ティディアが登場した瞬間、ホールにいるほぼ全ての人間が度肝を抜かれた。
 何しろ皆の脳裏のイメージは完璧『薔薇姫の夢』の主人公のドレス姿から連想されるティディアの華やかな姿と仕上がっていたのである。
 しかし現実に網膜を突き抜け脳裏に向けて飛び込んできたのは、馬用の鎧を着た白馬に勇ましく、というか血生臭くまたがる白い軽鎧姿のティディアであった。
 その、あまりのギャップ。
 短髪のティディアに鎧姿があまりにはまっているため、何よりも彼女が右手に提げる生首のために、この宮のイメージと妖精達が作り上げた幻想との落差の凄まじさ。
 度肝を抜かれずになんとする?
 正規に招待された客の全員が、職務柄主君が何やら馬を必要としていたことを知っていたグラム・バードンさえもが予想を遥かに超えた光景にあんぐりと口を開けていた。
 誰も反応できない。
 主役を迎える拍手も、歓声も、言葉も、紳士淑女の皆様からは何も出てこない。否、出せない! その様を見て馬上の姫君はこの上ないしたり顔である!
「な・ん・で・だ!」
 だが、『彼』だけは違った。
 紳士淑女が振り返る。
 壁際に親友と二人で立つニトロ・ポルカトを……クレイジー・プリンセス・ティディアが何をしでかそうと即座に対応できる『恋人』にして『英雄』を!
「――ぁ」
 ニトロは、うめいていた。
 ツッコむ気はさらさらなかったのに、馬上のティディアの得意気な顔を見た瞬間、思わず叫んでしまっていた。
 何とかごまかす手立てはないか? ニトロはそれを考えようとしたが、
「諦めなさい。君の性分です」
 ハラキリが愉快そうに囁く。
 ニトロは一度唇を噛み、
「――違うだろう!」
 叫んでしまったからには仕方がない。言葉は一度ひとたび発せば取り戻せないものなのだ。腹を括って彼は続ける。
「そこはお姫様然とした白いドレスだろう!? フリルもふわっふわに華やかに! もしくは洗練されてクールに美麗にアダルトに! それなのに何で雄々しく『覇王姫はおうき』様だ!? ていうか生首は明らかに余計だろう!!」
 その時、馬上のティディアのしたり顔が歓びに輝いた。
 また、その時、ホールには大きなどよめきが上がっていた。
 ニトロの様子からして、彼は王女がどのような姿で登場するか全く知らなかったらしい。しかし彼は素晴らしい指摘をした。――そうだ、黒紫色ロイヤルカラーで装飾の描かれたその白い軽鎧、よく見れば鎧の下に着る服も、鐙に載せられた古めかしい靴も、そうやって鎧をまとう軍馬にまたがる姿も……そうだ! それは、アデムメデス史の教科書にも載る超が付くほど有名な肖像画、王女時代には『覇王姫』との異名を取った五代女王の完全なる再現ではないか!
「流石はニトロ」
 そこで初めて、ティディアが声を発した。
 そして彼女は携えていた生首をひょいっと投げた。小さな悲鳴じみたどよめき――と、その瞬間、どこか穏やかな死に顔をしていた生首が空中で瞬く間に白いツバメと変じた。今度は小さな歓声混じりにどよめく。そのツバメは二羽が左右で結合した『一羽』であった。右のツバメは右の翼を、左のツバメは左をそれぞれに羽ばたかせて空を飛ぶ。
 皆の脳裏にアデムメデス神話の一説が蘇っていた。涙雨のエピソード。恋人である雲の神に愛を疑われた湖の神が絶望のあまりに自ら首を落とし、すると落ちた首が比翼の白ツバメとなり、雲の神に真心を伝えた。湖の神の愛を知った雲の神はその後一年に渡って泣き続け、ようやく泣き止んだ後も、時折失われた大切な人を思い出しては泣くという。空から大切な人をなくして嘆く者を見かけると、同情を寄せて共に泣いてくれるという。
 比翼の白ツバメは――アデムメデスで愛を象徴する鳥は、一度ホールを一周すると、身を翻すや一直線にニトロへと向かった。ニトロへと滑空し、そして、彼の目前で突然光の粒子に変じた。粒子は明滅しながら、まるで彼の体に、心に、染み込もうとするかのように消えていった。
 どよめきが一種厳かなものを見た時の嘆息に変わり、比翼の白ツバメに誘われるままニトロへ注目していた視線が再びティディアへと戻っていく。
「あなたなら理解してくれると信じていたわ」
 恋人に向けられた華やかな声には、信頼と共に恋人へ向ける特有の甘さが忍んでいた。その声を聞いた婦人らの内には、何か心打たれたように羨望の吐息を漏らす者もあった。
 ティディアは馬を進ませた。
 よく調教された白馬は二完歩進んでぴたりと止まる。その背後で扉が閉まった。そこにはもうパトネトもヴィタもいない。壇上には、ロディアーナ朝の長い歴史の中で唯一の内戦を治めた伝説の王女――『覇王姫』を模した現代の王女だけがある。
 ニトロは、黙っていた。
 ティディアの言葉は説明には程遠い。
 ニトロが黙れば他に口を挟める者もない。
 馬上からティディアは朗々と華やかな声を響かせた。
「紳士淑女の皆様、親愛なる『我らが子ら』、古い友人、新しき友人――本日は私のためにお集まりいただき、謹んで感謝を申し上げます」
 ふいにもたらされた丁寧な挨拶を受け、皆が反射的に頭を垂れる。……ニトロと、ハラキリ以外が。
 ティディアは愛しい人と唯一の友達を一瞥した後、口調を崩して言った。
「早速だけど、余興といきましょう」
 皆が頭を上げるが、誰も何も言わない。
 ニトロは、もはや馬上の姫君と言葉を交わす役は自分にのみ与えられていることを察し、
「余興だって?」
 静まったホールには声が良く響く。壇から離れた壁際からでも十分に会話が成り立つ。
「そう、余興」
 ティディアは微笑み、ニトロから目を離すと招待客を見渡した。
 招待客らは王女の言葉を待っていた。
 彼女はすっと息を吸い、雄々しく言った。
「これより剣術大会を開く!」
「馬鹿だろう!」
 再びニトロが思わず叫んだ。
「何でロザ宮まで来て剣術大会だ! せめてダンス大会だろ!」
 ニトロは、まさしく代弁者であった。ほぼ全ての人間がそう思っていた。しかしティディアは握り拳を作って言う。
「そんなんじゃあ切った張ったのスリルが足りない!」
「切った張ったのスリルなんぞいらんわ! てか何でスリルが必要なんだ!」
「賞品が豪華だから!」
「――賞品?」
 ニトロが疑問符を打つと同時、客らがざわめいた。
 賞品……つまり、ティディアから、この色々無茶苦茶ながらも希代の王女であられる御方から何かを賜れるということだ。
「例えば?」
 ニトロはやはり代弁者である! 彼の口にした問いは、誰もが心に浮かべて、かつ誰かが訊いてくれることを期待したものであり、しかも彼は絶好のタイミングでそれに応えてみせた。視線が馬上の王女に集まる。彼女は言った。

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