(いや、事情を知る人間だからこそ、簡単に呆れられるのでしょうね)
 注意を向ければ、周囲の耳のほとんどが、特に少女と同じく希代の王女様の真意に気づけていない者の意識がこちらへ向いている。
(――ふむ)
 ハラキリは、胸中では苦笑しつつも、これを幸運と取ることにした。
 ここで友達の思惑を明示することでその目的の完遂を手助けし、また、親友の気疲れを予防する手助けとなっておくのも一興だろう。
『ティディア様がニトロ様を拒んでいる』この現状は、後になって非情な効果を見せる劇薬であるものの――聡い者はとっくに気がついているものの――あくまで現状では“警告”にしか過ぎない。もちろん王女は後日東大陸で“実践”もして見せ、その両輪を以てニトロ・ポルカトを守るための戦車を走らせるだろう。……ここで、自分が動くのは多少差し出がましい行為になりそうでもある。が、彼女は、これくらいのお節介は許してくれるだろう。質問をしてきた少女のように“気づけていない者”の前で、ニトロ・ポルカトの親友にして『師匠』である自分がこれを明言しておくことは彼女の助けにもきっとなるはずだから。
「ティディア様は初めに『私からそれを勝ち取った者ならば』と仰っていたでしょう?」
 努めて柔らかく、紳士的にハラキリは言った。少女がうなずく。おそらく、内心でうなずいている者はもっといる。
「『私から勝ち取れ』『あなたであっても』――そうも仰っていました」
 少女は大きくうなずく。
 ハラキリは微笑んだ。
「その言葉の通りなのですよ、Miss・ライリントン」
 と、唐突にハラキリに名を呼ばれ、少女は驚いたように頬を朱に染めた。そして彼に知られていることがより彼女の気を引いたのか、俄然目を輝かせて彼の答えを聞こうとする。
 ハラキリは続けた。
「ここで何より重要なのは『私から勝ち取れ』ということです。ミス・ライリントン、それは誰に対してもそうなのです。ティディア様は、例えニトロ・ポルカトが相手であっても二つ返事で『応』とは返さない。『私とあなたの関係は、そういうものでしょう?』――むしろニトロ・ポルカトの頼みであればこそ誰よりも厳しく吟味されるのです。誤解なきよう言いますが、それは彼を信頼していないのではなく、信頼しているが故の行為です。
 甘やかさないのですよ。王女は、好きな相手であるほどに。『あなただからこそ』――期待をかける相手であるほどに。ミリュウ様に、そうしていたように」
 そのセリフは非常に大きな威力を持っていた。
 あの『劣り姫の変』は、アデムメデスに様々な印象と影響を残していた。その一つがティディアとミリュウとの関係性に対する印象の変化だった。仲の良い姉妹の裏側の、王女としての仲が良いとか悪いとかそういうことでは語りきれない複雑な関係性。それが明らかとなったあの事件は、結果的に『希代の王女』の優しく真面目なはずの少女を狂わせてしまうほどの“愛”と“厳しさ”を一層象徴する出来事にもなっていたのである。
 ガチン、と、激しい音が鳴った。
 一時ハラキリの言葉に移っていた関心が決闘へと引き戻される。
 ニトロの鋭い打ち込みをいなしたティディアが連撃を放っていた。王女の細腕はしなるように振るわれ、その先では剣の威力が増す。本当に女の細腕から生まれる力であるのだろうか! 一度二度、火花が散り、
「シッ!」
 と、ニトロの鋭い吐息が走るや、彼の足がティディアの胴を守る鎧に触れていた。その電光石火の横蹴りは王女の苛烈な連撃を剣で受け止める際に生じるわずかな間隙に放たれていた。これ以上ない絶妙のタイミングであり、ティディアがバランスを崩して後退する。ニトロは追おうとして、急に足を止めた。彼女のバランスの崩れが演技だと気づいたのだ。『英雄』を誘い込めなかった王女が舌打ちをするような顔で構えを取り直す。
「――もちろん、パトネト様のように、準備ができていない者に対してもティディア様は無理を言うわけではありませんけどね」
