熱闘後の勢いに任せ、敗者であるニトロがまるで優勝者であるかのように数多の賛辞で揉みくちゃにされた後。
 落ち着きを取り戻したロザ宮のホールには楽団による穏やかなメロディが流れ、招待客らは思い思いに飲食や会話を楽しんでいた。
 今、ホールには無数の宙映画面エア・モニターが投影されている。パトネトの頭上と、宙に浮かぶ時計の真下、それから玄関の上に大きなモニターが表示され、食事を落ち着いて楽しむための小さな丸テーブル周辺には小サイズのモニターが“常映”されている。また小サイズのモニターならば自前のモバイルでリクエストすることでホール内のどこにでも呼び出すことができて、そうやって画面を眺めている者も多く見られた。
 大きなモニターが映すのは、いずれも『参加賞』の抽選の模様である。
 ニトロは早々に10等『賞品券5千リェン分』をもらった。つまり最下等の賞品だった。彼の結果がクジの公平性を担保する材料となったのは、一つのご愛嬌であろう。ハラキリは5等の『レストラン(ラッカ・ロッカもしくはクオンハオン)お食事券』が当たっていた。
 一方、小さなモニターでは『余興』の録画映像も見ることができて、抽選を終えた者や、そもそも抽選に興味のない者はこちらに釘付けであった。会話もこれについてが中心であり、参加者は観客に徹した者達に当時の状況や感想を述べて楽しませ、逆に観客であった者達は参加者を誉めたり彼らの体験談に目を輝かせて相槌を打ったりと、とにかく話は盛り上がる。
 その中で、人気を集めている映像があった。
 フルセル氏とグラム・バードン公爵の一騎打ち、ハラキリ・ジジと公爵の一騎打ち、それからニトロの『ショー』と、何より、最後の『決闘』である。特に最も繰り返し再生されているのは、決闘の最後、それも決着時の交錯であった。
 ニトロの、あの王女の脇腹を確かに薙いだように見えた一振り。そこかしこでその一瞬を捉えた映像が限界まで拡大され、また限界までスローに落とされ、あるいは立体映像ホログラム化されて様々な角度から鑑賞されている。それぞれ現代最高水準のカメラに備わるハイパースロー機能、一台であれば簡易な、複数台のカメラのデータをリンクすれば詳細な立体映像作成機能等を用いた映像だった。限界まで拡大されても解像度の高い映像は、立体化してももちろん鮮明に像を作る。その他にもカメラは多様な分析機能も備えており、内蔵されたソフトウェアの計算の結果、交錯の瞬間、ニトロの剣先はティディアの鎧から0.1mm離れていたことが確認されていた。
 まさに髪一重であった。
 さらに詳しく分析した結果、剣速はニトロが上であったために肉眼では先に振り抜かれたように見えたが、実際に両者の剣の到達時間はほぼ同時であったことが判明する。続いて分析ソフトは驚くべき事実を視聴者に伝えた。ティディアが、突きを放ちながら胴をかすかに引いていたのだ。極めて最小限の防御、凄まじい見切りの技であった! また、ニトロが背を反らした無理な体勢で剣を振っていたため、その分両者のリーチ差はなくなっていた。加えてティディアは、あの刹那に、リーチ差を埋めるために柄の端のギリギリを握りこむテクニックまでをも披露していた。――勝敗を分けた、その三点の差異。そのどれが欠けてもタイミング的に相打ちと判断される状況であったことは、皆に新たな驚嘆を与えていた。
 何度見ても王女の天才性が際立つ。
 何度見てもそれに食らいつこうとする『英雄』の執念が際立つ。
 何度見ても、その映像は人心を感動させていた。
 ニトロ自身、詳細を知った時には思わず感嘆してしまったほどである。
 そして、あまりに遠い微差にティディアとの本質的な実力の大きな差を感じながら、
「よくこの角度で撮ってたなぁ」
 と、この決定的瞬間をベストポジションで捉えた映像(0.1mmの結論を引き出した映像)にも感心していた時、相変わらずカメラを担いでその辺をうろうろしていたヴィタが急にニトロへ近づいてきた。かと思えば、彼女はやたら自慢げに胸を張って一つ大きく鼻息を鳴らし、そうしてすぐに去っていった。……どうやら『奇跡』を最高の角度で撮っていたのは彼女であったらしい。
