「ニトロ君」
その小さな呼び声に――近くに人がいたのに気がつかなかったのは指向性音声であるためらしい――ニトロは表情を緩めた。
装備品の説明のために一人に一体(必要であれば給仕から加わって二体)付くアンドロイドは、皆同じ姿をしている。『覇王姫』の時代の綿の服に中性的な顔立ち。背はニトロより10cmほど低く、体格的には未熟な少年といったところだ。
機械的に表情は豊かに作れないようになっているようだが、しかし、ニトロはこちらを見上げてくる人形の向こうに満面の笑みを見た。
「今、何をしているの?」
名は呼ばず、それだけを聞く。するとアンドロイドの片目にパトネトの笑顔が映り込んだ。
「監督をしているよ」
無表情に近いアンドロイドの声は自慢気であり、片目に映るパトネトはニトロに対してそう言えることが誇らしいように頬を赤らめている。
ニトロは、その一言でこのアンドロイド群、それだけでなくこれから行われようとしている『余興』のシステムをパトネトが統括しているのだと悟った。その悟りは重要な仕事をしている王子への賛嘆をニトロの顔に表し、それを見たパトネトがアンドロイドの瞳の中で身じろぎをする。とても嬉しいらしく、そのために王子は幼さを出してニトロをまごつかせていた。アンドロイドの手にあるプロテクターを着たくてもなかなか渡されず、また、今着ている燕尾服もどうしたものかとニトロは困惑していたのである。
そこに、たまたま通りかかった給仕アンドロイドが、ニトロ達には手が足りないと見てやってきた。その目元にホクロはない。赤と青の双子月のごとく、オッドアイの女性型アンドロイドだった。
「オ預カリシマショウ」
が、ニトロに聞こえたその声は芍薬のものであった。同じ機体ばかりがニトロに近づけば、そこに何かがあると鋭い者には感づかれよう。そのため機体を乗り換えてやって来たのだ。
芍薬はちょうど空であったトレイを脇に挟み、微笑みながらジャケットを脱ぐニトロの手伝いをする。
その様子を、従僕アンドロイドの瞳に映るパトネトは不機嫌そうに眺めていた。彼の不機嫌はニトロと芍薬のやり取りに対するものではない。それは自分がニトロの困惑に気が付けなかったことへの憤りであった。するとパトネトの不機嫌を察したニトロは彼にも笑みを向け、手を差し出した。
「着せてくれる?」
パトネトは顔を輝かせた。ニトロ君に頼まれた! その顔はまざまざとそう語っていた。
ジャケットを脱いだニトロは次いでベストも脱ぎ蝶ネクタイも外していて、定型通りにシャツにサスペンダーとズボンという服装となっていた。そこにパトネトはビニール製の服に強化プラスチックの篭手や胸当てを貼り付けたような『
ひとまず全てを着終えたニトロは、パトネトの指示に従い、細かな部品が張り付けられたフードを被った。
パトネトがアンドロイドの機能を用いて、プロテクターを操作する。と、瞬時にビニール様の下地がニトロの体に吸着した。それと同時にバラバラであったフードの部品が寄せ集まって
「おお」
思わず、ニトロは感嘆の声を上げた。
パトネトが至極嬉しそうにまた頬を赤らめる。
ニトロは体を動かしてみた。ビニールのような下地はやはり合成樹脂であるらしいのだが、しかしどう体を動かしたところで特有の嫌な“衣擦れ”の音は聞こえてこない。さらに生地は体に吸着しているというのに、締め付けのために体の動きを阻害するようなところも一つとてなかった。動きに合わせて柔らかなゴムのように伸縮している。なのに、思いっきり体を捻って生地を伸ばしたところで、伸ばされた後には当然あるはずの縮まろうという抵抗は全く感じられない。
ニトロは改めて周囲を見渡した。この『鎧』を着たばかりの参加者はやはり己と同じく一様に感嘆の表情を浮かべていた。同時に篭手や肩当て、もちろん鎧の胴体部などプロテクターの位置も個々人に対し適切に配置され、何とプロテクターの大きさは着た人間の体に合わせてその場で調整されている。強化プラスチックのように思えたが、ニトロの知らぬ特殊な素材で出来ていることは間違いがなかった。奇妙な柔軟性まであって慣れぬ格好であるはずなのに支障の一つも感じられない。しばらくするとフード部分には“耳穴”も開いて、音が聞き取りやすくなる。動きにくいか? と危惧していた革靴の底にはスポーツシューズにも負けないグリップ力が備わり、どういう理屈か非常に運動しやすくもなっている。鞘もちゃんと腰に佩けるようになっていて、装備してみると安定性も抜群で邪魔にならない。
