(上々上々!!)
 内心では笑いながら、実際にはより必死に――より大きく剣戟の音が鳴るよう攻めにも転じながら――公爵の剣を防ぎ続け、ハラキリは、ついに場外際まで追い詰められた。
 否、ハラキリから見れば、ようやく公爵を追い詰めていた。
 ここに来て『ニトロ・ポルカトの師』として相応しい剣の腕を披露した彼を、激しい応援が後押ししようとしていた。そして凄まじい攻防を見せる二人を歓声が包み込んでいた。その声の大きさも凄まじい。メインイベント前の温まりに温まった会場。紳士淑女の皆が、失望と侮蔑を買うだけ買ったハラキリ・ジジの一変した戦いぶりに熱を上げられたこともあって大声を上げていた。紛れて聞こえる足踏みの音は、おそらくそうやって“拍手”することが身に染み付いている楽団員のものだろう。それもまた一つの“声”だった。さらに場外際である。ハラキリのすぐ後ろで令嬢が声を上げている。若い紳士が劣勢の若者に声をかけている。無論公爵への声援も少なくない。ホールの音響効果も手伝って、ハラキリも公爵も、何重にも響く声以外の音が聞こえぬほどであった。
 だが、時は既に遅い。
 全ては決したのだ
 ハラキリは、苦心して保っていた“辛うじて防戦できる間合い”までも潰された。
「どうする!?」
 グラム・バードンが剣を大上段に構えて声を奮わせる。横に逃げれば斬る。向かってくれば斬る。受けてきたならば、受け切らせずに斬る。カウンターを仕掛けてくるならばその剣が届く前に斬ってやろう。逃げれば場外負けだ。三秒未満の復帰を狙っていても、無論斬り捨てる!
 昂ぶりながらも冷静さを微塵も失わない公爵のグレーの瞳を見返し、ハラキリはふいに――再び――へらりと笑った。この轟音の中にあっても、公爵やおひいさんほど通らなくても、これくらいの距離なら自分の声くらいは届くだろう。
「どうやら拙者はここまで」
 そう言って、無造作に、ぽいっと剣を公爵に向けて放り投げる。
 会場が驚愕に包まれた。
 だが、公爵は冷静に放られた剣を弾き飛ばし――得物をなくしたハラキリ・ジジに、少し失望を眼に映しながら、一気に詰め寄る。
 と、その時、ハラキリがにやりと笑った。
餞別です
 彼は後方へ跳んだ。最後の、場外へのバックステップ。
 驚愕に包まれていた会場がさらなる驚愕と惑いの声に包まれる。
 ハラキリ・ジジは場内に戻る? そして剣を拾う?
 いや!
 グラム・バードンは、会場を包む驚愕の中に異変を感じ取った。微かに――観客の声で音が耳に届くのが遅れた!――背後からの、敵襲!
(これが『狙い』であったか、ハラキリ・ジジ!)
 至極愉快に、彼は驚くべき速度で背後へ振り返った。振り返る際に、彼の動体視力はこちらへ向かってくる人物をしっかりと捉えていた。
 ニトロ・ポルカト!
 公爵の頬に思わず獰猛な笑みが浮かぶ。
 ――『餞別』?
 面白い! お前の残した餞別でしは小生の剣で討ち取ろう!
 グラム・バードンは剣を振りかぶった。
 この試合は、余興だ。
 主人の意図を汲み、公爵は可能な限り単純な技で戦うことを己に課していた。
 そして、それをニトロは悟っていた。
 あのフルセル氏の戦いを断続的に見続けるうちに、グラム・バードンが意識的に技を選んでいることに気がついたのである。
 さらに、ハラキリが公爵の間合いを見知っていたように、この余興における公爵の腕もニトロの知るところである。必ず迷いのない達人の剣を真っ直ぐ振り下ろしてくれる、彼はそう確信していた。
「ハァッ!」
 今日一番の裂帛の気合と共にグラム・バードンの剣が振り下ろされる。
 その迫力は、その剣を受ければきっと受けた剣ごと持ち手は叩き斬られる――誰にもそう予感させるものであった。
 ニトロも、そのように感じた。
 もし、彼が鞘に収めた剣で、片手は柄に、片手は剣先に、そうして渾身の力を込めた両腕で受けなければ……さらに、フルセルがそうしていたようにインパクトの瞬間に柔らかに受けることで剣の威力をいくらかでも殺せていなければ……きっと公爵の一撃は『ニトロ・ポルカト』をこの余興から脱落させていたであろう。
「おお」
 剣を受け止められたグラム・バードンは、自身の渾身の剣に対し、逃げる素振りすらなく、躊躇もなく、一意専心防御に徹し、それを見事に遂行してみせた少年へ感嘆の吐息を漏らした。
 そしてグラム・バードンは、刹那、選択する。
 振り下ろされた剣と、それを受け止めた剣が触れ合ったままのこの状況からは、大きく分けて取れる行動が二つある。
 一つは離れて攻撃なり体勢を整えるなりとすること。
 もう一つはさらに接近して鍔迫り合いの形に持ち込むこと。試合中に目にしたニトロ・ポルカトの行動を思えば、彼は剣術よりも帯剣格闘ソードレスリングと言おうか、剣にこだわらぬ戦いの方が得意なようだ。現在の宮廷剣術ならありえないが、延々鍔迫り合いをするような状態になったら迷わず膝を金的にぶち込む流儀を身に染みつけさせているのだろう。『護身術』としてもそちらの方が合理的だ。では、ここからはそれに付き合うのも面白いかもしれない。――そのためには、もう一人、制さねばならないお人がいるが。
