王女の号令に、一斉に剣が引き抜かれた。
 ニトロも剣を抜きながら、胸に湧いた確信のためにさらに頬を引きつらせていた。それはもはや笑みの形となるほどに。
 そうだ、この余興の形式は、プロレスのバトルロイヤルと非常に良く似ている。
 そのバトルロイヤルにおいては、“強豪”あるいは“注目株”が最も狙われやすいものである。
 さて、それでは『ニトロ・ポルカト』はどうだろうか。……自分は『劣り姫の変』にて“複数のミリュウ”との決闘に勝った。この点では“強豪”に当てはまる。“注目株”に関しては言わずもがなであろう。
(まずいだろ、これは)
 このまま何の策もなく『開始』の合図を聞けば、開始と同時に完全に囲まれてしまう。シァズ・メイロンは即座に切り込んでくるだろう。彼は既に血相を変えている。何だかもうあまりに怒った人がそうなるように青褪めている。彼は、間違いなく、絶対的・確定的・物理法則的に『一方的恋敵』へと切り込んでくるだろう! それを思えば、囲まれるだけならまだいいのかもしれない。伯爵の突撃を合図に周囲の皆様お揃いで一斉にかかって来られては、正直、非っ常にまずい。プロレスのバトルロイヤルにおいても、そうなったらどんな強豪も袋叩きの末に敗北を喫してしまう!
(――どうする?)
 ニトロが策略を練る間は、なかった。『師匠』の救援は期待できるが、それにしても遠い位置にいる彼が駆けつけてくれるまでの時間を生き延びねばならない。だとしても、そもそも周囲の人間の実力が把握できていないため、周囲の誰を“脆弱性”として時間稼ぎの糸口に、あるいは突破口にすればいいかということすら見定めることができない。とりあえずこちらから見てシァズ・メイロンの右手にいる肥満体質の男性は押しのけるのが難しい(一方動きは鈍そうだ)、背後のひょろりと背の高い青年はリーチ差が怖いので下手に近づかないようにしておこう(一方剣の握りが甘いので剣術経験はないようだ)――その程度までしか判断できない。
 ティディアが剣を掲げる。その姿は見る者の目にまざまざと伝説の『覇王姫』を再臨させ、観客のみならず参加者からも感嘆の声が上がっている。
「構えよ!」
 開始が迫る。
 ニトロは必死に考えた。
 バトルロイヤルの必勝法などはないが、少なくとも指摘できるのは、できるだけ戦いに参加しないことが最善である。
 では、その状況に自らを持っていくには!?
(無理だよねえ!)
 ニトロは内心泣きたい気分だった。
 俺は完璧狙われている。できるだけ戦いに参加しない……などとはこの余興を勝ち抜くことよりも難しい、何故なら――って、ああもうまだ開始の声もないのにジリっと近づくなシァズ・メイロン!――俺は狙われ続ける『美味しい獲物』だもの!
 他方、ニトロの焦燥など知らぬとばかりにティディアは雄々しく叫ぶ。
「勇敢にあれ! 貴様らの命は屈辱を掃い栄光を掴むためにある!」
『覇王姫』の伝説を元にした劇のセリフを引用する王女に応じ、参加者らが雄々しい声を上げる。伝説と劇が備えるイメージに引きずられ、この『余興』もその伝説あるいは劇の一部のように錯覚されて、早くも大いに盛り上がっていく。観客に徹する紳士のみならず婦人までもが剣の放つ輝きに色めき立つ。
「いざ、勝負!」
 ティディアが叫ぶや、楽団のパーカニッショニストが大きく太鼓を鳴らした。
 直後、開戦の音を打ち消すほどの声がホールを揺らした。
 グラム・バードンが、他にも数十人の男達がこの『戦い』を主君に捧げるべく――そう、まさに伝説の通りに!――王女の名を叫び讃えたのである。次いで自然と沸き起こった雄叫びに、その勇壮で生命力に溢れた響きに、戦う者も、戦いを観る者も、“戦い”だけが生む熱を胸に喚起されて一気に心を奮わせた。
 そして――
「わーお!」
 ニトロは雄叫びとは別に叫んでいた。
 解ってはいたけど叫ばずにはいられない、そんなこともあるものだ。
 やっぱりこちらに向かって脇目も振らず、シァズ・メイロンが目を血走らせてえらい勢いで向かってくる! さらにはやっぱり周囲の他五人もこの機を逃さんとばかりに襲いかかってくる! さらに外? 今は見えないことにする! そりゃ、あのバカの釘刺しがあった以上『ニトロ・ポルカト』を仕留めりゃ注目の的、余興の花ともなろうけどちょいと勘弁してください先輩方! 年上の余裕をさ、もっとこう、もっとこう……!
