ハラキリは、中庭の噴水にいた。
 そこで彼は静かに水の音を聴きながら、グラスを傾けていた。そのグラスこそは、ミリュウが彼にこっそり持ってきた思わぬ『報酬』であった。
 ミリュウがハラキリに語ることには、彼女は交渉を終えた後もアンドロイドに没入スライドしたまま、給仕をやりつつ余興の行く末を見守っていたという(それと知らずに王女の給仕を受けていた者は、もしそれを知ったらどれほど驚くだろう)。
 彼女が再びハラキリの元にやってきたのは、彼がフルセル氏に『弟子』と共に礼を言い終えた直後だった。そこで彼女は彼に短くも最上の賛辞と礼を送ると共に、深い琥珀色を湛える一杯の蒸留酒を贈ったのである。それは、彼女の“財産”の一つでもある、二百年物のウイスキー。ちょうどここロディアーナ宮殿の地下酒蔵で厳重に管理・保管されている樽から持ってきてくれたのだ。ワンショットでも何十万リェンもするだろう。それをツーショットも。ロックや水割りなど、どれがいいか分からなかったからと彼女はストレートで持ってきていた。報酬は受け取らないと言っていたはずだが、妹姫は「注文のワインの銘柄を忘れてしまったので」と微笑み言った。ならば、そのような心ばかりの品を断る無粋を働くようなハラキリではない。
 ……彼は、歴史あるロディアーナ宮殿の中庭の中心でグラスを傾ける。
「二百年、ですか」
 長い時が凝縮したかのように濃厚な、それなのにまろみのある柔らかな極上の“命の水”を、ハラキリは、一人、風に乗ってくる薔薇の香りとロザ宮からのかすかな喧騒を聞きながらじっくりと味わっていた。
 空は非常に明るい。現在、宮殿の上空には外からの“目”を防ぐための虫型ロボットが作る『結界』があり、それが内側からはまるで星屑の作るドームに見えるためだ。
 星屑のドームの外側では、繁栄の輝きにぼんやりと煙る――それでも赤と青の双子月や一等級以上の星に飾られる天球の下で、多くの国民が声を張り上げ次代の君主を祝福していることだろう。だが、その声も今はドームに遮られて聞こえはしない。聞こえはしないが、それは宮殿の周囲のみに轟いているのではなく、確かに星中に存在する声であるのだ。
 ハラキリは過去に向けていた思いを、未来へと馳せた。
「二百年後に、この国の玉座はどうなっているでしょうねぇ」
 そしてそこには、一体誰と誰の血を継ぐ人間が座っているのだろうか。
 その頃には自分は死んでいるだろうが……さて? と、そこまで思って、ハラキリは小さく笑った。二百年の火酒じかんを一口飲み、それの与えてくる熱さに息を吐き、また別のことを思う。
 今夜、改めて思い知ったこと。
(ニトロ君は、本当に成長したものですね)
 頼りなかったはずの親友のまばゆさには目がくらむものだ。
 ハラキリは、また酒で舌を湿らせた。
 あまりの美味しさに、口元には二重の微笑が浮かぶ。
 この酒は、この味となるまで二百年の熟成を要している。が、我が親友はたった一年半であそこまでになった。彼は特に秀でた資質を持ち合わせているわけではなく、その点から言えば彼が凡才であることには今であっても間違いはない。なのに、彼はこちらの想定を軽く凌駕する成長を見せつけ、また、驚くべき結果を出し続けてきた。ティディア本人との『相性問題』の関わらぬところでも、例えばどうしようもなく腐り落ちかけていたミリュウの心を救い上げたように。
 ……果たして彼はこれ以上にもなるのか、ここでの開花が到達点となるのか――それはまだ判らない。しかし、もっと成長した彼の姿は目に浮かべることができる。
 ハラキリは思う。
 いや、彼は理解していた。
 自分は『早熟』であろうと。今後、自分は、この酒のように熟成の過程で技術がこなれていくことはあっても、されど早い段階で熟したために、これ以上は天井を持ち上げられないだろうと、彼はそういう確信を抱いていた。
 そしてその確信は、良くも悪くも己の能力を正確に見定めることを助け、そのために彼自身をこれまで何度も危険から救ってきた。それに、この見定める力があればこそ、彼はニトロ・ポルカトをこれまで何度も良く助けてこられたとも言えるだろう。
 だが、そう考える自分を、彼は今日、初めて、少しだけ嫌に思った。
 成長し続ける親友に比べ、成長の限界点を確信して自らそこで立ち止まるのは何とも情けなくはないか? 『ニトロ君に頼るだけになるかもしれない』――その予感を抱いた時に、自分は寂しさのようなものを覚えた。しかし今思えば、それは寂しいと言うよりも、自分にとってどうにも恥ずかしいことではないのだろうか。この時点で既に『頼ること』を前提にするなどとは……それを確信するなどとは、あまりに、そう、
「面白くありませんね」
 我知らず呟き、思わずハラキリは苦笑する。
 何とももう一人の友達のようなことを言ってしまったが……とはいえ、実際……面白くない。
 ――さらに言えば。
 ニトロ・ポルカトは、ハラキリ・ジジから多くのことを学んでくれた。それと同時に、ハラキリ・ジジもニトロ・ポルカトから多くのことを学ばされてきたはずだ。親友は学んだことを身にしている。素直に人生を彩るための糧にしてくれて、そう、驚異の成長を見せてくれている。なのに、こちらは彼から学んだことをただ漫然と記憶の中に存在する情報だけに留めておくのか? 身にもせず、人生を彩るための糧にもせず。
 ハラキリは、息を吐く。
 そういえば以前、母は『友は良いぞ』と言っていた。ニトロと会って実際良いものだと思ったが、今またその思いを新たにする。
 そうだ。
 自分は親友に確かに多くを教えたが、それと同時に親友から多くを学びもしたのだ。
 ――ならば?
 さらに気になるのは、もう一人の友達も、最愛の男との決闘の最中に何やら心理的に一つ進化したように思えることだ。ある意味で完成されていたはずの彼女までもが成長して、前に進んでいるのだ。
 ――ならば?
 彼はもう一口、酒を含んだ。
 二百年の時間を舌の上で溶かし、熟成の過程で樽の香りを取り込んできた火酒の、その堪らなく芳しい香りに鼻をくすぐられながら彼はつぶやく。
「拙者も、負けてられませんね」

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