 と、グラム・バードンの脳がニューロンの一回閃く間に複数の情報を並列処理し、そこまで戦略した時であった。
 ニトロの陰から公爵の目に影が走り、瞬時に上へと消えたのである。
「!」
 グラム・バードンは頭上に目を走らせた。
 そこには、やはり、王女がいた。
 ニトロと共に駆けながら、彼を盾にし、その陰に身を潜めていた王女が彼の背を踏み台にして高く宙に舞っていた。
 歓声の中、ふわりと……どこか重力からも逃れたかのように、王女が伸身で宙返り、身を捻りながら剣を振るってくる。
 奇抜極まる奇襲。
 しかしグラム・バードンは焦らない。
 その単純な軌道しか描けぬ剣筋を見極め、首の動きだけでかわす。
 刹那の攻防。
 その一瞬だけでいくつもの攻防があった。
 王女を追って公爵が上を向き、そのため体勢がわずかに崩れたが同時、ニトロが公爵との間を詰めていたのだ。鍔迫り合いの形となり、公爵は、さらにニトロが自分を押し倒そうとしていることを察した。彼の左足が、こちらの右足を払おうとしていたのである。それを公爵は膝を外に張り出すことで防ぎ(同時にティディアの剣を避け)、次いでニトロを逆に押し倒そう、そしてそのまま背後に着地する王女から距離を取ろうとした――のだが、ここで公爵は驚いた。
 ニトロは、自分よりも身長も体重も力も強い公爵の押し込みをぐっと腰を沈めることで堪えてみせたのである。
 公爵はニトロとの押し合いに均衡が生まれたその一瞬間に、再び戦略を描いた。
 さて、このままだと王太子殿下は小生の背後に着地する。このままニトロ・ポルカトと押し合いをしていては背を斬られて敗北する。無駄ばかりの大きな動きでわざわざ派手なアクションを見せたのは『余興』のための“演出”でもあろう。また、そのまま挟撃に移るための“飛び越え”でもあるのだろう。確かに王太子殿下を相手に挟撃を受けてはひとたまりもない。しかしニトロ・ポルカトは剣を鞘にしまっている。鞘は割れている。剣を折ったとは言わないが、少なくとも曲げた手応えはあった。なれば簡単には抜けまい。どこかで別の剣を調達するにもそのような暇はない。――ならば。
 グラム・バードンは、現状ニトロは全く無害であると判じた。そして彼を捨て置き王女を先に制しようと身を翻す。
 ティディアは着地したばかりで、その体勢は整っていない。
 その隙を見逃さず、グラム・バードンは全力で斬りかかった。
 いかに我が最高の弟子とて逃れられますまい。王太子殿下にはここでお休みに――……
「?」
 その時、グラム・バードンの眉がひそめられた。
 彼には、一つ、大きな誤算があった。
 それは、彼のニトロ・ポルカトに対する『認識』についてであった。
 この余興に対し、ニトロは『剣術大会』というよりも『プロレスのバトルロイヤル』という認識を強く持っていた。
 そう、ニトロは余興のルールに従い剣を用いながらも、グラム・バードンも気づいていたように、ソードレスリングの分野の技術を積極的に使うなど、この会場において存在する最大公約数の剣術のイメージには初めから全く従っていなかったのである
 そもそもニトロは元より『騎士道』を規範とする人間ではない。こと戦いとなれば『師匠』の教えが規範であり、その規範は、一般常識からすれば正直えぐい。
 そこにもう一つ付け加えると、彼の得意は、何よりプロレスリングの技である。
「ッ」
 ニトロが力を込める。剣を捨て、グラム・バードンの背後に取り付き、その腰に回した両腕を引きつけるように背筋を爆発させ、そして公爵の巨躯を瞬時に引っこ抜く!
「イィィヤッ!」
 ニトロの気合を聞いたが同時、グラム・バードンはロザ宮の天井を見ていた。
 半球型の美しいロザ宮の天井。
 星のように煌くシャンデリア。
 そして今宵限り中空に浮かんでいる不思議な時計。
 時間を刻むはずの針は、まるで時の流れが鈍化したかのように緩慢であった。
 それを見つめながら、彼は驚き、思わず苦笑する。
 天井を見ていたはずの公爵の目は、次の瞬間には逆さまになった紳士淑女を眺めていた。彼ら彼女らは、一様に瞠目していた。
 それもそうだろう。
 まさか、剣術大会でジャーマン・スープレックスを見ることになるなど! 一体誰が想像できたであろう!
 重い音が響いた。
 美しい弧を描いて床に後頭部から叩きつけられ、グラム・バードンの体が歪なコの字に曲がる。それでも公爵は己の胴をロックするニトロの腕に剣を当てようとし――が、それを予測したようにニトロの腕は外れた。ならばと公爵は即座に立ち上がろうとした。頭部への衝撃は冑が吸収している。首への衝撃は首と肩の筋肉が吸収している。ダメージは皆無だ。戦える、まだまだ戦える! 彼は素早く後転の要領で膝を突き、とにかく『敵』の状況を確認しなければと顔を上げた。
 顔を上げたグラム・バードンは、そこで笑った。
「これはこれは」
 ……アンバランスながら、何と強い絆か
「小生の、負けにございまする」
 満足げに笑う公爵の鼻先で、王女の剣が煌く光を受けて美しく輝いていた。

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