下手をすると退屈を呼んでしまう準備時間は、しかし退屈とは無縁に進んでいた。
 まず、王女による剣の下賜という、例え遊戯だとしても得がたい栄誉が人の心を引きつけていた。参加者の一人が栄誉にあずかる度、剣を賜る当人が、そして彼の付き添いや関係者が歓喜に震えている。王家広報のカメラマンも心得たもので、複数人で陣を張り、最高のポジションと角度でその光景を撮影し続けている。
 王女から剣を賜った参加者には大昔の従僕然としたアンドロイドが一体担当につき、特製のプロテクターを渡していた。アンドロイドの説明に従いプロテクターを身に纏った参加者は思い思いにストレッチをしたり、剣を素振りしたり、付き添いの人間や知己の貴婦人らと会話を交わしている。真剣味も人それぞれで、今から顔を強張らせている者もあれば、美しい婦人や令嬢の気を引こうとアピールに精を出している者もある。一方で婦人や令嬢の方でも、参加する男性の気を引こうと応援の言葉をかける者や、甲斐甲斐しく世話をしている者があった。
 それ以外の観客は、美味なる料理やドリンクを口に「誰これの活躍が期待される」だの「あの人が参加されるとは驚いた、年寄りの冷や水にならなければいいが」だのと楽しげにしている。不参加なれど多少剣に覚えのある老貴族がこの手の事柄には無知な婦人数人を相手に弁舌を振るっていて、「いかにニトロ・ポルカトが達者であってもやはり“決勝”はティディア王太子殿下とグラム・バードン公爵閣下の一騎打ちになるだろう」と断言する。すると、彼のご高説を耳にしていた壮年の政治家が「そうは言ってもニトロ・ポルカトに期待せざるを得ない」と割り込んでくる。さらにそこへ「我らの代表シァズ・メイロン伯があっと驚かせるだろう」と若い貴族が嘴を挟んできて、以降三人の紳士が熱っぽく、次第に意地を張って論をぶつけ合う様を婦人達は微笑とも冷笑ともつかぬ笑顔で眺め合っていた。
 何はともあれ、ほのかに熱気が昇り始め、実に余興らしい雰囲気であった。
 その周囲の変化を肌に感じながら、ニトロは、時折飛んでくる声援に向けて顔は朗らかにしながらも、内心ではずっと緊張していた。声援も、誰が声をかけてくれたのかまでは理解していない。今、老齢の男が王女の前で跪いているのは解るが、それが誰であるのかにまで頭を回す余裕もない。
 ……一か八かの、賭け。
 優勝できたら待ち望んだ『結末』を迎えられる絶好の機会。
 どうしても、それを得たい。
 それを得るために、ニトロは軽く肩を回しながら混戦下に起こりうる様々な状況を想定し、手首のストレッチをしながらシミュレーションを始め、とにもかくにも生き残るためにはどのような手が最善かと戦略を深めていく。ティディアに初めから向かうのは得策ではないだろう。背に腹は変えられない、いっそ協力を申し込むか? それは非常に有効な手であり、およそ最善とも思えるが……いいや! 『師匠』には「青いですねぇ」と苦笑いされそうだけどもそれはやっぱり癪に触るからナシだナシ!