 と、そこで、この場にいる“姉に甘やかされているように見える”弟王子へのフォローが飛び、忙しく観客の意識がハラキリへと戻る。中でも、心底愉快そうに髭を撫でながら決闘を見つめるグラム・バードンの横で、ミス・ライリントンは傍の公爵の存在を忘れてしまったかのように熱心にハラキリの言葉を聞いている。
 ハラキリは彼女だけに語るように微笑み、
「だから、ここでニトロ君が『プロポーズ』を願おうとしているのであっても、そうでなかったとしても、ティディア様は手を抜かない。いや、彼が抱くものが大きな願いであればあるほど決して手加減などしない。何故なら、愛は、『余興』で片付けられるような軽いものではないでしょう?」
 ミス・ライリントンは何度もうなずいていた。ハラキリと、ティディアとニトロの決闘を交互に見ながら、仕舞いには――『愛は』の言葉を引き金として――目に涙を浮かべてうなずいていた。
 彼女が浮かべるのは紛うことなく感涙であった。
 彼女は明らかに王女の振る舞いに胸を震わせているのであった。
 ハラキリは、自分に質問をしてきたのが『ティディア・マニア』でよかったと思いながら、しかし最後には彼らしく冷や水を用意した。友達への誕生日プレゼントだと――同時に少し早いが親友への誕生日プレゼントだと思いながら、
「ですから、お気をつけてくださいね。初めから『ニトロ・ポルカト』を頼ろうというような自助努力を放棄した願いほど、王女を怒り狂わせるものはありません。それはそうでしょう? 何しろそこには姫君の貴い愛を穢す醜い欲が混ざる。となればなおさらお怒りが激しくなることは、至極当然のことですよね?」
 その瞬間――ハラキリの問いかけに少女がまことにその通りだと大きくうなずくのを他所にして――会場に、王女と『英雄』の決闘が生む緊迫感とは別の緊迫感が生まれた。
 ある場所では東大陸の伯爵が顔を青褪めさせていた。
 彼は知っていたのだ。中庭で、王子とニトロ・ポルカトに出会う前、モバイルで確認していたのだ。東大陸の貴族の誰かがハラキリ・ジジの忠告を既に破っていることを。そして彼は、なまじ彼が優秀な頭を持っていたために、その軽薄な観測気球が後日もたらす被害がどのようなものになるのかも、今ここで既に知ってしまったのだ。
 青褪めた伯爵と、夫の絶望に気がついた妻の戦慄が周囲にも伝わる。
 その二人の恐怖があればこそ。
 もう何度目か、攻めあぐねて剣先をぶつけ合うニトロとティディアを見つめる観客の全てがそこにある王女の『強い愛』を理解した今、ハラキリ・ジジが最後に放り込んできた“警句”のために震えていた。――特に権力の近くにいる者が。今日こんにちまでその危険に触れずに済んだことへ感謝し、そして今日こんにちまで自分達の心の中にそのような『期待ごかい』があったことを恥じ、また恐怖し、皆々改めて心を揺らしていた。
 ハラキリは、ニトロとティディアを挟んだ対岸に伯爵の青褪めた顔があることをふと認め、その焦点の合わぬ瞳がこちらをちらりと見たことに気がついた。あの伯爵をどのような行く末が待っているのかは解らない。しかし余興中の振る舞いを思えば、それなりに面白そうな人材ではある。
(今日は、大サービスですよ。ティディアさん)
 そう思いつつ、彼はあくまでライリントン嬢に言うように、
「まあ、とはいえ、憤怒の雷に打たれたとしても諦めないことです。ティディア様は人に助けを強請る者を嫌えど、適切に人に助けを求める者に怒ることはありません」
 ライリントン嬢はハラキリが何故自分にそのようなことを言うのか理解できていない顔をしながら(彼女は自分がティディアの怒りを買うことはないと無邪気に妄信しているのだ)、それでも重要な助言を受けているのだろうと微笑みを浮かべてうなずく。
 そしてハラキリも微笑み、言った。
「また、ティディア様は、自らを助く者には特に寛大な方ですから」

→3-g03へ
←3-g01へ

メニューへ