ニトロの感嘆は何度でも何一つ嘘偽りなく、常に本心からの賛辞であった。
 それを浴びたパトネトはこの上なく嬉しそうに笑い――何度もの喜びのために現在進行形でニトロに隠し事をしていることを彼は本気で忘れ――頬をこれまでで一番赤くして双眸を輝かせる。
「ニトロ君」
 喜びに彩られた声でパトネトは言う。
「ヒイキはできないけど、応援してるからね」
 ニトロはアンドロイドを――その向こうにいるパトネトを見た。彼が『頑張ろうね』と言っていたことを思い出し、そして今、姉も参加するこの余興においてなお彼が応援してくれることの意味を思い、ニトロは笑った。
 ニトロが準備を整えている内に、最後の参加者であるハラキリもティディアから剣を賜っていた。ハラキリは跪き、王女からの下賜の栄光に預かっていたのであるが、もしニトロがその光景を見ていたら、両者にあるものは『ごっこ遊び』の趣だけだということを見取っていただろう。そして、その遊びの中にも、ハラキリがどうして参加を決めたのか、どういう意図で参加することになったのかを確認したい姉姫と、それを飄々とかわす親友の姿をも見ただろう。
 しかし、今となっては、そのハラキリも準備を手早く済ませている。
 後はティディアの“司会進行”を待つばかりであった。
 ニトロに説明をし終えたパトネト=アンドロイドはもう一度「頑張ってね」と言い残し、去っていった。本番が始まれば彼は多忙極まる。ニトロは彼に激励の言葉をかけ、それにパトネトは「頑張る」と笑顔で答えていた。
 そして、ニトロの上着を預かった芍薬も、マスターに何かを言おうとし……いや、主様とあたしの間に言葉は必要ない。ただ、眼差しだけを残して芍薬は去っていった。
 残されたニトロは剣を収め、不思議と近寄ってこないハラキリを遠くに眺めながらストレッチをし、その時を待った。
 と、前触れもなく例の壇上の扉が開いた。そこからパトネトが再登場し、王子を迎える大きな拍手が鳴り響く。王子は近衛兵の服を着た三体のアンドロイドを従えていて、その内二体が壇の入り口に陣取り、最後に豪奢な椅子を持って現れた一体(フレアだ)が彼の傍に控えた。
 パトネトは拍手にも注目にも顔を上げることなく、椅子に座ると即座にフレアに目配せをし、眼前に宙映画面エア・モニターをいくつも開いた。
 そこで、皆は準備が全て整ったことを悟った。
 とうとう『その時』がやってきたのである。
 ティディアが、高らかに言った。
「この剣と鎧には驚いてもらえたかしら? どちらも私の自慢の弟、パトネトの手のかかるもの。彼の設計を元に王立汎科学技術研究所と『クロムン&シーザーズ金属加工研究所』が共同開発した、あの人工霊銀A.ミスリルを用いた新素材を活用したものよ」
 大きな歓声が上がった。これも大きなサプライズだった。アデムメデスが主幹として関わり、将来的に大きな利益を出すことが見えている栄光の技術。それが早くも実用化に向けて動き出していることが今、ほぼ製品として成り立つ完成度で披露されたのだ。万雷の拍手が、壇上に座す幼き天才と、余興には参加せずシャンパングラスを妻と傾けていたクロムン&シーザーズ金属加工研究所の代表取締役とを包み込んだ。
「この素晴らしい発明に対し、パティとモーゼイ代表へこの場を借りてお礼を言うわ。今後の発展にも大いに期待している。貴方達はきっと後世へ素晴らしい財産を残してくれるでしょう」
 ティディアの賞賛がさらに歓声を呼んだ。
 恐縮して頭を何度も下げる代表取締役に、初老の子爵が朗らかに声をかけている。その周囲には政治家や貴族、それ以上に投資に励む資産家が多く見えた。
 ニトロは、それを傍目にパトネトへ向けて拍手をしていた。
 これまで宙映画面エア・モニターに目を落としていたパトネトが、広間を震わせて止まない拍手の中で恐る恐る顔を上げ、ティディアを見、それからニトロを見る。
 ニトロが微笑んでいることを見た彼も微笑み、小さく手を振った。