 時折、すぐ後ろのグラム・バードン公爵が何度か話しかけてくるが、その度にニトロはどこか上の空で答え続ける。その様子を公爵は面白さ半分、不満半分で見つめていたが、それにもニトロは気づけなかった。
 あと十人ほどで、自分が剣をあのバカ姫から賜る。
 思えばそれも癪だった。
 いっそあいつを素通りして装備をもらっていこうか。パティもいないから、少しぐらいあのバカにきついことをしてやっても構わないだろう。そう思いさえする。思って、そして、そうしようとも思う。そうしようと思って、次第に決意を固める。
 ――と、その時だった。
 おお、と、妙な歓声が上がった。
 驚きと戸惑いと歓迎の混じったような声だった。
 流石に興味を引かれ、ニトロは歓声の対象が背後にあることを悟って振り返る。と、列の最後尾に、ハラキリが並ぼうとしていた。
 あの『映画』の『助演男優』にして『ニトロ・ポルカトの親友』――それと同時に『師匠』でもあるハラキリ・ジジの参戦のためにホールがまた興奮の度合いを増していた。さらには、受付終了後であっても彼が列に並べるのは、おそらく初めから王女ティディアが彼の指定席を開けていたのであろうことを示している。となれば、彼も王女の特別な期待を受ける人間ということだ。彼に向けられる目の色があからさまに変化していた。
 その中で、ニトロも、周囲がハラキリ・ジジを迎えた歓声と同じく、驚き、戸惑い、そして歓迎という感情を胸に抱いていた。
 だが、その三つの感情の内でどれが最も大きいかと言えば、ニトロには何より驚きが勝っていた。ハラキリは全く参加への意欲を持っていなかったし、そもそも『目立ちたがらない』彼がこんな余興に参加するとは思っていなかったため、ニトロは心底驚いてしまったのである。
「ほう」
 ニトロの耳をやたらと嬉しそうな声が叩いた。見れば、グラム・バードン公爵がニヤついていた。公爵の眼は獲物を前にした肉食獣の様相である。彼は先ほどニトロの背後に並んだ時にも「幸運にも早速手合わせの機会がやって参りましたな」と嬉しそうにしていたが、しかし、その時には、この野獣を思わせる眼はどこにも見られなかった。
(……)
 どうやらハラキリ・ジジは、この親衛隊隊長にとって、将来守るべき対象となるであろうニトロ・ポルカトとは別の意味で興味深い相手であるらしい。
(……まあ)
 とはいえ、ニトロは思う。
 グラム・バードンの意図は、よくよく理解ができる。
 自分とバカ姫の間に起こった数々のトラブルにおいて、ハラキリ・ジジの介入はいつだって大きな影響力を持っていた。それが特に顕著であったのが『映画』であるし、スライレンドでの『赤と青の魔女』の一件だ。むしろ、グラム・バードンが相手をしたいと思わぬ方がおかしいというものだろう。
(……けれど)
 ニトロに理解できないのは、むしろハラキリの意図であった。
 最後に見た時には何やら熱心にメニューを見て給仕と話しこんでいたのに、何故、彼は急に参加する気になったのか。
 ――いや、状況からだけ考えれば、彼は初めから参加することになっていたようだから、急に気まぐれに『参加する気になった』わけではないのだろう。
 だが、ニトロにはこの『初めからハラキリは参加することになっていた』という前提がどうにも納得できなかった。状況からは確かに彼の参加が前提とされていたのに違いないし、それは理屈で理解できるのだが、一方感情ではどうしてもうなずけないのである。
 初めから参加することになっていた?――であれば、彼はこの企画について何か知らされていたのか? ティディアはハラキリには前もってサプライズの詳細を語り協力を打診していたというのか、例えば「ニトロを参加させてね」等と。……いやいや、そんな様子はやはり見受けられなかった!
 では、何故だろう? ティディアを見る。すると、
(ッ?)
 ニトロが愕然とするほど驚いたことに、ティディアは剣の下賜を中断していた。彼女すらもが驚き、戸惑い、そしてハラキリを歓迎していた。が、その表情はすぐに消えてしまった。彼女の前で跪く相手に疑問を与える前に剣の下賜が再開される。
(……関知、していない?)
 ニトロは、呆然と考えた。
 ほんのわずかな時間に刻まれていたティディアの表情を瞼の裏にリフレインさせる。彼女が演技していた様子は――やはりない。皆無だ。あれは純粋に驚いていた。
 では、どうやってハラキリは?
 考えられるのは先ほどの給仕アンドロイドを介して、パトネトに……いや、それはない。パトネトはハラキリの頼みを聞きはしないだろう。それならば先に芍薬に頼み、芍薬を介することで“人数調整”をしていたか? その演出と突然の参加は、例えば友達ティディアのための贈物サプライズとして。
(……それとも、芍薬が頼み込んだのかな)
 自分が参加するまで、ハラキリには絶対に参加の意志はなかったはずだ。では、彼の参加への意思は、当然自分が列に並んだ後に芽生えたことになる。それではとニトロが自分の参加表明の後にあったことを省みれば、そうだ、大きな出来事としてグラム・バードン公爵の参加表明があった。その瞬間、自分は公爵を凄まじい障壁と感じたが、それは芍薬も同様だっただろう。ただでさえティディアが強烈無比な壁であるのに、加えて彼女の剣の師まで! それではあまりに不利、どうにか協力して欲しいと芍薬に頼み込まれて、ハラキリは……? だとしたら、俺のために?
(…………どれも合ってるようで、どれも間違ってる気がするな)
 ただ、肌感覚として悪いものは感じない。
 むしろ頼もしさばかりが募っている。
 それならそれで良しとしておいても良い気がする……が――と、あれこれ考えている間に、気がつけばニトロはティディアの眼前に進み出ていた。

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