「どういうことです?」
 咀嚼もそこそこにクラッカーを水で流しこみ、ハラキリが問う。ミリュウは自分とハラキリの間に宙映画面エア・モニターを開いた。それは酒欄リカーリストであった。開かれているのは中でも『説明を請いやすい』ワインのリストである。ハラキリが呼吸を読んでリストを覗き込むようにしたところで、ミリュウは言った。
「グラム・バードンは、おそらく『御成婚』を願います」
「……」
 ハラキリは、姿勢はそのままに再びニトロの背後に並ぶ大男を見た。老齢を感じさせない豪快な男――光学兵器全盛であるこの時世にあっても『暗殺では未だにナイフも使われている』ために平然と剣の達人となった忠臣は、何やら楽しげに参加者達を眺めている。
「アンセニオン・レッカードは『結婚』を、あるいはその足がかりとなる『環境』を願うでしょう」
 ハラキリは、ちょうどティディアから剣を下賜されている男へ目を移した。ティディアに対して『浮気騒動』にもならない下手な恋の駆け引きを仕掛けてきて、自爆というにも憚られるほど湿気た自爆をしてしまったレッカード財閥の三男坊。彼は、その失策のために財閥内での立場に少々ケチをつけてしまった。ここは捲土重来を狙っているだろう。
 それから――ハラキリが、ミリュウの後を引き継ぐ。口の中に留まるような喋り方で、
「クルーレン・シァズ・メイロンは間違いなく『結婚』を願いますかね」
 ミリュウは、うなずいた。
 剣を下賜される折には感涙を流していたスキンヘッドの貴族。熱烈な『ティディア・マニア』として知られる西大陸メイロン領の跡取りであり、ティディアが妹のために剃髪して以降、忠誠を示すようにスキンヘッドを貫いている男だ。先ほどティディアを迎える際に大声を張り上げていたのも彼を中心として集まった『マニア』の即席グループだった。話の流れで東大陸の伯爵が、自分と同じ伯爵の位にある他の男が“一番名乗り”となったことには――ハラキリは確認していたのだが――殺意と誤解されてもおかしくないほど顔を歪めて悔しさを堪えていた。それでも二番目に下賜の栄誉を受けた青年は既に準備万端となり、現在はニトロ・ポルカトへ向けて熱烈な視線を飛ばしている。
 ハラキリは、ロディアーナ宮殿料理長自慢のソースのかかったローストビーフを無作法にも指で挟んで齧りながら、言った。
「しかし、解りませんね。他の二人はともかく、グラム・バードン公の願いはそちらにとっては願ったり叶ったりではないのですか?」
 すると、ミリュウは首を小さく左右に振った。
「いいえ。決してそうではありません」
 齧り取ったローストビーフを飲み込んで、何気なくワインリストのページを繰りながら、ハラキリは問う。
「何故です?」
「正直に告白すれば、私はお姉様の味方です」
「それはまあ、そうでしょうねぇ」
「しかし、それは二人が決めなくてはならないことです」
 ハラキリは眉をひそめた。そのセリフには、一つひっかかることがある。
「では、もしお姉様が勝たれた際に『結婚』を望むのなら、それはいいと? 公爵の場合と結果は同じことであるのに」
「はい」
 思わぬ断言に、ハラキリはワインリストから眼前のアンドロイドへと目を移した。
「……それでも、本当によろしいのですか?」
「はい。公爵の場合と結果は同じであったとしても、こちらでは二人が決めることになりますから」
「なるほど、それこそが重要で、結果など二の次ですか」
「これだけが重要とは言いませんが、もしそれで成功したら嬉しく思います。しかし、もしそれで失敗したのなら、それはお姉様の責任です」
 ハラキリは、目を丸くした。
「……なるほど」
 驚きのあまりに、相槌を打つ裏でハラキリは笑い出しそうになっていた。
 よもや『伝説のティディア・マニア』からこんなセリフを聞く日が来ようとは!
