「……何が?」
 小皿を手に、ビュッフェ台からクロスティーニを取ろうとしていたニトロがきょとんとする。
 ハラキリは苦笑し、
「参加しないのですか?」
「するわけないじゃないか」
 さらにきょとんとしてニトロは言う。トングで挟んだクロスティーニを皿に載せ、
「パティもいなくなっちゃったし、余興サプライズに付き合う義理もない。ちょっと食べたらパティの様子を見に行って、場合によっちゃそのまま帰るよ」
「それはまた度胸がありますねえ」
「……何が? むしろここに居た方が不利だろう。どうせあいつはろくなお願いをしないんだ」
「?」
 ハラキリは、ニトロの発言がそんなに不思議なのか、眉根を寄せて首を傾げた。ティディアを起点にする参加者の列や壇前から思い思いに散り出した客の中にもハラキリと同様ニトロへ怪訝な顔を見せている者が多数いる。やはり『ニトロ・ポルカト』が未だ参加表明をしないことに眉根を寄せているのだ。
 まるで全員の疑問を代弁するように、ハラキリはニトロへ問うた。
「では、ニトロ君はおひいさんが勝つと思っていると?」
「ん」
 クロスティーニを齧りながら、ニトロはうなずく。
「それなのに、お姫さんの『お願い』は怖くないので?」
 ニトロはクロスティーニをもしゃもしゃ食べ、その美味しさにほころびながら、
「あいつは『結婚』を願いはしないよ。それじゃあ強制になるからさ。なら、それ以外のことは特に怖いこともないだろ? むしろこの公衆の面前でキスしてとか、『ここでしかできないお願い』をされる方が怖い。俺はパティの付き添いだから、下手な拒否はパティの顔に泥を塗ることになっちゃうしね」
「……はあ」
 ニトロの言葉は道理ではある。彼のティディアに対する変な信頼感を改めて実感しながら、まだ眉を寄せたままにハラキリは言う。
「まあ、それはそれでいいんですが……そういう意味で『度胸』と言ったんじゃあないわけで……」
「ん?」
 クロスティーニの残りを口に放り込んでいたニトロが、ハラキリの困惑顔に眉をひそめる。
 と、そこに、泣きボクロのある給仕が、走りたいのを懸命に堪えるように極めて足早に歩み寄ってきた。その給仕アンドロイドは二人の元に辿り着くや炭酸水の注がれた細いグラスを――建前のために手近にあったものを持ってきたのだ――ハラキリに押し付けるように渡し、
「主様、何ヲノンキニシテイルンダイ!?」
 指向性の音声で、しかも強い語調でアンドロイドは言った。驚きながらも一応グラスを受け取っていたハラキリがそれを動かしているのが芍薬だと理解する傍ら、ニトロは芍薬にまで『のんき』と言われてびっくり仰天していた。
「大チャンスジャナイカ、バカガ裏デ何ヲ企ンデイルニシテモ――コレハ大チャンスダ、千載一遇サ、絶対ニ逃ス手ハナイヨ!」
「……え?」
「王子の引率、ツッコミと、もしや一仕事終えて気が抜けてるんですか?」
 信頼する二人に同じ言葉を突きつけられ、さらに芍薬に責められてニトロはおろおろとしてしまう。折角だからとばかりに炭酸水を口にしていたハラキリが、最近では珍しいニトロの様子に笑みを浮かべる。
「先ほどのお姫さんのセリフ。全ては、むしろ君を焚きつけるためですよ」
「え?」
「ヒックリ返シテゴランヨ! 何デモ聞ク、ソウ言ッタンダヨ!?」
 芍薬は他の招待客らに背を向け、表面的にはニトロとハラキリの注文を聞いている素振りを取っているが、いや、このままだと自分がこのアンドロイドにいることを悟られても良いという勢いである。
「――あ」
 そしてニトロは芍薬の勢いに、気づかされた。
「そうか……」
 何でも聞く。王権を以て。つまり、それはニトロ・ポルカトがティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナと結婚できないようにすることも可能であるということだ。あるいはそこまで直接的にいかなくても、先の『暴言』を利用し、例えば「俺がいながらあんなことを言うお前にはもうついていけない。別れよう」とでも告げて承認させることも可能ではないか?
 ――大チャンス。
 千載一遇!
「そうか!」
 ハラキリの言う『度胸』。それは皮肉だ。あいつがどういうつもりにしろ、確かに到来したこの超絶好機を目の前にして踵を返す愚考・蛮勇を指した言葉であったのだ。そうとなれば、例え勝ち目が薄かろうと、帰ったりのんきに食事をしたりしている場合ではない!
 ニトロはティディアの前に並ぶ男性の列を慌てて見た。最後尾には一体の給仕アンドロイドがいて、その頭の上に投影された宙映画面エア・モニターの数字は65。それ以降の参加希望者の足は、鈍っていた。どうやら皆様こちらの様子を見て――あれ? このままだとニトロ・ポルカトが出られなくなるよ? ここで参加枠埋めたら俺空気読めないって言われない? と躊躇し踏み出しきれないでいるらしい。
 と、いうことは。
 まだ間に合う!
「出る、出るよ!」
 ニトロは叫び、芍薬に空の皿を渡すや列の最後尾へと全力で走った。
「ニトロ・ポルカト、参加しまぁぁす!」
 彼の宣言を聞き、安堵にも似た歓声と拍手が湧き起こった。
 馬上のティディアは微笑みながら……しかし、その目元が引き締まるのをハラキリは見逃さなかった。
「良カッタ……間ニ合ッタ」
 芍薬が安堵を声にする。
「では小生も参加しよう」
 と、その時、ハラキリと芍薬の耳にその声が聞こえた。ホールがもう何度目かのどよめきを起こした。
 声の主は、グラム・バードン公爵――ティディア直属親衛隊隊長にして、王女の剣の師であった。
 これで優勝候補が三人。特に王女と公爵の天才師弟は強力である。
 そして公爵が参加を表明したと同時、この『余興』の中に不思議な弛緩と猛烈な緊張が生まれていた。
 参加者の多数に『参加することに意義がある』という空気が流れ出したのである。が、それは『余興』としての気楽さを担保するのでむしろ良いことだろう。
 他方、勝ち目が薄くなっていくばかりの状況に目つきを変えている者も少数存在していた。代表格は一番参加の東大陸の伯爵。他にも、何か胸に期するものがあるらしい者はちらちらと参加者ライバルを値踏みしている。いずれも後方の優勝候補に目を向けると厳しい条件だと顔をしかめているが、それでも諦めきれないものがあるらしい。彼らの放つ気配はこの『余興』をぴりと引き締めていた。
 それから、
(それ以外は……この余興で良いところを見せて、というところですかね)
 ハラキリは列に並ぶ人の表情を――ニトロはグラム・バードンに話しかけられ困ったように笑っている――眺め、そう考えた。余興は、あくまで『余興』とはいえ家柄や資産のない者にとっては目立つための格好の舞台なのだ。特に王女の目にも止まれば最高だろう。
(術数権謀とまではいかぬものの、人の目論見それぞれ……と)
 ハラキリはティディアを見た。

→3-c05へ
←3-c03へ

メニューへ