(そうね。それが当然でしょうね)
 そもそも『ニトロ・ポルカトの取り成し』が期待されるのは、彼が私を止められる唯一の人間として認知されていることが原因にあるとしても、そこにはもう一つ、看過できない理由が垣間見える。
 今現在、周囲にいる招待客のほとんどはこう思っていることだろう――『きっと、姫様は恋人に勝利を譲られるだろう』
 それはつまり、私が彼を愛しているから、私は彼だけにはきっと甘い――そう思われているということに他ならない。いかに恐ろしいクレイジー・プリンセスであれ、愛するニトロ・ポルカトには特別扱いをするはずだ、あるいは、ニトロ・ポルカトにだけは特別扱いをしてもいい(そしてそうあって欲しい)――そのような『期待ごかい』をされていることこそが、看過できぬもう一つの大きな病巣としてあるのだ。
 既に前例は『シゼモ』にある。
 そこではニトロに釘を刺しておいた。
 今度は、外だ。
 外で悪性腫瘍のようにぼこぼこと膨らみつつあるその病巣の根を、ここで叩く。
 私が余興の賞品として提示したものは、ニトロは喉から手が出るほど欲しいだろう。
『愛する男』の前で無茶苦茶な――言ってしまえばその愛情を軽んじ裏切るようなことを愉快気に語る恋人に愛想を尽かした……それを建前にすれば、彼はここで私と世間的にも“真っ当に”別れることができる。
 彼はきっと、これ以上なく真剣に、これ以上なく全力で私に挑んでくるだろう。周囲にそれが『プロポーズをするため』と誤解されようとも、恐ろしい気迫で向かってきてくれるはずだ。
「……」
 思えば、あの『取り成し』を望む言葉も最高のタイミングでメディアに載ってくれたものだとティディアは思う。その思想自体には腸が煮えくり返れど、このタイミングで言ってくれたことにはむしろ感謝すら覚えていた。きっとその者は、その関係者は、後日その身に降りかかった災厄の源をこの余興に見つけることになり、魂までをも青褪めさせることだろう。しかし、お前の犠牲があったからこそ、この『一対一』……その理想的なシーンはより理想的なものとなった。
 最後の決戦。
 運命の一戦!
 行動を伴わぬ言葉は脆い。いくら私が「ニトロの『お願い』でも簡単には聞かない」と言っても、それを全く疑わない者はいかほどいるだろう?
 ならば見せよう。
 願いを叶えようと必死に向かってくるニトロを真正面から打ち負かすことで、彼がどれほど私に何かを願おうとしても、そう、例え請願者が愛するニトロであっても簡単には私は願いを聞き届けない、聞き届けられたいなら例え私に唯一愛されるニトロであってもこの私から勝利を勝ち取れ、それを大衆の意識に焼き付けよう!
 もちろん、それでも安易にニトロに頼ろうとする愚か者はあるだろう。それでも、それが容易でないとなれば彼への『期待』は今よりもぐっと軽くなる。そこに東大陸の見せしめの効果を合わせれば、彼が耐えるに難しくないくらいにはなるだろう。
 ――この余興で、ティディアが『最大の目的』としたことこそは、それであった。初めから彼女にはただこの目的しかなかった。
 だからこそ全ての幸運へのティディアの感謝は、深い。
 シァズ・メイロンの私怨の絡んだ手加減のない初撃。
 あのフルセル氏の思わぬ大活躍。
 この余興を徹頭徹尾引き締めてくれた我が剣の師、豪傑グラム・バードンの大迫力。
 戦いの最中には内心で冷や冷やしたところもあったが、結果を見ればこれもまた感謝してもしきれないことである。特に、何度でも頭を垂れる、汚れ役を買って出てまでこの『一対一』をお膳立てしてくれた友達には感謝してもしきれない!
(お陰で私は、ニトロを守ることができる)
 そう思えばこそ――ふいに、ティディアの掌に汗がじわりと滲んだ。
 そして手に汗が滲んだことに、彼女は動揺はせずとも、いよいよ喉が締めつけられるような痛みを感じた。
(……)
 ティディアは思う。
 ニトロが参加してくれない場合にも、例えばシァズ・メイロンやアンセニオン・レッカード、特にグラム・バードンを優勝させるわけにはならなかったから、私は負けるわけにはいかなかった。
 だが、今はそれ以上に負けるわけにはいかず、いいや、負けてはならない
 彼女は幸運に感謝する一方で、この理想的な状況下があまりに理想的であるからこそ、その身に、その肩に、粘りつくような重苦しさが圧し掛かってくることをまざまざと感じていた。
「……」
 声援に応えて横を向いた時、ふとニトロの影が視界の隅に入った。その時、彼女は慌てて――これ以上ない上機嫌の笑顔のまま――彼を視界からそっと外した。
 努めて急がぬよう再びニトロから顔を背けて、思う。
(これから私は、ニトロと戦う)
 それはいい、それは全く問題ない。
 だが、問題なのは、彼が必死になってかかってくるということだ。
 当たり前のことだし、それをこちらも望んでいるし、そうでなくては『目的』のためにもならないことであるが、それなのに彼が剣を持ち必死に挑んでくることが――怖い、怖くてならない。矛盾していることは解っている。しかし怖いことに変わりはないのだ。
 そういえば、ミリュウがひどく真剣に『お負けになりませんように』と釘を刺してきたのは、もしや妹は私の中の恐怖と不安を見抜いていたのではないだろうか。
 そう、私は例え請願者が愛するニトロであっても簡単には願いを聞き届けない。皆は思っているだろう『きっと、姫様は恋人に勝利を譲られるだろう』……そんなことはないのに。そんなことはないはずなのに。
「……」
 いつしか周囲が、次第に、次第に静かになっていった。

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