「ルールは簡単。体のどこかに――どこでもいいわ、有効打として剣が触れて赤い“火”を灯された者は敗北よ」
 ティディアの声を聞きながら、ニトロの意識は別にあった。
 ここにきて、最後に、ハラキリの参戦への驚きのために中断させられていたシミュレーションを再開していたのである。
 彼はプロレスの様々な試合形式の中で結末の見えないバトルロイヤルが一番好きだった。だから、バトルロイヤルにおけるプレイヤー同士の心理の働きは、類型としてよく見知っていた。
「それから場外に三秒以上出た者も敗北。押し出されても駄目よ。タイムアウト前に戻ってくるのはセーフ。場外負けが認められたら全身が真っ赤に燃えちゃうから気をつけてね?」
 王女の不気味な比喩に笑い声が上がる中、“戦場”を示すように、先ほど参加者に仕えていた従僕アンドロイド達が場を囲みこんでいた。それらの指先と指先が青い光線でつながれ、すると“場内”と“場外”が目に見える形ではっきりと区切られた。
 ニトロにはその青い光線がまさにプロレスのロープに見えた。彼の理解で解釈すれば、このルールはつまり古典的な『オーバー・ザ・トップロープ』だ。三秒以上がトップロープを越えて場外に落とされることを示し、三秒未満はロープをくぐる形で落とされることを示す。後者は一種の抜け穴じみた面もあり、つまり、一度場外に逃げてすぐに戻って虚を突く、という戦法もありだということだ。もちろん鍔迫り合い等に持ちこみ、ピンフォールよろしく相手を三秒押し出すのもありだろう。
「それから……騎士道では背中から斬りかかることは卑怯とされているわね。けれど、注意なさい。実戦においては、背中から斬りかかることは卑怯ではない。むしろ背中を斬られる未熟こそ恥よ」
 ニトロは元より『騎士道』を規範とする人間ではない。こと戦いとなれば『師匠』の教えが規範であり、その規範は、一般常識からすれば正直えぐい。目潰し上等、金的上等、というかむしろそこをこそ狙え。『劣り姫の変』における霊廟でのミリュウとの戦いも、正式な決闘作法からすれば――例えば足を踏みつけるなど――悪徳の方面に外れている。
 ティディアの指摘に対してニトロが平然とする一方、参加者中に多数いる貴族男子は明らかに戸惑いを見せていた。
 彼らが嗜みとして習うのはもちろん正規の宮廷剣術の流れを汲むもので、当然のように一対一の決闘を前提としている。さらに長い平和な世の中で、いかに『騎士精神』に則るかという儀礼的要素が強くなって発展したものだ。王女の言葉が例え戦場における道理であったとしても彼らが戸惑うことに無理はなく、その意味で言えば、貴族以外の参加者、中でも特に多数派である“剣術を習った覚えのない人間”の方が柔軟に対応できるだろう。
 ――しかし、既に賽は投げられている。
 それに、皆同じ条件下にあるのだから、この状況に対応できないという姿を見せる方が見栄えも悪い。格別厳しい監査の目を持つ王女を前にしていることも勘案すれば、対応できない人間であると示してしまうことこそ避けるべきであろう。
「まあ余興なんだから堅苦しくなくいきましょう。ていうか、むしろ卑怯な手も歓迎よ? こずるい手で面白おかしくしてくれたら私は泣いちゃうくらいに喜んじゃう。だって、楽しいじゃない? そういうものこそ『余興』に相応しいわ」
 王女の、実に彼女らしい言葉に皆がうなずく。そうやって皆がルールを完全に納得していく、その最中、王女の目などどうでもいいニトロは周囲の人間を素早く観察していた。あいつは『余興』と言うが、こちらはここにこそ人生が懸かっている。必死である。できれば最善かつ安全なルートを辿って結末まで駆け抜けたい。
 それなのに、いきなり悪いことがあった。
(……ほんとに、パティは贔屓をしてないんだねぇ)
 しみじみ、ニトロは思う。
 しみじみ思う彼の頬は、今、いや、ずっと前から強烈な敵意をびんびんに感じていた。
 ずっと前から……ここに来たその時からずっと、下手に挑発してしまわないよう努めて直接見ないようにしていたのだが……彼はかぶとの下はスキンヘッドの伯爵様に、歓喜と憤怒がブレンドされた凄まじい笑顔に歓迎されていたのである。
 クルーレン・シァズ・メイロン。
 芍薬が『招待客ノ中デ一番ノ“マニア”。狂信的』と注意してくれていた相手がすぐ横、それもティディアに向かおうとすれば壁になる位置にいた。もし監督パトネトが手心を加えてくれたのなら絶対にいるはずのない強敵がそこにいたのだ。
 さらに――もう慣れっこだが――悪いことは重なるもので、加えてアンセニオン・レッカードが、芍薬が『同ジク逆恨ミ注意』と言っていた相手が二つ先の右下角にいるのを先ほど見つけた。
 そう、芍薬がブラック・リストに載せていた筆頭二人がご近所さんである! これでもしパティが手心を加えたというのなら、あの子は実は俺のことを嫌っているのだろう。
 そして、これも慣れっこというか、泣きっ面に蜂であるのだが、そのブラック・リストな二人だけでなく、他の周囲の人間までもが『次代の王』に手合せを所望する気配満々であるらしい。シァズ・メイロンを含めて“隣”である六人のみならず、その周りも含めれば十数人が早くもこちらに熱視線を送ってきている。いやはや、こんなにもモテモテでは困ってしまう。これじゃ身が持たないよコンチクショウ。
(本当に、コンチクショウ)
 ニトロは、自然と頬が引きつっていくことを止められないでいた。
 そうと思えば、一番初めに思い至るべきことであった。
 ここに来て嫌な予感がする。
 というか。
 予感ではなく確信する。
「あ、言い忘れていたわ。相手が私だから、ニトロ・ポルカトだからと手を抜くなんてしては駄目よ。それは、この余興に対する侮辱と知りなさい。むしろ私は私を倒した者、ニトロを倒した者を尊敬するわ」
「いらんこと言うなっ!」
 ニトロは思わず叫んだ。
 それは合いの手と受け取られ、参加者の一部と観客から大きな笑い声が上がった。
 ティディアは、ここで初めてニトロを見つめた。彼女の眼差しは彼への激励を示していた。同時に、信頼を重ねていた。『あなたも勝ち抜きなさい』――『あなたなら勝ち抜けるでしょう?』――彼女は、愛しげに微笑む。それは愛しげながら非常に真剣な微笑みであり、それ故、場の空気が余興に和みながら勝負事に対しても引き締まる。特にシァズ・メイロンの形相が引き締まる。
(ッお前、解ってやってるだろう!?)
 ニトロは怒りを込めてティディアを睨んだ。
 彼の眼差しにティディアは目を細め、それからふいと目をそらすと、ぐるりと周囲を見回した。
「さあ、準備はいいわね?」
 冑を被りながらティディアが言う。
 おう、と、勇ましい声が合唱される。
「抜剣!」

→3-d06へ
←3-d04へ

メニューへ