(……何となく、
一般的な既製品にも体形に合わせて吸着するとか、環境に応じて体を温めたり冷やしたりするなど特殊機能を持つ服は存在する。代表的なのはダイビングスーツや宇宙服で、以前パトネトと行った王都宇宙技術研究所付属資料館で試着した最新版もこの手のタイプであった。だが、その最新版も、ニトロからすればあの『戦闘服』には劣っていた。そして現在、ニトロは身に纏うこの服の着心地は、他のどの特殊服よりもあの『戦闘服』に最も近いものであろうと感じていた。
「これ……」
と、そこまで言ってニトロは周囲の注目を集めていることを思い出し、問いかけの目をパトネトに送った。が、それだけではパトネトは彼が何か言おうとしているのかまでは察せなかった。
「ハイ。パトネト様ノ手ニヨル物デス」
そこで代わりに答えたのは
ニトロはアンドロイド・パトネトへ再び賛嘆を寄せた。パトネトは姉からあの『戦闘服』の話を聞いて――もしくは過去の資料を研究して――それを参考にしたのだろうか。それとも独力で
純然たる驚きと感動を見せるニトロに対し、パトネトは嬉しそうにまた身じろぎをした。そして幼年の天才は言う。
「剣を」
言われるがまま、ニトロは剣を抜いた。参加者の煩いとならぬよう軽量化のために合成木材を用いているらしい、見た目は金属製のように優美な鞘の中からすらりと剣身が現れる。
剣は当然のように刃引きしてあった。しかし外観はまさしく“剣”そのものである。やや細身で全長は1mほど、ミリュウとの対決で用いたものを少し長くした形だ。それでも貴族が儀礼用に持つオーソドックスなタイプの長剣――という形は同じであり、区分で言えばハンド・アンド・ア・ハーフに収まるだろう。ミリュウの時と大きく違うのは重さで、本物の剣であった先のものよりずっと軽い。それでも片手でも両手でも扱いやすいよう重量と重心が工夫されていて、手応えはしっかりしている。柄に余計な飾りはなく、滑り止め防止の溝のみならず表面に特殊な加工でもされているのか非常に握りやすかった。鍔はシンプルに、握る手がしっかり守られる長さの十字鍔である。
「振ってみて?」
言われるがまま一振りしてみると――実に振りやすい。ヒュッと音を立てて空が切れる。近くにいる婦人が二人、何やらうっとりとため息を漏らしていた。
「床に突き当ててみて?」
再度言われるがまま、ニトロは剣を床に突き立てようとして、
「わ」
驚きのあまりに思わず彼は声を上げてしまった。
持っている時、振り抜いた時には硬い剣であったのに、床に突き当てた瞬間、その剣身がくにゃりと曲がったのだ。それは非常に抵抗が弱く、床に垂らした糸がたわんだ……そのような印象を抱くほどであった。
「……特定の方向には、曲がる?」
ニトロはパトネトに問うた。そういう性質が付与された素材はずっと以前から存在するものの、ここまで極端な物を見たのは初めてである。パトネトは、ニトロの理解の速さもまた嬉しそうにうなずく。
「だから、突きで怪我をさせる心配はないよ」
なるほど、と、ニトロもうなずいた。
プロテクターの隙間、最も守られていない面積が広いのは顔面であるが、確かにこれなら危険はなさそうだ。
それからニトロは硬いプロテクター部を剣の柄尻でコツコツ叩いてみるが、その程度の衝撃は肉体にまで全く伝わってこなかった。関節の、合成樹脂の生地がむき出しになった箇所でも驚くほど衝撃が吸収される。これなら剣で強打されても大した怪我はすまい。万が一大きな怪我をするとしたら、足やら手やらを挫いたとか、張り切りすぎてギックリ腰になったとか、そのようなものだろう。
「それから、ちょっと“刃”で篭手に触れてみて?」
ニトロは剣の刃で篭手に触れた。すると触れた部分に火のような赤い光が灯った。
「次に関節の、プロテクターのないところも」
刃を、つまりビニール様の生地に触れる。すると、やはり触れた部分に“火”が灯った。思えば、どこか格闘ゲームの演出にも似ている。
「今度は同じ事を“腹”でやってみて?」
同じ事をしてみるが、どちらも剣の腹が触れた際には反応しない。
ニトロは言われる前に刃先――つまり“突き”でも同じ事を試した。すると足の甲に当てられた剣自体はくにゃりとたわみながらも、刃先の触れた箇所には“火”が灯った。これで有効打のみに『鎧』が反応することが知れた。
「……凄い」