「それじゃあ、お前が優勝した場合はどうするんだ?」
「あら、どういうこと?」
「すっとぼけるなよ。優勝者は決まっている。それは、お前のことだろう? 私からそれを勝ち取った者ならば――それはお前が最大の障壁として立つということだろう? 五代様と同様、武勇にも名高き、ティディア王太子殿下」
再び、全ての視線が馬上のティディアに集まった。
――そうだ。そういえば、軍の剣術大会での優勝経験もある王女は、剣の天才とも誉れ高いこの王女は鎧を着ている。それは何のためだ?――決まっている。自らも剣術大会に出るためだ。私が楽しむため……ニトロ・ポルカトの言う通りに!
「やー、気づかれていないようだからシメシメと思っていたのに……後のサプライズが台無しじゃない」
鋭いニトロのツッコミに、困ったようにティディアは言う。
「打ち合わせなしだ。こういうこともあるさ」
しかしニトロは変わらずきつい口調で言う。傍目には二人の仲を疑うやり取りであるが、これは概ねいつものことだ。『ティディア&ニトロ』特有の距離感。それでいて意思疎通は完璧であり、互いの言葉の深いところも逃さず掘り出すのだから聞いている方は癖になる。そしてここにいる者は安心感のあるいつも通りのやり取りの中、改めて思うのだ。どんなにふざけたことを言われて場をかき乱されようと、決して希代の王女の思い通りにはさせない、その少年の力を。
一方でティディアは、全てが自分の思い通りにはならなかったことにこそ、ひどく満足していた。本当にニトロは手応えがある。何もかも簡単に思い通りに行くというのは、初めは良くとも後になるとつまらなすぎて堪らない。延々と砂に釘を打ち続けるようなものだ。けれど、彼は砂に水をまいてくれる。場合によってはコンクリート舗装までしてくれて、特別な道具を用意しなければ釘も打てないほど頑丈に固めてくれる。その手応えが一体どれだけ私を喜ばせてくれることか! ああ、東大陸の領主共に彼を見習えと言ってやりたくて堪らない!
――だが、ティディアは、表面上はつまらなそうにため息を挟み、
「と、いうわけだから……参加者は、場合によっては一国の王女と剣の相手が出来る――という名誉が副賞になるわ」
その言葉に、主に貴族の男性がざわついた。実際、王女と(普通は王子とであるが)剣を交わせるというのは臣下にとって大変な名誉である。しかもこの王女と剣を交えることは、すなわち未来の女王と……間違いなく重要な意味を伴い歴史に名を残す君主と剣を交わすことになるのだ。それは一体どれほど身に余る栄誉となろう!
貴族の男子が気色ばめば、他の紳士にもその意味が伝わる。
そして――さらに考えを巡らせれば……未来の王とも剣を交えられるのである。
「ね? 安心して参加できるでしょう?」
ティディアがたまたま目の合った若い貴族に言うと、彼は王女から直接声をかけられた光栄に瞳を輝かせ、妻の横で大きくうなずいた。
「まず、一人ね」
笑いながらティディアは言う。その貴族は、ニトロとパトネトが庭園で初めて出会ったあの東大陸の伯爵であった。思わぬ強制参加となってしまった彼は愕然としたが――もし優勝すれば? 彼は思った。
ティディアは伯爵の目の色に彼の“目的”を見て微笑み、
「――さて、それで、私が勝った場合ね」
目を多勢に移しながら言い、そうすることでティディアは他にも参戦を表明しようという人間を言外に制した。そして、ゆっくりと馬を歩かせる。大人しく賢い白馬は段を器用に下りていく。馬の進行方向にいる人間がさっと脇にどき、道が開かれる。
「その時には、誰かにお願いを聞いてもらいたいかな」
誰かとは、つまりニトロ・ポルカトであろう。であれば自分達にリスクはなさそうだと、剣術大会に対する皆の意識がさらに『余興』に相応しい気楽なものとなっていく。
ティディアはそのまま馬を歩かせ、ロザ宮玄関まで辿り着いた。300人の招待客はどうすれば良いのか判らず、ひとまず元の位置に留まったまま王女を見つめていた。
王女の手綱に従い白馬が反転する。
壇の前に固まる招待客らと正対したティディアは、そこで雄々しく告げた。