 もちろん、それはニトロただ一人に向けられたコミュニケーションであったが、彼と王子の間には距離がある。近場の者ならまだしも遠目には王子が皆に手を振ったように見え、そのため拍手と歓声の音が増した。万歳の声。彼を讃える声。それにびっくりした王子が顔を伏せたところで、
「さて、それでは始めましょうか」
 先ほどもそうだったが、万雷の拍手の中にあってティディアの声は不思議とよく通った。歓声が止み、拍手が静かに収まっていく。と、パトネトの上空に大きなエア・モニターが表示された。
「そうね……じゃあ、シーラ・チュニック・チュニジア!」
 突然名指しされた――文豪チュニフ・チュニック・チュニジアの子孫である婦人が驚きの声を上げる。
「1から10の内、一つ番号を挙げなさい!」
 ティディアの命令に、チュニック・チュニジアは反射的に5と答えた。すると大エア・モニターにホールの間取り図が表示され、ホール中央を舞台として、縦に8つ、横に9つと等間隔に並べられた点が追記される。ティディアを加えて73人になるため、中央の縦列にだけ調整用の9つ目の点があった。それぞれの点は格子状に並んでいるのではなく、斜め格子――偶数列と奇数列は互いに点同士の半分の距離をずらして配置されている。それぞれの点を隣り合う点と線で結べばそこに無数の正三角形が描き出される位置関係である。そのため直近の“隣”となる相手は、自分を中心点とした正六角形の頂点に並ぶ六人であった。まさに乱戦である。
 皆がそのまま大モニターを見ていると、画面の隅に『組み合わせ:5』と表示が入り、直後、点の一つ一つに不規則に番号が付記されていった。と同時に、あの宙に浮かんだ時計から光線が放たれ、大モニターの表示に対応して、参加者それぞれのスタート地点がレーザーポイントされていく。
「胸に参加番号があるわ」
 ティディアの言葉に従いニトロが目を落とすと、プロテクターの胸部に67と浮かんでいた。王女の言葉に併せてそれを見れば参加者は全てを理解する。大モニターに表示された番号と照らし合わせ、命じられるまでもなく、参加者達はホールにポイントされた己の地点に身を置いていく。
 そこかしこで参加者へ連れ添いや知人友人から激励の声が上がっていた。
 ニトロには、彼の『ファン』からの声援が飛んできていた。
 彼ははにかみながら応えつつ定位置に移動し、そして即座にハラキリの位置と、何より自分と手合わせをしたいと言っていた強敵――正直勝てるとは思えない相手、グラム・バードンの位置を確認した。
 ……両者共に、遠い。
 自分はパトネトのいる壇を上にして、右から二列目・下から三番目にいるが、ハラキリは右側大外の最上隅――羨ましいことに直近の敵の少ない『角』であり、グラム・バードンは左側大外の中央である。
 実力者がそれなりに地理的有利を得るのは、ちょっとずるい。
 それから、ティディアは――
「おお」
 と、皆が声を上げた。
 どうやら彼女がそこに立つことは初めから決定されていたらしい。どこかしら女性的で気品のある白いかぶとを脇に抱えた王女は、何と自ら最も地理的不利にある“ど真ん中”に進み出ていた。いくら何でも無謀・蛮勇に思えるが、いいや、それでこそ『クレイジー・プリンセス』であると喝采が沸き起こる。
 ニトロは喝采に手を振り応える宿敵から目をそらし、交点同士、直近の“てき”との距離を測った。目測のため危ういが、およそ4mだろうか。混戦ということで、一般的な『決闘様式の試合』の開始線の位置より少し余裕を持っているらしい。が、それぞれ互いに進み出れば二・三歩程で切り結べる位置だ。ニトロからティディアまでは二人挟み、つまりその距離は12m。駆け抜ければ近いが、二人の剣士を向こうにして臨むとやけに遠く感じられる距離であった。
 にわかに盛り上がりを見せるホールに、ティディアの声が響き渡る。

→3-d05へ
←3-d03へ

メニューへ