「……さて」
 退場するフルセルへの賛辞が余興にちょうど良い小休止を作っている。
 試合場から出た老剣士を心配と感動で頬を濡らした夫人が出迎えると、それに続いて多く賞賛が彼を取り囲む。戦いの最中とは打って変わって恐縮して身を縮めているフルセルを眺めながら、グラム・バードンは言った。
「てっきり背を斬りにかかってくると思っていたのだが?」
 グラム・バードンの声は歓声の中にあってもよく通る。王女の声もそうであったが、彼の声が主のものと違うのは、それだけで気弱な相手は降参してしまうであろう迫力が込められていることであった。
 ハラキリは、頭を掻いた。
 公爵のセリフは明らかにこちらの『性質』を前提としたものだ。
 できれば全く素性が知れない状態で“爪”を隠したまま戦いに臨む――というのが理想であるのだが……まあ、それは初めから叶わぬと解っていたことである。ティディア直属親衛隊隊長である彼が自分のことを知らぬはずがないのだから。
「いやいや、素晴らしい一騎打ちに水を差すのは流石に躊躇われましてね」
 肩をすくめて、ハラキリは言った。
「それに、割って入ったところで実力差が目立って恥を掻くだけです。下手をすれば二人の剣風に巻き込まれて失格――なんて醜態を晒しかねない。あるいはお二人の怒りを買って、達人の二人がかりで退治されることになったら目も当てられない。何にしろ、拙者には入り込めない世界ですよ」
 口軽い彼のセリフを聞きながら、グラム・バードンが剣を抜く。
 それが、余興の小休止を終わらせる合図となった。
 と、
「おぬあ!?」
 突然、ハラキリの耳に素っ頓狂な声が届いた。ちらりと目を走らせれば、二人がかりの不意打ちを受けたニトロが慌てて逃げ出しているのが視界の端に映った。
 一方、王女はまた一人の青年から挑戦を受けている。中央大陸で注目されている新進気鋭の政治家であった。
 そしてハラキリの……正確にはグラム・バードンの周りには誰も寄ってこない。
 人数が減り、密度の薄まった試合場には散発的な小競り合いもなく、今や完全に三分割されていた。
 戦場の中心にはティディアがいる。彼女の前には一人の対戦相手と四人の順番待ちがいる。戦場にあってのんきに行列を作って、しかし、それには誰も襲いかかろうとしない。それどころか新たに一人、列の最後尾に加わっては先に並んでいた者と丁寧に挨拶すらしている。
 悲しいのはその周囲を動き回るニトロだろうか。のんびり順番待ちをしている兎を側にして、彼はさながら1ダースの狩人に追われる牡鹿である。見事なステップで降りかかる刃をかわし、避け、逃れ逃れて逃れるように見せかけながら時につるぎで反撃を食らわす立派な牡鹿。それでも『獲物』役を一身に担わされたニトロは、時折、
「だぁぁい!」
 とか、
「ちょ、わーお! やめ、わあああお!」
 とか。
 いくらなんでも多勢に無勢だと、相変わらず抗議を含めた(それでいてどこか滑稽な)悲鳴を上げている。
 ……まあ、正直哀れではあるものの、
(うん)
 ハラキリは内心で力強くうなずき、ティディアはもちろん、これまでと同じく愛弟子も放っておいて良しと断じて目の前の難敵に意識を集中した。
「貴殿の力、肌で確かめたかった」
 グラム・バードンが言う。
 ハラキリは少し眉をひそめ、
「閣下のご興味を引くようなことをした覚えはありませんが」
「興味を引かぬ方がおかしいとは思わぬか?」
「だとしても、実際に剣を交えようというほどではないでしょう。拙者はただの“外部要因”なんですから。しかし、どうやら閣下は入隊テストのように仰っている」
 グラム・バードンは察しの良いハラキリに笑みを返す。しかし、どこかそれは険のある笑みに思えた。
「外部要因とはよく言ったものだ。もはや“身内”に近いであろうに」
「“近い”と“そうである”には非常に大きな開きがあります。閣下ともあろうお方がそのような差異を正確に測れぬとは思えませんが?」
「では言い方を変えよう。王太子殿下は、貴殿を臣に欲している。場合によっては「閣下は、どうやら冗談はお下手のようだ」
 ハラキリは突如つっけんどんに言い放ち、公爵の言葉を強く遮った。年齢も身分もずっと上の者に対するには無礼に過ぎ、それだけに、そこにはハラキリの強い意志が込められていた。そして彼は、その意志も明確に口にする。
「拙者には笑えません