「さあ、運命を共にしようという愚か者は、私の前に進み出よ!」
そのセリフはティディア自身の言葉ではなかった。
だが、その姿をした王女が言うと特別な意味合いの生まれるセリフであった。
――三代王の治世に起きた『北大陸の反乱』。
それを治めた者こそが、覇王の孫であり、当時第四王位継承者であった後の五代女王『覇王姫』イザリナであった。
彼女は第四王位継承者として
彼女の残したある手紙にはこうある。
……
二代女王様の尽力によりまとまってはいるものの、未だ覇王の暴挙が記憶に残る現在。
アデムメデスのまとまりは、表面張力で危うく保たれている満杯の水に似る。
そこからこぼれたのが此度の一件。
この反乱の結末は解っています。王の勝利に終わります。それだけ力の差があるのですから。
しかし、逆臣の狙いは北での戦いのみにはありません。今、国中が反乱に揺れている。北の反乱に続くものがないとは限りません。ここで国軍を北に集めることは、ならぬのです。されば隙をつき、蜂起の狼煙が国中に溢れるやも知れません。二代『聖母王』様のお心を殺した尽力を無に帰すことは、何を置いても決してならぬことなのです。
ご理解ください。ここで私がおめおめと逃げ出せば、蜂起の連鎖を生みかねないだけでなく、後の王威にも致命的な瑕疵を与えましょう。もはや、賊軍に比して蟻の群れに過ぎぬとしても、王女が勇敢に戦わねばならぬのです。王女が逃げ出す姿は、あの覇王の孫が見苦しく逃げ出す姿は、覇王の暴威が記憶に残るこの国にあって決して人心に晒してはならぬことなのです。私がこの地を離れられるのは、勝利を得た時か、勇ましく死した時のみ。そのいずれかなのです。
非力な女である私は勝利して奇跡でありましょう。負けて当然、しかし王子であれば敗北も許されなかったでしょうが、私は許される。男であるよりも私は民草の哀れみを引ける。ああ、私は女であったことを神に感謝します。親愛なる貴方。貴方と出会えたことを神に感謝したように。
愛しい貴方、願わくは、再会できることを祈って。
……
恋人への、遺書を兼ねた決意の手紙にそう書き残していたイザリナ。
そう、ティディアのそのセリフは、反乱鎮圧に向かう出陣式の際、長かった髪を短く切り落とし、絶望的な戦いに共に挑まんとする仲間を前にしてイザリナが叫んだ口上の切っ先であった。後にイザリナは続ける。上も下もなく、私と共に先陣を切ろうという者は来たれ。身分の差もなく、私の命を預けよう。
今、その物語が皆の心に想起されていた。
ティディアが参加者数を72と定めたのも、イザリナと共に敵陣に切り込んだ騎兵の数に拠る。ある種のロールプレイと言おうか。史実ながら、伝説でもある一幕に、まるで自分達が参加しているかのようだ。そのため『余興』の意味合いもより強くなり、それと同時に客らの心が昂ぶっていく。
参加者を呼び込んだ王女の下へ先陣を切ったのは、もちろん一番に参加を表明させられた東大陸の伯爵であり、彼は妻に送られて勇み走った。
続けてスキンヘッドの貴族を先頭に何人、何十人が声を上げて王女の下に向かう。まるで若い頃を思い出したかのように顔を明るくして進む年嵩の紳士の姿もいくつも見えた。無論、全ての男性が参加に動いているわけではない。運動不足が目にも明らかな男性や、無様を晒す可能性を避ける大物政治家、年齢を理由に辞退する者、それにいつ何時も穏やかに振舞うことをポリシーにする紳士等はその場に留まり、婦人らとこの余興について会話を交わしている。しかし、そのような不参加者を考慮しても、300名の招待客のおよそ半数を占める男性、さらにその約半分が参加する計算となるこの余興ではあるが(流石に婦人の参加者はいない)……この分だとあっという間に募集人数に達しそうである。
「ここらへんの煽りっぷりは見事だよなぁ」
その光景を相変わらず壁際で眺めていたニトロがため息を吐く。
ハラキリは腕を組んで、眉をひそめていた。彼は近場のビュッフェ台に向かうニトロを目で追いながら、
「何をそんなにのんきにしているんです」