 いや、そこらへんの割り切り方は姉譲り、それとも姉の教育の賜物と言えなくもないが、いいや、これは間違いなく彼女の変化だ。さらに彼女は何気なく『これだけが重要ではない』と、暗に他意を差し込んできた。それはつまり彼女が先ほど自ら“探り合い”をたしなめておきながら、実際には、現在も引き続き『腹芸』を決め込んでいるのだという密かな告白でもある。
 随分イメージと違う“真面目で優等生な姫君”の言葉を面白く感じながら、ハラキリはさらに問うた。
「しかし、ニトロ君が勝った場合は――解っていますね?」
 しばしの間があった。
 アンドロイドが、唇を引き結ぶ。一瞬、瞳が下を向く。その顔は明らかに不安を表していた。失いたくないものを失うかもしれないということへの、隠し切れない恐怖が漏れ出していた。
 やがて、彼女は努めて力強く、言った。
「その時は、ニトロさんへの正当な報酬です。寂しいですけれど、私は、受け入れます」
 ハラキリは口が笑みの形になるのをもはや止められなかった。以前は全く興味を向けていなかったミリュウ姫ではあるが……こうなってくると実に興味深い。しかも、彼女の態度には、自覚的かそうではないかはともかく、どうやら姉に対するものと比肩するほどの『ニトロへの好意』が見受けられる。
「ですがお姉様は負けません
 追って続けられた断言に、ハラキリは目を細めてうなずく。
(――さて?)
 ハラキリは、ワインリストを見つめながら考えた。
 何事かを隠しながらも、ミリュウの言い分は確かに理のあることだ。
 アンセニオン・レッカード、シァズ・メイロン……社交界でも有名な両者は、しかし正直雑魚である。もちろんバトルロイヤルの利を活かす可能性がないわけではないが、それでもその二人はどうでもいい。ニトロにとっては脅威ではあろうが――それでもどうでもいいのだ――ティディアにとっては噛ませ犬にもならない。
 脅威は、やはりグラム・バードンのみである。
 あの公爵は『ニトロ・ポルカト』のいくつかの虚飾も知っている。が、それでも第二王位継承者がそう言うのであれば、それはすなわち、ニトロが既に文字通り主君のために命を捨てた忠臣にも認められているということである。思い返せば、あの人見知りのパトネト王子をこの場に現実に連れてきてみせたニトロへ対する公爵の態度も、その認識から逸れないもののように思える。
「……」
 ハラキリは今一度参加者を見渡した。
 改めて見定めてみても、自分が知る限り、混戦ゆえの“紛れ”に乗じて台頭する者はあっても実力のみで勘案すればやはり脅威は『王女の剣の師』、彼だけだ。この平和な世にあって、本気で多対一の危機的状況から生き残るための訓練を積んでいるのは――ティディアと、我が愛弟子を除けばあの達人だけである。もちろん未知の伏兵は否定できないが、それでも、あの豪傑に敵うだけの実力者は想像できない。
 となると、
(もう一つ怖いのは、お姫さんがグラム・バードンを仕留めようとした時にニトロ君が邪魔をすることですか)
 その場合、間違いなくニトロは負けることになろう。
 そしてその場合、優勝はグラム・バードンとなるだろう。唯一公爵閣下に勝ちうる可能性があるのは、ティディアだけなのだから。
「……気になることが、一つ」
 ハラキリは、ミリュウに訊ねた。彼女が隠していることを明らかにしておきたい。
「先ほどの話を聞くと、貴女はこの『余興』において“結婚を目的とする”ことへの価値を低く見積もっていらっしゃるようだ。もっと具体的に言えば『姉がそんなことを願うはずがない』と確信していらっしゃるようにも見受けられる」
 ミリュウはハラキリを見つめる。その沈黙には肯定の影がある。
「お姫さんの思いは貴女もご存知でしょう? なのに、彼女が『結婚』以上に据える目的とは一体何でしょうか、お姫さんは、一体何を望まれているのでしょうか」

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