 ニトロが半ば感嘆に、半ば呆気に取られて得意気な女執事の背中を目で追っていると、次に彼女が内臓の面白センサーを働かせて向かったのは、現在ロザ宮に三箇所ある大きな人だかりの内の一つであった。その中心には、思わぬ活躍を見せたフルセル氏とその妻がいる。剣を持っていた時とは打って変わって恐縮しきりのフルセル氏と、夫を誇らしげに見る夫人の姿は微笑ましい。
 フルセル氏が注目を集めたのは、余興での活躍、その一回きりではなかった。抽選会の始まる直前、ニトロがハラキリと共に彼に礼を述べたのだ。「先生の姿には大いに学ばせて頂きました。公爵と“戦えた”のも、先生のお陰です」と。フルセル氏は、その時ばかりは恐縮せず、穏やかに礼を受け取っていた。しかし、そうして礼を受け取る彼には自己に対する誉れというものはなく、その双眸はむしろ二人の若者を誇らしげに見つめていた。――彼は理解していたのだ。ハラキリがじっと自分の戦いを観察し、参考にしていたことを。そしてニトロも彼の戦いから学んでいたことを。それらを理解していたからこそ、自分の期待に応えてみせてくれた若者の堂々とした姿を、彼は余計に誇らしく思っていたのだ。
 と、そのフルセルを取り囲む人だかりに、三つの人だかりのもう一つ、グラム・バードンを中心とするグループがぶつかってきた。それまで東大陸の伯爵を捕まえ何やら話し込んでいた公爵が、いくらか元気を取り戻した伯爵夫妻を解放するとすぐ、フルセル夫妻に挨拶をしにきたのだ。フルセル夫人は驚き身を縮めていたが、フルセル氏は剣を交えて何か通じるものがあったのか、旧知の間柄にあるような笑みを浮かべて改めて公爵と握手を交わしていた。
 老剣士達の作るその光景を、ヴィタはこれ以上ないベストポジションで撮影している。
(……さすがだ……)
 実に楽しげな女執事の周囲では、達人同士の交わす言葉を聞き漏らすまいと人々が耳を澄ませている。二つの人だかりが一つとなったことで、その人口密度は最大勢力に迫ろうとしていた。
 さて、その人だかりの“最大勢力”とは、無論ニトロ・ポルカトの周囲にある。
 給仕を務めている以上、いつまでもマスターの側にいるわけにはいかず、芍薬はとうに去ってしまった。ハラキリはフルセル氏への挨拶の時には戻ってきていたのに、直後、少し目を離した隙にまたふっとどこかへ消えてしまった。まるで彼の話に聞く地球ちたま日本にちほんの『ニンジャ』か『クノゥイチ』かのようである。ええい、腹立たしい。
 芍薬もいず、ハラキリもいず、パトネトは抽選会のためにコンピューターを操作している。となれば、一人きりとなったニトロにはここぞとばかりに遠慮のない声が振りかけられていた。主な話題は直近の『余興』についてであるが、中には過去の事件についてなかなか際どい質問をぶつけてくるご婦人もいる。完全に取り囲まれたことで逃げ道を失ったニトロは、余興の最中以上に孤軍奮闘の思いであった。しかも、ここにきて大きな問題が発生していた。――顔は覚えていても名を覚えていない、あるいは名は覚えていても顔は覚えていない客らが頻繁に現れたことである。この会のための予習中にマイナーどころを覚え切れていなかった部分もあるが、それよりも、あまりに『余興』に精魂を注ぎ込んだ反動で、折角仕込んだ短期記憶が半ば綺麗にすっ飛んでしまったのだ。これは非常に痛手であった。
(ああ、チクショウ)
 こういう時にこそ頼りたいのに……ッ本当に腹立たしい! あいつは一体どこに行ったんだ!?
(この思い、ハラキリに届け! たーすーけーてー、シショーーー!!)
 と、ニトロが、またも名を覚えていない同年代くらいの令嬢に話しかけられ、果たして彼女の名を呼ばぬままにどうやって切り抜けたものか、それとも周囲の誰かにどうにかして令嬢の名を呼んでもらってやり過ごそうかと苦慮していた頃……

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