 グラム・バードンは険のある笑みの上で、目を細める。
「それが、気に食わないでいる」
「正直なお方ですねえ」
 ハラキリは苦笑を浮かべた。
「実に、おひいさんには受けが良さそうだ」
 正直な感想とも、極めて侮辱的な皮肉とも取れるセリフを怖気なく吐くハラキリに、グラム・バードンはにやりと笑った。先の一騎打ちへの熱が止み出した今、彼らの周囲にはそのやり取りを聞く者もあり、それらはハラキリ・ジジの傲岸さ――いや、ここまでくると豪胆さにむしろ聞く者達が肝を冷やしていた。
 ハラキリが、これまで一度も振るっていない剣をグラム・バードンに向けて、構える。
 フルセルに向けられていた喝采が静まっていくに従い、『余興』への関心がにわかに盛り上がりを取り戻していく。
 派手な追いかけっこを繰り広げるニトロは感心と笑いを呼んでいた。
 ティディアは流麗な剣術によって感嘆を呼んでいた。
 ハラキリとグラム・バードンは、公爵に相対する新たな挑戦者……それも挑戦者がハラキリ・ジジであったからには息を飲むような重い関心を集めていた。
 果たして、あのニトロ・ポルカトの『クノゥイチニンポー流護身術』の『師匠』は達人を相手にどのように戦うのか。
 そこには、フルセルと公爵の一騎打ち以上の戦いが望まれていたと言ってもいい。
 グラム・バードンが探るように一歩踏み出す。
 ハラキリ・ジジは動かない。
 グラム・バードンがもう一歩踏み出す。
 ハラキリ・ジジは公爵を中心点として円を描くように横に動いた。
「――」
 何かを悟ったように、公爵が一気に間合いを詰めようとする――その瞬間、ハラキリが先んじて大きく後退した。
「……」
 グラム・バードンが不愉快に眉をひそめる。
 彼は、今のやり取りのみで、この曲者が“危険地帯”と“それ以外”とを分ける『間合い』を的確に掴んでいることを察知したのだ。
 では、あの曲者は危険地帯を避けて常に逃げ回るつもりなのだろうか。
 ――その答えは、否であろう。
 ふと、大きく後退していたハラキリが逆に自ら間合いを詰めてきて、ついには“危険地帯”にも進入してくる。攻撃してくるつもりか? とグラム・バードンが身構えればそんなこともなく、『ニトロの師』は中途半端な位置で足を止める。そして彼は間合いを探るようにしながら、そのくせある地点を行ったり来たりするようにするだけで、結局何もしてこない。
 公爵は、確信した。
 その地点こそは境界線である。こちらの攻撃も届くが、あちらの攻撃もギリギリ届くであろう距離。こちらの間合いに入りながらも防御に徹すれば安全圏に逃げられると自信を持てる位置であり、そのくせ隙あらばちょっかいをかけるには最適の地点。純粋な剣術の腕では大きな差があったとしても、それでも負けない戦いができる――何と素晴らしくも嫌らしい『間合い』ではないか!
 公爵はそれと判らぬように微かに間合いを詰めた。
 ハラキリがそれと判らぬように微かに重心を後ろにずらす。
「……」
 グラム・バードンの口元が不快に歪む。
 癪に障った。
 この若輩者は、そう、この『間合い』をフルセルの戦いぶりから学び取ったのだ!――そう思えばこそ、グラム・バードンは癪に障るのであった。もちろん、奴のその学習能力は、その観察眼は誉めて然るべきものであろう。しかし、公爵には、正々堂々とした老剣士との素晴らしい戦いを、そのような狡い戦法へと還元するハラキリ・ジジの根性が我慢ならぬほどに気に食わなかった。
 さらに!
 何より気に食わないことは!
 ハラキリ・ジジが常にティディア姫を背にしようとしていることである!
 もし自分が強引に押し込んでいこうとすれば、ハラキリ・ジジは遠慮なく一騎打ちに興じている王女を『この戦い』に巻き込みにかかるだろう。そうすれば、自分は、おそらく王女も敵に回すことになる。場合によっては、それが好機とばかりにニトロ・ポルカトや生き残っている全ての参加者全員が襲いかかってくるだろう。その場合、あの天才でしの腕をよくよく知る身としては、それが敗北を意味することをもよくよく知っていた。
「……貴様」
 ハラキリの意図を完全に悟ったグラム・バートンが苦々しくつぶやく。
 一方で、ハラキリは、緊張感もなくへらへらと笑っていた。

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