アンドロイドの発した声は、ハラキリの聞き覚えのある声であった。
ハラキリの眼前にクリスタル・グラスに満ちるミネラルウォーターが差し出される。
立て続けに注文もしていない飲み物が来ることには困ったものだが、ハラキリはそれを受け取った。
「……」
早速一口飲みながら――その間にハラキリはどういう会話を以て相手の腹積もりを探ろうかと計算しながら――言った。
「目立つのは嫌いなんですよ」
遠回しな否定の言葉に、
「あら」
アンドロイドは――その向こうにいる女性は、例の成人祝いのパーティーで初めて直接面識を持ったハラキリに目を細めて見せ、
「それは、もう無理な話ではありませんか?」
「無理な話?」
「ええ。貴方はあの『映画』にも出ていただけでなく、
普段、ニトロに対して自分がしていることを思わぬ方向からやり返された気がして、ハラキリは思わず苦笑した。
彼女の言った『一部』とは、もちろん彼女のいる社会のことだ。
そしてハラキリは、今だけでなく、ここに来た当初から自分に集まる視線を自覚していた。巧みに誰かに声をかけられぬよう、また多くの人の注目に晒されないよう息を殺していても、常にまとわり付いてきた“観察”の眼。『ニトロ・ポルカトの親友』への値踏み。あるいは、次代の王の親友を抱き込めば将来的に有利であるはずだという打算。
「なかなか認めたくないことをずばりと仰るのですね、妹様は」
吐息をつくようにハラキリが言うと、アンドロイド――ミリュウは微笑み、
「事実は正直に認めること、と、教えられています」
ハラキリはまた苦笑した。
「なるほど。確かにそれは賢明なことと存じます」
ミリュウはうなずく代わりに小首を傾げて見せた。
相手の出方を探るために軽い皮肉にも嫌味にも聞こえるように返したのだが、それを軽くいなされてしまったハラキリは間合いを測るために小さく息を吐き、と、そこでふと冗談を思いついて言った。
「しかし、こうなったらいっそ一度死んで姿を隠したいものですね」
彼の脳裏には彼の父の姿があり、彼の視線の先には何やら婦人を相手に笑顔を向けているグラム・バードンがいる。そして彼の口調には、“それ”をできる立場にある王女へまるで依頼するような色が含まれていた。
すると、
「お手伝いしましょうか?」
ミリュウは、予想外にもハラキリにそう言ってきた。
驚いたのはハラキリである。
彼女は『真面目な妹姫』だ。てっきり「ご冗談を」とばかりにたしなめてくると思っていたのに……
(……ふむ)
成人祝いのパーティーでは周囲に祝福と歓喜の色ばかりがあったこと、また、直接言葉を交わした時間も短かったために確信することはできなかったが。
(ニトロ君は妹君のことを好評価していましたが……なるほどなるほど)
思わぬところで『劣り姫の変』を契機に彼女が得たのであろう変化に触れたハラキリは、内心愉快気に笑った。
一方、ミリュウの操るアンドロイドは近場のビュッフェ台へと向かっていた。ハラキリの注文に従っている振りをしているのだ。しかしその意識がこちらに向いていることはハラキリには容易に知れた。その上、あちらは、探り合いはやめにしましょう――そのようにたしなめる目を投げかけてきている。
その眼差しの豊かな表現力を見て、そこでハラキリはこのアンドロイドは汎用A.I.を経由した遠隔操作ではなく、もっと直接的な
ハラキリは小さくうなずき、同意を示した。声のみならず表情や仕草も使っての、ある意味“全力の干渉”というならば、それに応じてここからは直接的にいこう。
「どちらも手伝いません」
彼は口の中だけで消えるような小声で、きっぱりと言った。まるで腹話術の出来損ないであるが、相手は“高性能な耳”を持っている。小皿にローストビーフを取っているアンドロイドの目は、ひたりとハラキリを見つめていた。
さらにハラキリは続けた。
「拙者は二人の友達ですからね」
ティディアの……彼女の姉の出した条件は非常に大きな威力を持っている。ここでどちらかの味方になることは、下手をすれば二人の関係性を壊滅させる危険もある。――ハラキリの一言はそのような意味を含んでいたが、ミリュウは無論それを理解した。
ヴィチェアという塩漬けにした高級魚卵とピクルスを載せたクラッカーも一枚皿に載せ、
「それでは、手伝ってくださいませんか?」
差し出された皿を受け取り、その依頼を聞き、ハラキリは探るのではなく、試すように問い返した。
「誰を?」
「姉を」
予想通りの答えが返ってくる。が、次に続けられた言葉にハラキリは意表を突かれた。
「ニトロさんを、そして、私達姉弟を」
ハラキリは片眉を跳ね上げ、
「……三方同時とは……これまた豪儀ですねぇ。しかし、三方全てを手伝うことは不可能と存じますが?」
ミリュウは、音声をこれまでの通常モードから指向性に切り替えた。そして、グラスと皿を器用に一手に持ち、空いたもう一方の手でクラッカーを口に運ぶハラキリにだけに聞こえる声で言う。
「不可能ではありません。最後に二人が『一対一』になるようにしてください。二人を守っていただきたいのです」
王城の料理長の手によるピクルスとヴィチェアのハーモニーは流石だ、と舌鼓を打っていたハラキリは、一瞬その味覚を忘れた。妹姫の言葉に驚いたのではない。いや、驚いたのは確かだが、それよりも、彼女の話をより深く聞こうという『真剣さ』が心に湧き上がってきたのだ。