 ――が、内心では慌てながらも、しかしニトロは自然と体を動かしていた。内心で慌てながらも、いざ開始となれば自然と覚悟は定まり、どこを突破口とするかも彼は見定めたのであった。
 シァズ・メイロンは右足を前に出して半身に構え、右手に剣を持ち、左手を相手から隠すように腰に当て、横に開いた体をサイドステップの要領で前進させてきていた。宮廷剣術において古語を元にビィオと呼ばれる、片手で剣を扱う時のオーソドックススタイル、そのお手本のような足捌きである。
 ただ、そのステップは通常より一歩が非常に大きかった。仇敵へ向かおうとする意識の強さと、憎き恋敵を最大限派手に打ちのめそうという激情がそうさせていたのだ。
 外から見て、シァズ・メイロンの動きは早く、また大振りながらも洗練された剣士の迫力があった。全身に気が漲り、それは殺意と断言してもいいだろう、大上段に振り上げた剣を受けてはいかに冑があろうと少年の頭は割られてしまう――そういう恐れが皆の胸に去来する。なのに、一方のニトロはまだ満足に構えも取れていない。
 どよめきが起こった。
 早くも優勝候補の脱落が予感され、悲鳴じみた声を上げる婦人もいた。
 それなのに、ニトロは緩慢に一歩、あろうことかシァズ・メイロンに向けて踏み出した。
 どよめきの語尾は驚愕に染まった。
 その瞬間、誰よりも驚いていたのはシァズ・メイロンであった。
 彼は真っ直ぐに敵を見つめていた。仇敵ニトロも、真っ直ぐに彼を見つめていた。無造作に。……無造作に
 いかに刃引きがされているとはいえ金属製の剣を用いた戦いである。いかに安全面が考慮されているとはいえ外見的にはまるきり『真剣』なのである。
 人の心は、それが剣よりも殺傷力に乏しい木の棒であっても目の前に突きつけられれば恐怖を覚えるものだ。武器に打たれる痛みを想像し、それに近づくことを躊躇する。それを持って迫られれば恐怖と嫌悪を以って退避する。
 木の棒であってもそうなのに、されど、シァズ・メイロンは剣を眼前にするニトロ・ポルカトの瞳のどこにも躊躇や恐怖や嫌悪を一片足りとて見出せなかった。
 それどころか、今にも振り下ろされんという剣を前に一歩踏み込んできた成人前の少年の足にはまるで散歩に出かける一歩目といった風情まである!
 シァズ・メイロンは、ぎょっとした。
 散歩に出かけた少年の瞳の奥に、敵意も殺意もない落ち着いたその瞳の奥に、何か恐ろしく凝縮した意志があることに気がつき、ぎょっとしたのである。
 ニトロからすれば、確かに剣を振り回しあうということは恐怖を生む行為であったし、周囲でようやく『剣を持って相対する』という現実に気づいた気軽な参加者が生む躊躇の顔へ同意を示すところである。
 だが、ニトロは思うのだ。
 果たしてシァズ・メイロンの振るう剣は、自らも手にするこの剣で受け止めてなお殺されるような凶器なのだろうか?
 ニトロの脳裏には、巨大な戦斧を振り回す女獣人の姿があった。その攻撃を剣で受けようものなら剣ごと胴を真っ二つにされるであろう恐怖に比べて、この安全な余興はやはりどこまで行っても『余興』に過ぎない。例えばあの『女神像』との戦いに比べれば、例えば『赤と青の魔女』に襲われたことに比べれば――傲慢にも言い切ろう! 児戯である!
 それに、シァズ・メイロン。
 確かに彼の動きは素晴らしい。
 けれど、少しでも隙を見せたら止めてと言ってもタコ殴りにされる(場合によっては練習と解っていても死を予感させられる)『訓練』を数限りなく繰り返してきた人間に対するには少々油断が過ぎるのではなかろうか。
 もちろん、もし彼が血気に逸って大振りな攻撃をしてこなかったら、自分は勝てたかどうか解らない。
 ――そう、勝てたかどうか解らない
 ぎょっとしていたシァズ・メイロンは突進の勢いのままに剣をニトロの脳天に向けて振り下ろし――全てはもう止められない!――ゾッと震えた。
 シァズ・メイロンがニトロの瞳に見たものは、勝利への意志であった。その眼底には凄みがある。それはシァズ・メイロンの知らぬ凄みであった。それは、実際に命に関わる危険を潜り抜けてきた人間が、ここ一番で勝利を絶対にするために押し固めた何よりも強靭な確信であった。
 シァズ・メイロンの動揺は剣筋にも表れた。
 ほんのわずかなブレであったが、それが“致命傷”となった。
 先手を取ったシァズ・メイロンの優位が完全に消え、ニトロの後手が追いつく。
 追いつき、追い越す。
 後の先。
 自然と――あまりに自然であるため最速となった動作でニトロが(戦闘プログラムによって何千回も刷り込まれた動作に従い)剣を差し上げ、シァズ・メイロンの剣の腹に軽く当てる。そのタイミングは絶妙であり、シァズ・メイロンの剣はニトロから見て左に少しだけずれた。
 刹那、ニトロは半歩右にずれながら前進する。と同時に彼は剣を持つ手首を返すやシァズ・メイロンの胴をすり抜けざまに、払う!
 剣を振り抜いたニトロの横を、勢い余ったシァズ・メイロンがたたらを踏むようにして通り過ぎていく。そして彼はニトロを取り囲もうとしていた背の高い青年とぶつかって、二人絡まるように派手に転んだ。
 歓声が上がった。
 周囲にいる『敵』を警戒して剣を構え直すニトロ・ポルカト。
 立ち上がることもできず、呆気に取られたように彼を振り返るシァズ・メイロン。
 盲目的に熱烈な『ティディア・マニア』で知られる伯爵のプロテクターの胴部には、鮮やかに、赤い火が灯っていた。

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