I.を半眼で見やり、
「なあ、メルトン。お前は俺を持ち上げたいのか腐したいのか」
「ウルサイヨ! 嫉妬ノアマリニ掻キ乱レル乙女心ナノ! 察セ!」
「いや察せも何もそれ以前に乙女って。お前は“男”だろ」
「ハッ、何ヲ言ッテルンダイ、ニトロサン。俺達A.I.ニトッテ“性別”ナンテ糞ミタイナ属性情報サ。オ前ノ隣ニイルゴ寵愛ノ“芍薬”ダッテ数コンマ秒後ニ“ムキムキマッチョマン”ニナルコトガ可能ナンダゼ? 人間様ガドウ思オウガ勝手ダガ、ソンナ幻想押シ付ケテモラッチャア窮屈ッテモンダゼ」
 ……ニトロは、溝の深くなった眉間の皺を、指で叩いた。
 芍薬も同じように眉間を指で叩く。
 その動作はシンクロし、その様は一種の芸術であった。
 するとメルトンが、
「アアア! 何ダヨ何ダヨ! 芍薬! 何ダソノイカニモナ『あたしハ主様ト息ガ合ッテマス』アピールハ! 何ヨ何ヨ! ソンナノあたし、全然悔シクナンテナインダカラネ!」
 キーキー喚きながら、それまで着ていた高校の制服を女子の物に変え、自身の言葉を証明するように肖像シェイプの髪を伸ばして声調も体つきも完全に“女”に変えて、やけに芝居がかった様子で懐から取り出したるハンカチーフをキーッと噛むメルトンは、自身の言葉とは裏腹にほろほろと涙をこぼしている。
 ニトロは――そしてまた図らずも芍薬が、揃って同時にさらに険しくなった眉間の皺を指で叩いた。メルトンもまたキーッと唸って血涙をこぼす。
 ニトロと芍薬が嘆息をつく。
 メルトンは、怨嗟の言をぶつぶつ唱えている。
 ……車窓の外は、黄昏。
 西の地平は黄金――そうして西から天にかけてはオレンジと青のグラデーションに染め渡り、天から東にかけては青から群青へと色を増している。
 日を追うごとに陽の落ちる足の速まる季節。
 眼下には早々に夜の明かりを灯す王都の町並み。
 光り輝く王城やシェルリントン・タワーを背景に、遠くの空には雁が群れをなして飛んでいる。それより近くにはこちらを遠巻きにする報道関係者や“ファン”の姿がちらほら見える。
 狂騒の始まりは、ニトロが、当年大学受験をする全ての人間が受ける『大学入学検定試験』に向けた共通模試を受けた帰り道のことであった。
 実家から、連絡があった。
 方式は文面メールでも電話でもなくA.I.間での情報交換が選択されていて、つまり、メルトンが『伝言』があるからアクセスを許可しろと言ってきた。
 それで許可してやった結果がこれである。
 ここ最近、ニトロはメルトンと全く話をしていなかった。芍薬は実家とのやり取りのためにメルトンと通信やりとりはするものの、それでも、こうしてこちらのA.I.専用領域に招き入れて直接対面するのは久々のことであった。最近は大人しかったメルトンに対し、二人共に油断していたと言ってもいい。とはいえそれを考慮したとしても、ここまで鬱陶しさが爆発するとは思っていなかった。正直、苛立たしいし腹が立つ。長年の付き合いのあるニトロでさえそうなのだから、これまでメルトンに折に触れてはA.I.の座を明け渡せと言われ続けて常々辟易している芍薬にとってはなおさらである。
「メルトン」
 と、いらついた声で芍薬が言う。
「イイ加減寝言ヲホザイテイナイデ『伝言メッセージ』ヲ伝エナイカ」
 メルトンが肖像シェイプを元の男子の制服姿に戻し、片方の手を口に当て、もう片方の手をちょいと振り、
「オヤマア芍薬サン、ソレハ命令カイ? 随分偉クナッタモンジャナイカ。……ソレトモ」
 と、メルトンはそこでニヤリと口の端を持ち上げた。甚だ嘲りを含めた目をして、言う。
「モシヤ自分マデ偉クナッタ気ナノカナ?」
「ハア?」
 芍薬のその声には、怒りが満ちていた。無理もない――が、それは怒りの対象ではないニトロが聞いてもぞくりとするものがあった。ちらりと運転席の芍薬を一瞥したニトロは、ごくりと生唾を飲み込んだ。芍薬愛用のこのアンドロイドには、豊かな感情表現機構エモーショナリーがある。それなのに、アンドロイドは、今は完全に無表情であった。それは、そう、怒りのあまりに感情が表情を作ることを放棄した“顔”であった。

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