開始直後から連続した見所に心を鷲掴みにされた観客達が、場内の参加者へ向けて、たかだか『余興』に対するものとは思えぬ熱気に満ちた声援を送っている。
 現在、大きな声援を特に集める箇所は三つあった。
 一つは『ニトロ・ポルカト』である。
 開始直後に美技を披露し会場を沸かせた彼は、グラム・バードン公爵の強襲から逃げ延びた後には常に複数人に狙われ続けることになり、そのため常に試合場を逃げ回っていた。アデムメデスの騎士道において、敵に背中を向けて逃げ回るのは美徳に反する。『英雄』と呼ばれるに至った『勇敢なニトロ・ポルカト』に対してもその美徳は人の“先入観”として存在するものではある。しかし、彼に非難の声はかかっていなかった。一度もまともに追っ手に正面から相対しない彼は、それなのに卑怯だとも臆病だとも思われず、故に『勇敢な英雄』の名に傷がつくこともなかった。理由はある。もちろん複数人に追われているという不利そのものが彼を擁護するものであるのだが、それ以上に、逃げる彼の動きには無駄がなく、また一度に数人に襲い掛かられても巧みにすり抜ける様がまた一種の美技となっていたのだ。時に一瞬場外に出てルールの裏をかいたり敵同士を利用して罠にはめたりという、実力者であるが故に許される――かつ漫才師らしい――滑稽な“演出”も相俟って、彼は度々見物客の喝采を呼んでいた。そのため見所三点の内で最も“余興らしい”振る舞いをしているのは、皮肉にも、彼であった。
 二つは『王女ティディア』である。
 開始以降、ティディアはずっと一対一の戦いを繰り返していた。背中からの斬りかかりが許可されていても、“王女”にそうするのはどうしても憚られているのだ。それに並行して、参加者の胸の内では『王女に勝つ』ことよりも『王女と剣を交える栄誉』への欲求が勝っていた。混戦の最中にあっても彼女に挑む人間は名乗りを上げて『礼』をする。ティディアはその度ににこやかに――ニトロは彼女を一瞥した際に「ひどく退屈そうだな」と感じ取ったが――笑顔で応じ、華麗な剣の腕を以て既に五人を仕留めていた。剣に覚えのある人間には相応の技で、全く剣に触れたことのない人間には優しく指導をしてやるように。これまでの彼女のどの戦いも実に平和的で、王女の気品に溢れた戦いぶりは感嘆と賛辞を呼んでいた。
 そして三つは、そう、グラム・バードンと伏兵フルセルの一騎打ちである。
 既に五分を超える一騎打ちは、場内のどの戦いよりも激しく、時に激しい剣戟の音が鳴るというのに妙に静かで、それ故に、異質であった。『余興』には相応しくない――否、『余興』に相応しいなどと言っては非礼となる本物の戦いがそこにあった。
 グラム・バードンは、基本的に上段からの打ち下ろしを多用していた。もちろん横薙ぎや突きも使うが、七割は恵まれた大きな体躯を活かして剣を振り下ろす。そのワンアクションはただ見ているだけの人間にも恐怖を与えるほどの迫力に溢れ、恐ろしく速く、素人目にも彼がただの力押しであるとしても決して手を抜いているわけではないことが理解できる。とはいえ、無論グラム・バードンは決して腕力に頼っているわけではなかった。公爵は常に非常に繊細で高度な技術を駆使していた。その技術とは足の運び方、天才的な距離感による間合いの調整、剣を振り下ろす際にも相手に対してどの角度から切り込むかを随時計算し、それを以て敵に後手を踏ませ、その上で己の体軸を敵の剣筋には決して重ねず常に優位な位置を取り続ける“制圧力”であった。それ故に彼の敵は、例え公爵へ攻め込んでいたとしても、攻めているはずなのにいつの間にか彼に攻め込まれて追い詰められてしまう。これこそが公爵の天才たる真価であり、年に一度開かれる軍の剣術大会において十連覇の記録を打ち立てた(以降は参加を自粛した)礎であり、そして彼が訓練を施した何千の教え子の中でたった数人しか受け継ぐことのできなかった秘技であった。
 しかし、フルセルは、その才と熟練に裏打ちされた天才剣士に堂々と拮抗していた。彼の武器もまた、練達の技であった。美しい正統派宮廷剣術。公爵のパワフルな打ち込みを柔らかく受け、いなし、避けてはカウンターを見舞う。特にいなしの技術は老練の極みにあり、ため息が出るほどに素晴らしい。彼はニトロがシァズ・メイロンに見せたせんの技も披露してみせた。これは公爵がさらに見事に受け返して見せたのだが、その時はロザ宮が歓声に揺れたものだった。そして剣のみならず、公爵の制圧力をもフルセルの洗練された足捌きは巧みにいなし続けていた。敵を追い詰め返すことはできずとも、彼は決して王女の剣の師に優位を支配させない。自ら攻撃をすることは少ないものの、的確に己の確固たる足場からカウンターを仕掛け続けることで公爵に伍する。
