――と、ニトロがパトネトに振り向いた。
 パトネトに耳を寄せ、何か合点したようにうなずき、クロムン&シーザーズ金属加工研究所代表取締役との会話を弾ませる。
 どうやら未知の言葉について、ニトロはパトネトに助けを求めたようだ。そうしてニトロの力になれたことで、弟は、ああ、とても嬉しそうにあんなに多くの人前ではにかんでいる。
「ニトロさんには、感謝し切れません」
 ぽつりとミリュウが言った。
 ミリュウも、もちろん、パトネトにこれだけやってくれるニトロの『目的』をちゃんと理解している。先に“お人好し”と言った時には、彼に救われた彼女が彼女自身に則して思うところを含んでもいた。
「そうね……」
 妹のその様子にティディアも言葉にならない思いを胸に抱きながらうなずき、ふと、画面の中の妹が涙ぐんでいることに気がついた。
 可愛い弟の成長への感激が、その双眸に表れているのだ。
(……)
 あの『劣り姫の変』以来、妹は感情を素直に表すようになった。元々素直な妹ではあったが、今の彼女を見れば、それがどれだけ不透明な仮面越しのものであったのかと思い知る。……ティディアは、それを理解していたのに、思い知る
 ニトロに嫌われるのも本当に当たり前のことだ。
 ティディアはほのかに『罰』が続いていることを知り、そして内心で苦々しく笑う。
 ――道徳は、つまるところは他者(あるいは神)への見栄が生む――と言った詩人がいたものだが、まさか自分がその感覚を味わうことになろうとは。これも彼に会うまでは全く思いもしなかったことだった。
(……でも)
 とはいえ、その『他者』はニトロだけ……そんなことを言ったら彼には怒られるだろうか。それとももっと嫌われる? うん、きっと嫌われる。ハラキリにも困り顔をされてしまうだろう。『それでホントに大丈夫ですかね』などと不安を抱いて『自覚しているだけましですかねぇ』とでも苦笑して。
 だけど、ニトロだけ……それが道徳としてどうなのかは関係ない、この『ニトロだけ』という思いは本物なのだ。そう思うだけで私の心は艶めく。ニトロだけ――そう、彼にだけ私を受け入れてもらいたい。この心臓の音を直接聞いてもらいたい。
 そして……ティディアは、数々の目的のためとはいえ、この誕生日会を非公開にしたのを少しだけ悔やんでいた。誰を前にしても怯まず堂々と振舞う彼を見よ! それを世界にリアルタイムで公開し、親馬鹿も逃げ出すほどの勢いで誇ってやりたくてたまらない。これが私の愛する人なのだと高らかに告げ、そうして彼と、そう、内心では実は羨ましくてならないパティのように彼と手を繋いで、それから……
「お姉様?」
 ミリュウが小首を傾げていた。
「何をそんなにだらしないお顔をされているのですか?」
 小首を傾げながら、妹の目尻は下がり、口元にはにやつきがある。
 解っていながらの問いかけに、ティディアはハッと口を結んだ。口を結んだことで、どれだけ唇が緩んでいたのかを自覚し、彼女は気まずく少しだけうつむく。
 ミリュウは、くすくすと笑っていた。
「私の見間違いでした。とても凛々しいです、お姉様」
「……」
 あの『劣り姫の変』以来、妹はある点で完全にイニシアチヴを掴んできたようにも思う。
 ティディアは降参の吐息をつき、それから気を取り直し、
「それで、レド・ハイアンは何て言ってきたの?」
 質問を受けた妹姫は和やかな笑みを消し、しかし、口元に再び微笑を刻んだ。
「秘密です」
 意外な応えに、ティディアはミリュウを見つめた。
「私がどう応えたのかも、秘密です」
 ミリュウは悪戯っぽく目を細めた。
「アイラ・レド・ハイアンと私の“密談”の内容も、どのような結果を得たかも。全ては『見てのお楽しみ』です」
 その言葉に、ティディアはひどく愉快気に目を細めた。
「見てのお楽しみ?」
「はい。どうぞお楽しみになさっていてください」
 農作業着姿のミリュウはしゃんと背を伸ばし、これまでになく頼もしい。レド・ハイアンの要請を受けた妹が、それを断ったにしろ、受け入れたにしろ、これならどちらであってもその決断を尊重できるし、尊重してやりたいと思う。
「とても良い誕生日プレゼントね。ありがとう、ミリュウ」
 その返礼にミリュウは感激を露にした。多少イニシアチヴを得たとしても、妹が『伝説のティディア・マニア』であること――そうあってくれることには変わりないのだ。
 そして、ミリュウは少しはにかみながら言う。
「ホーリーパーティートゥーユー、お姉様」
 ティディアは微笑み、
「ホーリーパーティートゥーユー、ミリュウ」
 ミリュウはカメラから一歩下がり、農作業着のズボンを少しつまんで貴婦人の礼をする。
 それが妙に面白く、ティディアはくっくっと笑い、ミリュウはくすくすと笑った。
「お姉様」
 穏やかに笑いあった後、そろそろホールへ出ようという姉に向け、ミリュウは急に表情を変えると言った。
決してお負けになりませんように
 ミリュウの眼差しには恐ろしいほどの力が込められていた。こう言っては何だが、先ほどの領主レド・ハイアンとの密談などこれに比べればまるで軽いとでも言うようなほどの力が。以前の彼女では姉に向けられるはずもなかった、強烈な釘を刺す迫力が。
「……」
 ティディアはミリュウの視線をしっかりと受け止めた後、胸中では妹の思いを嬉しく思いながら、一方外面では不敵に笑いながらうそぶいた。
「あら、ミリュウ。あなたは一体、誰に向かって言っているの?」

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