 公爵が轟然と打ち込んでくる連撃を防ぎながら、フルセルは左に右に常に動き、公爵に的を絞らせない。その最中も、フルセルは公爵が右手に剣を持つこちらの正面からわずかに左にずれこみながら(つまりこちらの剣からは遠ざかりながら)足の指一本分接近してくることを(つまりわずかな距離の操作で公爵の次の攻撃が最大限有効に働く位置に近づいてくることを)、これまでの右片手持ちのビィオの構えから、両手持ちのヴォンの構えに移行することで邪魔をする
 しかしグラム・バードンは老剣士の構えが変わる直前、剣をしならせるように小さく振り下ろしていた。
 ――構えが変われば、様々な“要素”も変わるものだ。例えば半身に構えるビィオに比べてヴォンの構えは胴が敵の正面に向く。当然、隠れていたもう片方の腕も正面に出る。それからもう一つ大きく変わることに、蜂では手首と肩の高さが同じ位置になるよう構えるのに対し、熊では鳩尾の前に手首が並ぶという点があった。
 公爵の剣は、老剣士が構えを変えることを予め解っていたかのように振り下ろされていた、そう、剣はフルセルの位置を下げた右手首をめがけていたのである。それは、まるでフルセルが自ら公爵が振り下ろした剣の先に右手首を置いたようにも見えるほどであった。
 そして公爵の剣が老剣士の手首を捉えようとした時、ふいに老剣士の右手が、消えた。
 フルセルも公爵の攻撃を予め知っていたかのように右手を剣から離していたのだ。
 そうして老剣士は左片手で持った剣を撫で斬るように振り下ろす。
 公爵の小手狙いに対し、カウンターの小手技であった。
 タイミング的に避けられるものではない。
 ならばと公爵は避けるのをやめた。手首を返すことで剣の十字鍔の位置を整え、老剣士の剣を見事に受ける。
 ガチン、と硬い音が鳴った、直後、ギャリと鉄の擦れ合う不気味な音が鳴った。
 フルセルの剣を鍔で受けた公爵が、フルセルの剣を鍔に載せたまま突きを放ったのだ。
 腕力は明らかに公爵が上回っている。
 老剣士の片腕では己の額に向かってくる公爵の突きをそらすこともできないであろう。
 だが、フルセルはその時には離していた右手を柄に戻していた。突きを避けるために腰を落としながら剣を操作する。すると、公爵の剣の鍔に載っていた老剣士の剣は、逆に公爵の剣を腹の上に載せる形となっていた。
 シャリン、と、高く澄んだ音がした。
 公爵の剣は受け流された。その切っ先は老剣士の喉ではなく、天を突き上げていた。
 片腕を高く掲げたまま、公爵のグレーの瞳は心底愉快気に老剣士を見つめていた。と、フルセルが間、髪いれず足首を狙って剣を払う。公爵は狙われた足を引くことで攻撃を避けるや天に向けられていた剣を袈裟斬りに振り下ろした。フルセルは身をよじってその剣をかわし、再度公爵が取ろうとしていた“有利な角度”を潰すために小さくフェイントを入れながら体勢を整える。
 そこで公爵は一歩後退した。
 フルセルも、一歩後退する。
 動きを止めたグラム・バードンは口元に笑みを浮かべていた。
 肩を大きく上下させるフルセルもまた目尻を緩めていた。
 誰かの深く息を吐く音が、聞こえた。
 公爵と老人の動きが止まった時、引きずられるように観客の声も止み、そこだけ穴が開いたかのようにホールは静寂に包まれていた。
 両剣士による一騎打ちは、今や“次期君主夫妻の活躍”を脇において最も注目を集めている。
 ここにきてフルセルがグラム・バードンと同じ達人であると認めることに誰の異論のあるはずもない。ロザ宮ホールで一番にニトロ・ポルカトから声をかけられた民間人がこれほどの人間であったとは……動きを止めた二人に、いくら驚いても驚き足りないとばかりの驚愕と、感嘆に満ちたため息が次々と送られる。やがてため息が声となり、声援が飛んだ。その声を受けるのは圧倒的にフルセルが多かった。目に見えて体力を消耗している老剣士への応援が、ホールを揺らしていた。
 だが、声援の大きさとは裏腹に、決着が近いことは誰の目にも明らかであった。

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